本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
中世の城塞物語―《シャトー・ド・ファルグ》を中心に
![]() ファルグ枢機卿 |
《シャトー・ド・ファルグ》の城塞を見て、またまた生来の好奇心に火が付き、中世のヨーロッパの城について調べてみたい気になりました。
![]() これから私の勝手な推測を含めて物語っていきたいと思います。《シャトー・ド・ファルグ》の城塞(Forteresse)は前回述べました通り、14世紀初めのローマ教皇であったクレメンス5世(1264-1314、ローマ教皇在位1305-1314)の甥、レイモン・ギレーム・ド・ファルグ枢機卿によって、1306年に創建されました。 先ずは当時の時代背景から見てまいりましょう。《シャトー・ド・ファルグ》が生まれた14世紀というのはボルドーにとって正に大変な時代であったことが分かります。それはボルドーの運命を大きく左右した3つの大事件が起こったからです。 ![]() ![]() 中世ヨーロッパ、それも「英仏百年戦争」が新しい潮流をもたらす以前は、国の感覚など稀薄であり、むしろ家や領地の感覚の方が優先にしていた時代でした。中世ヨーロッパの主役は長らく、フランス王でもイングランド王でもなかったのです。イタリアのローマ教皇と、ドイツのローマ皇帝(神聖ローマ皇帝)こそが、舞台中央の主役の座を占めておりました。人々は小さな家にしがみつき、領地を必死に守りながら、同時に教皇を頂点とするキリスト教の共和国、皇帝を頂点とする世界帝国、つまりはヨーロッパという、一層大きな空間を強く意識していた時代であったと考えるのが妥当であろうと思います。その一方の雄であるローマ教皇の座がフランス枢機卿に奪われるという事態が生じたのです。 つまり、第2の事件とは、フランスのアキテーヌ出身で、ボルドーの大司教であったベルトラン・ド・ゴが、 ![]() 第3の事件は、イングランド王エドワード3世が、その長男エドワード・オブ・ウドストク(前述の黒太子)のために、1362年にアキテーヌ大公国という領地を創設したことです。黒太子は、その政治的経歴の絶頂期にボルドーを一つの国の首都にしたのです。 14世紀はこのような時代背景の中で動いていきました。この時代はボルドーにとって正に激動期の真っ只中にあったのです。 本来の城塞の話に入ります。 ![]() 城塞内に一歩入りますと、中庭(クール、Cour)が現れます。中庭は全部で三か所あったようです。 ![]() このように中世の城を理解するためには、 ![]() さて、どのような時でも、行政権と司法権を行使するためには、ある程度の広さを備えた公的な空間が欠かせません。いつの時代も領主たちは、人々に自らの権力を認めさせるための、裁判や儀式、祝典などを行う場所を必要としました。すでに封建制の初期の頃から、城の中に領主が食事をとり、裁判を行い、会議を開く大広間が存在していました。食事が終わると、テーブルは片づけられ、必要な場合には裁判のための座席が準備されました。 ![]() 城塞自体は本質的に地味で荒々しいものですが、冷ややかな顔に浮かぶ微笑みのように、 ![]() 最後に中世のワイン事情ついてちょっと触れてみます。中世前期全体を通して、ワインは聖務や客人の歓待ばかりでなく文化の点からも神聖な飲物でありました。食事や快楽のためにワインを日常的に飲むことは、高度に洗練された豊かな状態と同時に、健康に対する配慮を象徴していました。ワインの追及には快楽と感動、さらには知と富と権力の肯定、多少とも見栄を張りたいという願望が入り混じるものです。客人を迎える時に、領主は鷹揚なところを示さなければならいこともあったでしょう。相手が滞在している間ぐらいは良いワインを出すということが、修道院だけでなく在俗の領主の居城でも、敬意と尊重の証となりました。さらに下ると、ワインは民主化されると同時に、全ての文化的創造物と同様、階級分化されていきます。中世後期になると、葡萄をつくる農民や都市周辺住民は、凡庸で安価なワインを大量に生産するようになり、それによってヨーロッパ南西部全体にワインの日常的消費の道が開かれていったのです。 ![]() ところで余談ですが、中世の城塞を調べている時に、『バスティード』(中世に出現した南西フランスの一群の都市集落)という研究書の執筆者の一人に、ボルドーで知り合った、当時ボルドー第3大学大学院に留学されていた若き研究者の名前が目に留まりました。現在、彼は某有名大学の文学部准教授(ヨーロッパ中世史)になっておりました。いつか機会があればお会いして、「フランスの中世と城」について教えを乞おうと楽しみにしております。本とはありがたいことに、知識だけでなく、こういう出会いの場も提供してくれるのです。 3月に訪れた《シャトー・ド・ファルグ》の興奮いまだ醒めやらず、門外漢の私が恐れ多くも、つい中世の城塞のさわりまで物語ってしまいました。フランス中世が残した、歴史的建造物に指定されている、この《ファルグ城》の荒々しくも美しい城塞に接した喜びを皆様に少しでもお伝えできましたなら幸いであります。 《シャトー・ド・ファルグ》の一刻も早い修復の完成が待ち望まれます。そして、そこでマエストロ・オザワの指揮のもと、繊細な優雅さと脆い美しさをそなえた名器ストラディバリウスの妙なる音色が奏でられることを夢見ております。 次回は今春訪れたボルドー・メドックの有名な<シャトー・マルゴー>、<シャトー・コス・デストゥルネル>そして<シャトー・ランシュ・バージュ>について語ってみたいと思います。 ![]() 追って、リュル・サリュース伯爵から6月21日に<シャトー・ド・ファルグ>の晩餐会で催された《Lumière et Musique― 光と音楽》のスペクタクルの写真が、開催された翌日にその時の様子を綴ったメールと共に送られてきました。当日は雨のようでしたが、幸いスペクタクルが始まる頃には止んだそうです。当日の招待客は、いろいろな光の模様や文字が彩る壮大な城塞のファサードをバックに音楽が奏でられるという、正に非日常の幻想的な雰囲気に暫し酔いしれたことでしょう。折角、このようなステキな晩餐会にお招きいただいたのに参加できなくて誠に残念でした。 城塞の大広間が完成した暁にはパーティを催しますので、その時は是非出席くださいとのうれしいお言葉が添えられておりました。ストラディバリウスの天使の音色を聴くことができるのでしょうか。リュル・サリュース伯爵のワインづくりと共に夢の集大成である《ファルグ城》の修復された姿を拝見できますことを今から楽しみにしています。 ![]() |
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