本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

シャトー訪問記(その29)-リュル・サリュース伯爵


宴のあと―《ファルグ2001、2008》

 それでは伯爵邸での昼餐のつづきをはじめます。コキーユ・サン・ジャック(帆立貝)の料理につづき、執事の方が銀製の大皿にのった大きな牛肉の塊をカットして、夫々のお皿に野菜と共に盛り付けてくださいます。伯爵がこの牛肉は《ファルグ》の牧場で飼育されたもので、野菜も同じく農場で栽培したものですと説明してくださいました。 この牛肉料理に合わせるワインをどうするか、伯爵は暫くお考えになられたようですが、隣のグラーヴ地区ペサック・レオニャンの格付けシャトー、<シャトー・カルボーニュ1994年>の19年を経た古酒をプライベート・セラーから選んでおいてくださいました。牛肉はじっくりと時間を掛けて低温で焼いたロースト・ビーフで、とても柔らかくて香り高く実に美味でした。外側も殆ど焦げ目がついていません。<シャトー・カルボーニュ>は、グラーヴで最大規模を誇り、その歴史は13世紀まで遡れる、この地域で最も風光明媚な由緒あるシャトーとしても知られています。<カルボーニュ1994年>は、20年近く経てもまだルビー色の輝きを残し、しっかりした口当たりで、果実味やスパイシーな香りがあり、オークの香りも心地良く、強いタンニンは年を経て丸くなっています。この時の<カルボーニュ>は、一般的にいわれているのとは反対に長熟しているように感じました。これは伯爵のプライベート・セラーで完璧な理想の状態で管理・保存されてきたためでしょうか。柔らかい味わいのある牛肉のロースト・ビーフとの相性はぴったりでした。
 ここで伯爵は、銀座のあるレストランの女性オーナーのお話をされました。日本で大変心を打たれる接遇を受けたそうです。その時の感激されたお話をいかにも楽しそうに思い出しながら語ってくださいました。それ以来、≪絆≫(le mot ≪kizuna≫ qui désigne les liens qui rapprochent les êtres humains・・・)を大切にしていますとのこと。正に“人間の絆”の物語でした。このお話をお聞きして合点がいきました。 伯爵は一期一会のような不思議な縁を常に大切にしていらっしゃることを。伯爵と私の関係も12年前に東京の六本木のレストランで初めてお会いし、語り合い、その後伯爵へ辞書を片手に習いたての拙いフランス語の手紙を書き、その時撮った写真を同封してお送りしましたことが縁で、毎年クリスマスと新年のご挨拶状をお互い交換し合い、現在に至っています。でも単なる形式的な挨拶だけではなく、お互いの近況を語り合ってきました。その12年に亘る手紙での≪絆≫が、今回の昼餐会のご招待に繋がったことを知り、ほんとうに嬉しくなりました。年に一通だけの手紙も真心を込めて書き続けることの大切さを知りました。同時にどんな世界でも年齢、国籍、肩書き等を超えて誠意は通じるものと思いました。フランス文化のひとつの象徴であるワインを学びに還暦を迎えようとする老学徒が遥々日本からボルドーへやって来たこと、帰国してからもフランス・ワインを広めるためにワイン会を主宰してきたこと、また《ボルドー便り》を長年に亘り執筆してきたことも伯爵が少しは認めてくださったのではないかと思っています。こうしてフランスと日本を互いに手紙を通して行き来する12年の歳月の中で篤い交流が生まれ、《絆》が徐々に育まれてきたと思うと誠に嬉しい限りです。「“友情”と“誠実”とは、心ゆくまで楽しく飲み交わす饗宴と切っても切れない関係にある」というフランス人の考えは今日まで生き続けてきたことにいたく感銘を受けました。
 ちょっと横道に逸れてしまいましたので、再び昼餐の模様をつづけます。美味なる肉料理が終わると、大きなチーズが3種類のった銀製のお皿が運ばれて、執事の方が好みの分量にカットしてくださいます。 ひとつはロックフォールであることは分かったのですが、あとのチーズの名前は失念してしまいました。このチーズ3種とその後にお出しくださった味わい深いデザート(カップの中には美味しいプディングがどっさり入っていました)に合わせるのは偉大なヴィンテージの《シャトー・ド・ファルグ2001年》です。近年ソーテルヌの最高傑作と評されている逸品です。1306年に創建された城塞を想いながら正に“歴史を飲んでいる”心地です。コキーユ・サン・ジャック(帆立貝)の料理に出された若い《ファルグ2008年》もとてもいい年で、心惹かれる優れた貴腐ワインでしたが、この《ファルグ2001年》は更にすばらしく、各種チーズ、とりわけロックフォールとの相性は評判通りの見事さでした。