本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

シャトー訪問記(その31)


<Château Margaux(シャトー・マルゴー)>
 <シャトー・マルゴー>の続きをはじめます。19世紀のフランスの作家で美食家でもあったシャルル・モンスレ(1825-1888)は、ボルドーとブルゴーニュのワインについて次のように詠っています。
   “ボルドー、それは彼女(Elle) ブルゴーニュ、それは彼(Lui)
   彼には誇りと得意の風情 花に例えばヒナゲシの花 ブーケの栄誉を担っている
   彼女の方はどうかと問えば より控え目な炎の輝き その微笑みには仄かな色気
   ボルドー・ワイン、それは女。”
 確かに、ブルゴーニュに比べるとボルドーの赤は、人を引き込むような深みのあるルビーの色調、そして温和で馥郁とした気品ある香り、口に含んでのまろやかさとしなやかさ、そして何よりも複雑で精妙さという点で、ボルドーは女性的であるかもしれません。ただ、この点については異論も当然あります。
 ところで、ボルドーが女性的であるとしたら、 メドック格付け第1級の5つのシャトーのワインの中で最も女性的なものといえば、やはり、<シャトー・マルゴー>と答えるのが衆目の一致するところでしょう。<シャトー・マルゴー>は、ボルドー・ワインのもつ女性美の極致であり、ボルドーのみならずフランス・ワインの女王的存在といえるかもしれません。でも、現当主のマダム・メンツェプーロスはこうも述べています。「確かに、<シャトー・マルゴー>はフェミナン(女性的)と思われてきました。まろやかさ、複雑な味わい、調和などという意味で。しかし、そこに“弱い”という意味を含めないでいただきたいのです。かつてボルドー第2大学醸造学部のペイノー教授は<シャトー・マルゴー>を“ヒゲのある女だ”と表現していましたわよ」と。このワインが最近ますます強いワインになっていることは、この後の<シャトー・マルゴー2008年>の試飲でも感じました。
 さて、美人がしばしば数奇な運命に弄ばれるように、ボルドーの華麗な超一流シャトーも、それぞれ栄光と受難の歴史をもって今日に至っております。 なかでも、<シャトー・マルゴー>の歴史には、何処か一筋の糸で繋がってでもいるかのように女性の影が常に纏わりついているのです。現在、コリーヌ・メンツェロプーロスという一人の女性の手によって不死鳥のように甦り、美しく飛翔しているのも、奇しき因縁か宿命のように感じられてなりません。<シャトー・マルゴー>にとって新しい女主人をもったことは、女性的ワインが優れた女性の神経の行き届いた、より細やかなワインづくりを今後もつづけていくということになるでしょう。前回述べましたように、ルイ15世の時代に公妾となったデュ・バリー伯爵夫人に愛され、フランスの貴族社会でとみに名声が高まっていったのも、そこに女性の存在があったからです。そして、<シャトー・マルゴー>の長い歴史のなかでも、近年になると女系家族によって継承されることが多かったのも不思議な縁(えにし)を感じます。
 話は変りますが、<シャトー・マルゴー>といいますと、私の現役時代に日経新聞朝刊の連載小説として話題になり、後に映画化もされた『失楽園』(渡辺淳一著)のワインとして、すっかり有名になってしまった感がありますが、このワインの本来の姿をじっくり見せてくれる映画に『ソフィーの選択』(ウイリアム・スタイロン原作―ピューリッツァー賞、アラン・J・バクラ監督(1982年米国制作)―アカデミー賞を夫々受賞)があるのをご存知でしょうか。反ユダヤ気質のポーランド人でありながら、ナチスによる迫害を受け、心身ともにボロボロになってしまったソフィーは終戦後渡米します。アメリカに来て半年ほど経ったある日、彼女は詩集を調べるためにやってきたブルックリン大学図書館で倒れてしまいます。 栄養失調による貧血でした。この時、親身になってソフィーを介抱したのが自称生物学者のネイサンで、この出会いは二人の人生を変える運命的なものでした。彼女が運ばれてきた場所はネイサンの家。ベッドに横たわっているソフィー、そして彼女の顔色が悪いのは鉄分が足りないからと、「子牛のレバー」や「鉄分を多く含む西洋ネギのサラダ」を料理するネイサン。その彼が“特別の日だから、特別のワインを”と言って用意したもの、それが<シャトー・マルゴー1937年>でした。ワインを口にした瞬間、ソフィーはつま先まで広がっていく甘美で力強い温かさと、過去数年忘れていたワインの芳香と心の安らぎを実感し、思わずつぶやくのです。「もしこの世で・・・、この世で聖人のように清く生きて、そして死んだら、天上の楽園で飲ませてくれるのはこのワインよ」と。ボルドーを代表するこの高名な赤ワインを他にどのような言葉で表現したらいいでしょうか。穏やかだが芯の強い味。豊かで気高い香り。ベルベットのように滑らかで深いルビーの色調。<シャトー・マルゴー>の抜きん出た優美さは・・・、いや、薀蓄を傾ければ傾けるほど、この美酒の味わいを損ねてしまうような気がしてしまいます。それに比し、この映画での表現は、<シャトー・マルゴー>の品格と本質を最も的確に表現した言葉のように思えてなりません。<シャトー・マルゴー>を“言葉”で、すばらしいと実感させるこのシーンは一見の価値があります。『失楽園』では主人公ふたりが生きることを放棄しようとする時に、そして『ソフィーの選択』では生きるエネルギーを甦らせようとする時に<シャトー・マルゴー>を飲んだのであります。
