本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

シャトー訪問記(その28)-リュル・サリュース伯爵


伯爵邸の応接室で

 私たちは《シャトー・ド・ファルグ》を訪問する際に、ボルドーの花屋さんに立ち寄って、リュル・サリュース伯爵に何か洒落た花をプレゼントできないかと考えました。アマリリスにしようと思いましたが、 ふっと横を見ると沢山の美しいユリがあるのに気付き、大きな花束にアレンジしてもらいました。その時は気付かなかったのですが、今思うとユリはフルール・ド・リス(fleur-de-lis(lys)、ユリの花)とフランスで呼ばれ、フランス王家の紋章に意匠された花であったのです。同時にボルドーの紋章にも3つのユリが象られていたのを思い出しました。伯爵とオルレアン公に喜んでいただけたのが分かるような気がします。なかなか気の利いたプレゼントだと思ってくださったのかもしれません。シャトーの玄関でお会いした時にお渡した花束は伯爵邸の応接室に入ると、もう既 に美しい大きな花瓶にユリが溢れんばかりに活けられておりました。
 それと日本を出発する前に伯爵へのお土産を何にしたらよいか妻と考えを巡らせたのですが、妻が昔嫁入り道具のひとつとして持参した妻の家に代々伝わる、江戸時代に伊勢二見産の蛤の殻の内側に紙を貼って、 花鳥風月や百人一首に登場する人物の絵を蒔絵や金箔で極採色に仕上げた“貝合わせ”の中から、美しい彩りの残った左右一対の貝をお贈りすることにしました。当日応接室に案内された時に伯爵に妻からその“貝合わせ”をお渡しして来歴を説明したのですが、日本古来の言霊研究者であるキロスさんが大変上手く由来を補足説明してくださいました。するとそれに応えるかのように、伯爵は伯爵本来のワイン哲学について、“貝合わせ”のお礼に重ね合わせて滔々と語りはじめたのです。伯爵曰く、「この貝細工に描かれている絵(蒔絵)はすばらしいです。日本の職人の技術はほんとうに最高です。ただ、日本の職人は商売が得意でないように思います。このような作品になると、もの凄く高価になるべきです。しかし、産業みたいに物を売りたくないという気持ちがよく分かります。私も同じです。《ファルグ》は産業的なワインになって欲しくありません。本質や魂のある作品を産業化(商業化)すると、その魂はなくなってしまいますから。私は私のワインが目指している高い品質を得るために、日本のすばらしい細工にある高度な質を大いに参考にしています。何故なら、ワインとの共通点が多々感じられるからです」と。そこには、今まで《シャトー・ド・ファルグ》そして<シャトー・ディケム>でのワインづくりに傾ける伯爵の熱い想いがひしひしと伝わってまいりました。伯爵に“貝合わせ”をお気に召していただけて良かったと、妻とほっとしたものです。
 実は、このお話に通じる伯爵のエピソードの数々が残されています。ご存知のように、世界でつくられるワインの殆どは瓶詰された後に販売されます。だが、ボルドーのトップ・シャトーは、その例外です。ワインがまだ樽内で熟成中の収穫の翌年春からプリムールとしてオファーがはじまります。この「先物取引」でワインが実際に買い手の元に届けられるのは、2年も後のことになります。この制度によって、エリート生産者たちは早い時期にキャッシュを手にすることができるようになったのです。 ただ、このような発酵の終わった新しいワインがオーク樽に移されたのはほんの半年前のことなので、熟成に伴って現れる複雑性や、洗練された香りなどはまだ見えないままです。このような早い段階では、特定のワインが強く健康であるか否か、腐敗に冒されていない熟した果実からつくられたか否かを言い当てるのがせいぜいのところでありましょう。だからリュル・サリュース伯爵は、ボルドーの他の有名シャトーとは考えを異にして、断固として「先物取引(プリムールの販売)」を拒み続けたのです。