明るく生き生きとした最高の琥珀色に輝き(Une couleur très dorée)、アンズ、クレーム・ブリュレ、ココナッツ、蜂蜜、焼いたアーモンドやスパイシーなオークのブケは衝撃的です(Le bouquet d'abricot,de crème brulée,de noix de coco,de miel,d'amande grillée et de chêne épicé est sensationnel)。口にすると信じられないほど豊かで、フルボディです(En bouche,il est incroyablement riche,très corsé)、と興奮して感想を述べました。伯爵もオルレアン公もうれしそうに何度も頷いてくださいました。さる御仁が「秀逸な貴腐ワインのボトルの中には“愛の行為のすべて・・・正と堕落への欲望・・・憂鬱さと陽気さ・・・毒と解毒剤”がある」と宣った言葉がふっと過りましたが、このワインにはそのような不思議な魔力が備わっていたように思います。非常に調和が取れて、力強く、冴えがあり、偉大な《ファルグ》の特徴を余すところなく有していました。 このようなすばらしい貴腐ワインを、それも伯爵邸で当主のリュル・サリュース伯爵とオルレアン公に囲まれて味わえるとは何と夢のようなことか!長いワイン人生の中で味わった最も至福の一時でした。このような宴を設けてくださった伯爵そしてオルレアン公に感謝感激です。私は今回の訪問を機に、ますます《シャトー・ド・ファルグ》に魅せられてしまいました。唯一残念なことは、《ファルグ》の生産量(1万5000本、ディケム(11万本)の1/10ほどです)が少ないために、多くのワイン愛好家にとって、このすばらしいワインを味わう機会が滅多にないことです。日本で探すことは難しいのですが、5年程前に漸く見つけて、私が主宰する<ワイン会>の3周年記念の時に《シャトー・ド・ファルグ1999年》を味わいましたと話しながら、その時の「ワインの栞」を伯爵に手渡しました。伯爵もオルレアン公も喜んでくださいました。
 “良きワイン口に入りて良き言葉口より出ずる”ではないですが、フランス人はよく食べ、よく飲みそしてよくお話になります。かのブリア=サヴァランもそこを強調していますが、正に“コンヴィヴィアリテ(convivialité,楽しい会食の趣味)”の世界です。フランス人の食卓へ籠める情熱を改めて知ることになりました。そして食卓の雰囲気はあくまで畏まることなく、最後まで寛いだ気分で楽しませてくださいました。これこそがシックで伝統と品格あるフランス貴族の客人への接遇なのでありましょう。食事が全て終わり、記念にこの部屋で写真を撮ったあとに、エプロンをつけた一人のご婦人が現れ、私に会釈しました。その姿が妙に印象に残っていました。帰国してある本を手に取ると、彼女を撮った一枚の写真が目に留まりました。そこには「内輪の食事のサービスをするテレーズさん」と書いてありました。この昼餐は内輪の食事、つまりファミリー・ランチとして親しみを込めて私たちを迎えてくださったのだと改めて嬉しい気持ちになりました。
 食後のコーヒーは隣の部屋に移って、小さいカップでエスプレッソをいただきました。楽しい昼餐がこれで全て終わりました。プールのある美しい庭へ出て、遥か彼方のファルグの景色を眺めました。「空は青く、何もかも微笑んでいた。私たちは食卓を離れた。とても幸せな気分であった!」との心境でした。
 ただ、心残りのことがあります。それは愛書家の端くれである私にとって、伯爵の各部屋の壁面をほとんど覆う書棚いっぱいに収められている蔵書について一言も尋ねることができなかったことです。 ヨーロッパの高貴な御仁、知識人の最たる趣味のひとつに古書籍の蒐集がありますと、かつて神田神保町の西洋古書店主から聞いてことがあります。その蔵書を見れば、その御仁の文化度が分かると。伯爵の書棚にはワイン同様にため息を誘うような趣味の良いモロッコ革の装幀がほどこされた、魅力溢れる稀覯本が揃っていたに違いない。宝石のような古書を直に手に取って眺めることができたのにと思うと残念至極であります。同時にすばらしい名画の数々そして家具についてもお話しを伺うことができませんでした。正直のところ、興奮の極みに達していて、そこまで心の余裕がなかったのであります。