 ところで、最近、渋谷Bunkamuraで見た映画「最後のマイ・ウェイ」(2012年フランス制作、フローラン・エミリオ・シリ監督)の中で、主人公(クロード・フランソワ)がパーティの席で<マルゴー>の言葉を発するシーンがありました。どんな時、どんな場でも、<シャトー・マルゴー>はフランス人にとって誇らしげな逸品なのでありましょう。余談ですが、フランク・シナトラの歌うあの「マイ・ウェイ」の原曲は,39歳で夭折したフランスのスター、クロード・フランソワが1967年に作詞・作曲した「Comme d'habitude(コム・ダビテュード)」であることをこの映画で初めて知りました。お聴きください。
http://www.youtube.com/watch?v=bMoY5rNBjwk
 もうひとつ、私事にわたって恐縮ですが、<シャトー・マルゴー>で忘れられない思い出があります。それは現役時代の最後に5年ほど仕えた今は亡き社長(当時)に、私が定年前に会社を辞する際に感謝の念とボルドー留学の思いを込めて1本のボルドー・ワインをお贈りしたことです。 そのワインは<シャトー・マルゴー1959年>でした。帝国ホテルで催されたクリスティーズのオークションで、2本だけ出品されていたのを落札したものです。先ずは、自分で1本飲みましたが、そのワインはアロマのエレガントさと果実の凝縮感が見事で、40年余という長い歳月を瓶内で只管熟成をつづけてきたためタンニンは力強いとまではいきませんが、まろやかで生き生きとしており肌理が細かい。それは均整のとれた実に美しいワインでした。その瞬間、会社を辞める時に社長に贈るワインはこれだと決めたのです。アッセンデルフトで葡萄の模様を描いたワイン用の布袋に入れて、当時、東京・丸の内の会社の近くにあった温度・湿度管理がなされていて、いつでも必要な時に持ち出せる個人用ワイン庫に預けました。今までの御礼と感謝の気持ちを認めた手紙と共にそのワイン庫のカギを社長にお渡ししました。社長は日頃あまりワインを嗜まれませんでしたが、快く受け取ってくださいました。社長が会長になられてから暫くして、ゴルフの帰りに<シャトー・マルゴー1959年>をレストランに持参して仲間の皆様と一緒に飲んで、とても美味しく大いに盛り上がったとのうれしい電話を頂戴しました。そして、ワインに詳しくない自分でも感激して、記念としてワインの空瓶を布袋に入れて大事に家に持ち帰ったよ、と楽しそうに話してくださいました。うれしかったですね。喜んで貰えて本当に良かったと思ったものです。これも<シャトー・マルゴー>というワインの功徳かもしれません。私がボルドーから帰国した時は、会長そして後に相談役に退かれて少し暇になったのか、拙宅にたびたび電話をいただきボルドーのことやワインのことなどいろいろと長話しをしたことを懐かしく思い出します。今や黄泉の国へ旅立ってしまわれ、誠に寂しい限りです。
 話を本来の<シャトー・マルゴー>に戻します。これからシャトー内と葡萄畑をご案内してまいりましょう。ご案内してくださるのは可愛らしいお嬢さんですが、 さすが有名シャトーの案内役のお嬢さんは醸造を含めて実に詳しく、いつも驚かされてしまいます。先ずは、醸造室から見てまいりましょう。<シャトー・マルゴー>のワインづくりは、変革とか最新の醸造技術だけに頼るというのではなく、昔からのワインづくりのよき伝統を守り、格付け第1級のワインに相応しい厳格な管理と注意深い手入れを実行していくことにありました。上質な葡萄果実が手に入れば、醸造はその最高の表現を引き出すことに全力を尽くすだけだと。発酵には古くからある容積150hℓの木製の大樽が今でも使われていますが、2009年からは27基のステンレスタンクと、いろいろな大きさの新しいオークの小樽が補完的に使われるようになりました。それらは、より厳密な小区画毎の醸造を可能にするために導入されたといいます。熟成は100%新樽で、18~24か月行われます。<シャトー・マルゴー>では、熟成に細心の注意が払われていることがよく分かります。
 メドックはジロンド河に近く、地下の水位が高い関係で、貯蔵庫は殆ど地上にありますが、<マルゴー>はそれに敢えて挑戦して多額の投資をしてまで地下の貯蔵庫を建設しました。当時としては画期的なことでした。今やメドックの中で最も壮麗な貯蔵庫のひとつとなっています。


