本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
スペイン・バスク地方(サン・セバスチャン)の旅
![]() サン・セバスチャンの街とコンチャ湾 |
さて、いよいよ初めて訪問するスペインに入ります。留学時代に妻と訪ねる予定を組んでいたのですが、直前にマドリードで列車爆破テロが生じたため、止む無くスイス・ローザンヌへの旅に急遽変更したことがあります。今回はスペインの友、日本古来の言霊研究者のキロスさん(パリ高等研究院博士課程)のお蔭で、漸く憧れのスペイン訪問が叶いました。
私は、かつてスペインへやって来た作家たち、ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』、アーネスト・ヘミングウェイの ![]() スペインを除くヨーロッパの人びとはピレネーを越えると、そこは別の世界だと長い間考えていました ― ピレネーを越えれば、そこはアフリカだ、とまで言っていたのです。どうもその悪口はフランス人がよく言うところらしいのですが、これは半砂漠のようなスペインに対する揶揄でもあったのでしょう。最初に言ったのは、スペインに征服軍を送ったナポレオン1世だという説もあります。それ程このピレネー山脈を境に大陸の風土が一変するということなのでしょう。イベリア半島はジブラルタル海峡の狭隘な潮路でアフリカと接しているため、この半島南部はヨーロッパとアフリカを繋ぐ陸橋のようにも思えます。そのため古来、この半島には多くの民族が流入し、8世紀にはアラビア人までやって来て、文明と人種を混入させていったのです。でも、バスク人の強烈な自我意識は、「わしらは、昔からピレネー山脈にいたのだ」ときっと大声で主張することでしょう。 ![]() フランス国境を越え、やがてサン・セバスチャンの街が見えはじめた時は、漸くスペインに辿り着いたとの安堵感と共に心浮き立つ思いがしました。ここは人口18万を擁するスペインの堂々たる都市で、大きな建造物が建ち並び、車や人通りも多く大変賑わっております。スペインでは内陸にあるマドリードの暑気は耐え難いため、夏が来ると政府高官たちや有産階級の人たちが、この海風の吹く街に一斉に移ってくるそうで、夏の首都とも言われているためか、実に美しい街です。ここが「ビスケー湾の真珠」と讃えられていることに納得がいきます。 ![]() 上機嫌でバルを出ると、すぐ斜め前のサンタ・マリア教会の庭には見事な桜が咲いていて、私たちを迎えてくれました。これがスペインで見る初めての桜です。次に、ピンチョスで満腹になったところで、キロスさん自慢のコンチャ海岸へと向かいます。外は相変わらず寒い!ここの小さな入江はコンチャ湾といって、両腕を突き出したような2つの岬に守られています。海浜の上に<コンチャ海岸通り>という遊歩道がつくられていて、 ![]() その後、海岸の真ん前にあるホテルの眺めのいいカフェで、ゆっくりとコーヒーを飲んで冷えた身体を温めました。湾の入り口を抱くように東側の岬の先端の山の頂きに白い大きな像があり、街中を見下ろしています。それは巨大なキリスト像とのこと。この奇抜さはフランコ時代の発想か。フランコは、キリスト教の宣伝とカトリックへの過剰保護という点で、やり過ぎるほどのことをやった政治家であるから十分に考えられます。フランコが独裁政治をしていた時代には、バスク語は公用語としては認められず、街頭や広場でそれを話したり、教えたりした人々がしばしば逮捕投獄されたと聞いております。バスクの文化的独自性を全く認めなかったばかりか、バスク語を使うことまで罰したのです。幸い、フランコ後のスペインはバスクに対して譲歩的で、バスク語を認め、自治を認め、且つ独自に大統領を選出することをも認めています。 ![]() なお、バスク語なるものは、世界の数ある言語の中でも学ぶに最も難しいものの一つであるらしく、「神様がやっとの思いで悪魔をつかまえ、こんどこそ痛い目に遭わせてやるぞ、と様々な罰を課したが、悪魔は平気の平左で堪えた。ついに神様は一案を講じ、“3年間岩牢に閉じこもってバスク語を勉強しろ”というと、悪魔は真っ青になって平伏した」とか、「悪魔が7年間ビルバオで勉強したが、たった2語(ez:「いいえ」と、bai:「はい」)しか覚えられなかった」とか、「奴らはソロモンと書いてネブカドネザールと発音する」などとその難行の様子が面白可笑しく語られています。でも、私が今学んでいるラテン語の影響を多分に受けているようで、バスク語の実に75%がラテン語ないしロマンス語からの借用であるという言語学者がいるくらいです。であれば、意外に学ぶにとっつき易い言語かもしれません。ラテン語は今や死語に近いですが、バスク語は二千年に亘る言語的闘争に耐えて存続しているのですから、その生命力に拍手を送らずにはいられません。 因みに、ラテン語以上に難しいのは、ギリシャ語だとよく言われています。「難しくて解らない、ちんぷんかんぷん」だという意味のことを、英語で“It's Greek to me”という言い方をします。あの大文豪のシェークスピアすら、 ![]() さて、私たちは今日中にマドリードへ着くために、この美しいサン・セバスチャンの街をあとに、先を急ぐことにします。海岸沿いに、というよりは、より正確に海岸沿いの山を切り開いたような高速道路を走っていくにつれて、ただ一つの、いわば抽象的な仏・西国境を越えただけなのに、その地理的な、あるいは地勢の上での、全く瞠目しなければならぬほどの差異に吃驚させられます。それは、どこまで行ってもゆるやかな、幾分は眠気を催すほどに穏やかで緑豊かな丘のフランスとは全く違う光景に出合うからです。山に樹木は生えているけれども、その石灰質の灰白色の山々の面構えの険しさは、フランスの野と山と比べた場合、全く只事ではないという感をもってしまいます。誤解を恐れずに言えば、スペインはやはり山の国なのです。スペインという土地や国、その国の人柄というものを考えるについても、常に、“山”というものを念頭に置いておく必要があるように思いました。そういった風景を眺めながら、途中に数多くの電力用風車が見えたり、忽然と小さな町が現れたりする中を、キロスさんは制限速度一杯の130キロで悠然とハンドルを握り、時折私たちに説明をしながら故郷マドリードへ向けて只管車を走らせていきます。 ![]() 今回はこの辺までとして、次回はカスティーリャ・イ・レオン地方のブルゴスを経て、いよいよ首都マドリードへと向かいます。 |
![]() |
|
![]() |