 滞在時間は優に3時間を超えていました。そろそろおいとましようと思っていましたところ、伯爵がこれから修復中の城塞(forteresse)をご案内しましょうとお誘いくださいました。この広大な170ヘクタール(東京ドーム47個分ほどの広さ。葡萄畑はそのうち15ヘクタールのみ)の敷地を睥睨するように建つ大きな城塞は、教皇クレメンス5世の甥、レイモン・ド・ファルグ枢機卿によって1306年に建立された由緒ある歴史的建造物です。城塞の中に一歩足を踏み入れますと、瞬間的に時間は700年余も遡行し、私はフィリップ4世時代(在位1285-1314)のファルグ城にいるかのような錯覚に陥りました。年老いたレイモン・ド・ファルグ枢機卿とひそひそ話をしているような。
 英仏百年戦争(1337-1453)の戦火にも耐え抜いてきた中世の城塞《シャトー・ド・ファルグ》が、1687年の火災であえなく焼け落ちてしまうまで、リュル・サリュース家は6代に亘ってここに住んでおられたそうです。 以降、この城塞の傑作は18世紀のフランスの有名な建築画家ユベール・ロベールの描く絵画の如く、長い間寂しげな廃墟になっていましたが、この程伯爵が修復に乗り出しました。フランスで一番信用のある古城修復の専門業者に依頼したとのことで、着々と工事が進んでいるように見えるも、何せひとつひとつが手作業ゆえ20名ほどの職人が働いておりましたが、ある職人は高い足場を組んで漆喰を壁と壁の間に注入するのも慎重で、1時間経っても黙々と同じ作業をしていたのには吃驚しました。ぼろぼろに朽ちた壁も丁寧に修復が施されつつあります。工事中にも拘わらず、伯爵とオルレアン公のご案内でめまいを起こしそうな螺旋階段を上がると、火の気のない暖炉が昔のままの姿で、静かな空間の中に口を開けていました。でもここから一望のもとにファルグの村全体が眺められます。その絶景に暫し眼を奪われました。以前、城内には草が茫々で、大木が生え、木蔦が這って手の施しようがない状態であったそうです。その土台を1メートルも掘り下げて固めた上で、このように尖った平面の石をはめ込んでいくのですと、伯爵がわざわざ昔の石を取りに行って見せてくださいました。 何しろ気の遠くなるような作業のように思いました。伯爵は子孫に迷惑が掛からないように自分の代で完成させたいと言っておられました。因みに、完成はいつ頃ですかとお聞きしますと、2500年頃ですかなと茶目っ気たっぷりに笑いながら答えられました。うれしいことに、完成の暁にはあなた方をご招待いたしますと。そして、ここでマエストロ・オザワ(Un célèbre directeur d'orchestre japonais)の指揮でストラディバリウス(17世紀末~18世紀にかけて制作された世界最高峰のバイオリンの名器)のコンサートを催すのだと夢を語ってくださいました。その時の伯爵の顔はまるで少年のように輝いておりました。いかにもバロック音楽がお好きな伯爵らしいロマンに満ちたお話に感動いたしました。この《シャトー・ド・ファルグ》の城塞の修復にかける壮大な計画は、伯爵がワインと共に抱かれた大きな夢の集大成なのだと思わずにはいられませんでした。伯爵がお元気でおられる間に完成しますことを遥か日本の地よりお祈り申し上げます。
 こうして夢のような《シャトー・ド・ファルグ》での4時間以上に亘る滞在はそろそろ終わりに近づいてきました。伯爵とオルレアン公と妻とキロスさんと私は、夕暮れ迫る葡萄畑を眺めながら城塞を一回りしました。いよいよお別れの時間です。抱き合って別れを惜しみました。伯爵とオルレアン公は最後の最後まで笑顔でお見送りをしてくださいました。伯爵、オルレアン公、すばらしい至福の一時をありがとうございました。
 さようなら、《シャトー・ド・ファルグ》!また来る日まで。

 追って、後日リュル・サリュース伯爵から私ども夫婦へ、来る6月21日(金)午後8時から催される《A la découverte du Château de Fargues―シャトー・ド・ファルグの探検》と題する晩餐会の招待状(Invitation personnelle)が届きました。夜の帳がおりる頃に、フランスの有名な光の芸術家による“Lumière et Musique―光と音楽”のスペクタクルが催されるとあります。ファルグ城に当てられた光は城壁を照らし、城塞を暗闇の中から美しく浮かび上がらせることでしょう。そこには昼間見た城塞とはまったく違う光景が現れ、その前で美しい音楽が奏でられる。想像しただけで心が浮き立ちます。近ければ何を差し置いても出掛けたいところですが、ボルドーは如何にも遠い。あの城塞が光に浮かび上がる幻想的な光景に想いを馳せながら、今回は我慢して、わが家で《シャトー・ド・ファルグ2003年》を味わうことにします。嗚呼、残念至極!
 


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