春恒例の試飲週間への参加も拒みました。ただ、同じ週に招待客を選んでのカクテル・パーティだけは催していたようですが、そこでも過去のヴィンテージのワインしか開けずに、樽で熟成中のワインに部外者が近づくことは許されませんでした。<シャトー・ディケム>は常に収穫の4年後に発売されており、ワイン評論家でさえ試飲できるのは、その後になってからのことでした。そして、<ディケム>の極みは、瓶詰めの前に、ひとつひとつの樽毎に厳しい選別がおこなわれ、この時<ディケム>に値しないと判断すれば、伯爵はためらわずに格下げします。例えば、1978年ものの場合は、80%近くが除外されたし、1952年、1972年、1992年もの(不思議と20年毎です)では全生産量が格下げされましたので、<シャトー・ディケム>の名では世の中に存在しません。このことは、リュル・サリュース家が定めた厳しい行動指針を反映しています。それはどんな財政的損失を蒙ろうと、 他のどのワインよりも優れた、完全なものをつくろうという代々伝えられてきたワインの奥義であり哲学なのです。だから、伯爵は愚鈍な「商業主義」には決して迎合せずに超越した存在でありました。リュル・サリュース一族は、このソーテルヌでつくられる神の酒(ネクタール)のラベルに威厳をもってその名を記しつづけてきたのです。伯爵は語ります。「<シャトー・ディケム>とは、常に磨かれ、大切にされねばならない宝石なのです」、そして「<ディケム>が大人と呼べるようになるまでには、収穫から10年は必要なのです」と。伯爵の親しい友であるボルドー最大の書店経営者のドゥニ・モラは、「アレクサンドルは、きまぐれな金を超えたところにある。流儀と本質を体現しているのだ」と評しております。
 伯爵は、「自分にとって商業主義は興味がなく、国家的記念碑(ディケム、ファルグ)を商業化から守っていく。 私は自分が受け継いだ輝かしい遺産を維持していきたいとだけを願っているのだ」と、かねがね主張されてきました。でも、1996年からLVMH社が<シャトー・ディケム>の主導権を執ったことにより、この流れには抗しきれずに、遂に2000年のヴィンテージから初めて「先物取引」で売る決心をしました。伯爵としては正に苦渋の決断だったことでしょう。断腸の思いだったことでしょう。それでも、他の有名シャトーとは一線を画し、量を制限して、収穫の4年後に通常売り出す<ディケム>の11万本に対し、先物として売られたのは僅か2万本だけだったのです。
 伯爵にお贈りした“貝合わせ”のお話から少し敷衍し過ぎてしまったようです。昼餐の模様の話しに切り替えます。さて、地下蔵(カーヴ)を見終えてから、いよいよ伯爵の邸宅へとご案内いただきました。 ここは城塞の真ん前に建っていたかつての裁判所を邸宅に模様替えしたそうです。応接室に入ると年配の執事の方が恭しく《シャトー・ド・ファルグ2008年》の栓を抜いて私たちのグラスに静かに注いてくださいました。伯爵とオルレアン公から、私たち夫婦とキロスさんに改めて来訪の感謝の辞を述べられて、乾杯しました。私からも一生懸命に覚えてきた御礼の挨拶を申し述べました。窓の外にはファルグの村のすてきな景色が広がっています。そしてすばらしい絵画と蔵書そして花々に囲まれて、とても幸せな気持ちになりました。私は《シャトー・ド・ファルグ》の黄金色に輝き、得も言われぬ香りをかいで、思わず「Le bouquet de miel,de noix de coco・・・。(蜂蜜とココナッツの香りだ)」と呟きましたら、すかさずオルレアン公が見事にいい当てた表現だと褒めてくださいました。こうして和やなうちに宴がはじまりました。暫し立ったままグラスを片手に談笑しながら貴腐ワインを味わい、ロマンティックで優雅な気分にひたりました。