 しかし、このような巨大な資力をつぎ込んで、<シャトー・マルゴー>の復活に取り組んできたアンドレ・メンツェロプーロスは、基本的な改修が軌道に乗り出した矢先の1980年に急逝してしまいます。この意志を決然と引き継ぎ、父以上の熱意と愛情を注いだのが、現当主である娘のコリーヌ・メンツェロプーロスでした。彼女は貯蔵庫等の改修だけでなく、持ち前のシックな趣味の良さをもって、“メドックのヴェルサイユ宮殿”と呼ばれた歴史的建造物の城館と庭園をも往時のままの美しい姿に甦らせたのです。新古典様式の特徴を備え、敷地を囲む建物すべてと調和を保ち、ワイン・ラベルのイメージ通り、<シャトー・マルゴー>を世界に知らしめる源となった品質そのものの象徴的存在となりました。城館内部の装飾は、フランスで最も優れたデザイナーが担当し、第一帝政様式に合わせて、当時の家具が長期に亘ってヨーロッパ中から買い集められたそうです。
 次に葡萄畑を見てまいりましょう。<マルゴー>の土地は小高い丘になっていますが、やはり<シャトー・マルゴー>の真髄といえば、砂と粘土をいくらか含む深い砂利層に育つ、すばらしいカベルネ・ソーヴィニョンであることに異存はないでしょう。今まさに収穫されんとする時に、私はそれを一粒失敬して食したことがありますが、メルロ顔負けのまろやかさで実に美味かったことを憶えています。正に驚異のカベルネ・ソーヴィニョンでした。丘を下るにつれて石灰混じりの粘土質の土壌となります。この多彩な土壌が、原料葡萄それぞれの個性を複雑にし、豊かにしているのです。そして、この壮大な<マルゴー>の葡萄畑から数百メートル道を上がったところにある、シャトー・アベル・ローランという小さな建物では、ソーヴィニョン・ブラン100%の果実味豊かな辛口白ワインもつくっております。
 土壌の性質が<シャトー・マルゴー>を美味しいワインにしている所以でありますが、このワインのすばらしさは、語るよりも味わうことに尽きます。 シャトー内を具に案内して貰った後は待ちに待った試飲の時間です。案内役のお嬢さんは惜しげもなく<シャトー・マルゴー2008年>と、そのセカンド・ワイン<パヴィヨン・ルージュ・デュ・シャトー・マルゴー2008年>を新たに抜栓してくださいました。誰もいない広い試飲室で、彼女の説明を聞きながら心ゆくまで味わうことができました。両ワインとも強さの中にも、特に<シャトー・マルゴー2008年>は、大きく抱きかかえるような包容力としての強さを主張していました。濃いルビーの色調で、春の花、カシス、甘草、バニラ等を思わせるエレガントな芳香を漂わせ、さすが女王の風格を感じさせる優美なワインに仕上がっておりました。これから更に2つのシャトーを訪ねなければならないので、試飲したワインは吐き出さないと酔っぱらってしまうと思いつつも美味しくて思わずごくりと飲み干してしまいました。<パヴィヨン・ルージュ・デュ・シャトー・マルゴー2008年>も、酸はやや弱いものの、新鮮さを感じさせるしっかりしたワインでした。こうして、初めての<シャトー・マルゴー>の訪問は瞬く間に過ぎていきました。
 <シャトー・マルゴー>、その偉大な名は、その歴史が生んだ物語を更に熟成させ、次なる時代の愛好家たちを美しい城館共々不動の壮麗さで歓迎してくれるに違いない。


 次回はこの後ランチに立寄ったマルゴー村近くにある地元で評判のレストラン、<ル・リオン・ドール>と<シャトー・コス・デストゥルネル>をご案内することにいたします。
 


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