 そして次の間のダイニングルームに案内されました。ここも沢山の蔵書と絵画に囲まれたすてきなお部屋です。 蔵書の重厚な背表紙からは、妙に人を落ち着かせる何かが出ているような気がいたします。テーブルの真ん中にはさりげなく花が飾られています。伯爵がドアの近くに座られ、妻が最上席そして隣がオルレアン公、妻の前が私の席で、隣はキロスさんでした。こうして昼餐会がはじまりました。ふっとここは一体何処なのかとの想いに駆られました。伯爵とオルレアン公を前にして夢かと見まがう気が一瞬したのです。でもここは間違いなく《シャトー・ド・ファルグ》の館なのです。この歴史的な雰囲気の中にあって、私はもうそれだけで感無量でした。伯爵もオルレアン公も笑みを絶やさず、お蔭で私たちも畏まらずに寛いだ気分で2時間余に亘る宴を大いに楽しませて貰いました。これぞまさしくフランス貴族の客人をもてなす優雅な歓待なのだと思ったものです。
 はじめに供されたのは、リュル・サリュース家の紋章の入った美しいお皿に盛られた、いくつもの大ぶりのコキーユ・サン・ジャック(帆立貝)のソテーに西洋ナシが添えられた、魚介類のクリームソース仕立てのとても美味なる料理でした。帆立貝はボルドー近くのアルカションで採れたてのもの。西洋ナシは伯爵の所有地にある農園でとれたものです。これに合わせるワインは応接室で味わったアペリティフと同じ、心惹かれる《シャトー・ド・ファルグ2008年》で、 執事の方がセラーからたった今持ち運んでこられた理想的な条件を備えた新たな瓶を抜栓してくださいました。5年を経たばかりの若い貴腐ワインですが、日本では魚介料理に貴腐ワインを合わせるなどまず考えられません。その料理と貴腐ワインの見事なマリアージュには感嘆しました。おそらく、クリームソースには《ファルグ》か、辛口白ワインの<ギレム・ド・ファルグ>が隠し味に使われていたのかもしれません。「貴腐ワインがフォワ・グラや青かびチーズ(ロックフォール)に合うことは知っておりましたが、今回のような取り合わせは今まで日本では味わったことがありません」と話しますと、伯爵は待ってましたとばかり語りはじめました。「ワインの原則は原則として尊重しつつも、それだけに捉われることなく、料理との相性をもっと自由に楽しむべきです」と。要は、肉には赤ワイン、魚介類には白ワインという経験則はそれなりに尊重しながらも、もっと自由な発想で料理とワインの組み合わせを楽しみなさいということなのでしょう。新しい組み合わせ、あるいは忘れ去られたものを発見するためには、古くさい陳腐な発想や、空論とか理屈から生まれた偏見を頭から追い払いなさいということかもしれません。妻は「主人は、いつも私の料理に合わせていろいろなワインを選んでくれます」というと、 伯爵は「それはとてもすばらしいことです」と褒めてくださいました。そして「貴腐ワインは固定観念にとらわれずにもっと広範囲に楽しんでください」とも話されました。後刻オルレアン公は、貴腐ワインと合う日本料理のパンフレットを持ってこられ、私に手渡してくださいました。それによると、貴腐ワインと合う日本料理は、鰻、鯵ずし、中国風のロースト・ポーク、アン肝、豚の角煮、沖縄の豚料理、そして更に興味あることに糠漬けまでありました。今度試してみようと思います。また、アメリカの有名な某ワイン評論家にも言及され、「彼の論評は大変参考になるが、それだけにとらわれずに自分なりに色・香・味を確かめて判断することが肝要です」と話してくださいました。ワイン界の大御所のお話はとても説得力がございます。
 今回は魚介料理と貴腐ワインの話しまでで紙数が尽きてしまいました。次回は肉料理そしてチーズとデザートとワインの取り合わせを含め昼餐会の模様のつづきと只今修復中の1306年に創建された城塞についてのロマン溢れる伯爵の想いをご紹介いたします。
 


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