本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

マドリードの旅(3)


王宮(Palacio Real de Madrid)
 本日は待ちに待ったキロスさんのお母様に初めてお会いする日です。滞在しているホテルで、キロスさんの迎えを待ちます。
 それまでに、ホテルの朝食が美味しいことを以前お話ししましたので、ここで簡単にご紹介しておきます。朝食は食べ放題のビュッフェ方式で、おまけに朝から赤・白ワインそして発泡酒カバも飲み放題ときていますので堪りません。 美味しそうなものが沢山あって、目移りがしてしまいそうです。スペイン名物の生ハム(ハモン・セラーノ)をはじめベーコン・ソーセージ類や卵料理も何種類もあって、魚介・肉料理そしてデザート・果物も豊富です。自分で好きな量だけ取ればいいのだから、少量ずつ、片っぱしから取ってお皿に並べると、それでも朝食としては結構な量になります。それがどれも実に美味しいのです。スペイン料理は日本人の口にとてもよく合います。毎朝、妻とここで食事するのが楽しみになってきました。この「カスティーリア・プラザ・ホテル(4つ星)」は部屋も広いし、最上階の部屋から眺める景色もいいし、宿泊代もリーズナブルな上に、滞在日数に応じて宿泊代が漸減していくからありがたいです。交通の便も誠に便利なところだし、さすが地元のキロスさんが予約してくれたホテルだけあります。ビジネスマンも多いように見受けました。みなさん、朝食をたっぷり取り、ワインを一杯ひっかけて、いざ出陣といったところでしょうか。
 さて、間もなくキロスさんが迎えに来てくれて、アルカラ通りを散策しながら、お母様がお待ちになるカフェへ向かいました。お母様は先に到着し席をとって、私ども夫婦を笑顔で迎えてくださいました。お会いするや否や長年お付き合いしている親戚の叔母様のような感じがして、挨拶から始まり、コーヒーを飲みながらキロスさんの通訳を介して、最初から話しが大いに弾みました。お母様は長年に亘り学校の教師を務められておりましたので、スペインの歴史にはキロスさん以上に知識がおありだとのこと。
 暫く歓談した後で、これからお母様のご案内でスペインの旧市街にある歴史的建造物を見て回ることにしました。地方ごとに多彩な文化が混在するスペインの中でも、首都マドリードはもっともスペインらしさがあるといわれております。市内の中心部には、ハプスブルク時代の豪壮な建築物が聳えたち、小さな路地を入れば、昔と変わらないと思われる風情が残っていました。首都というと、何か無機質な大都会を想像してしまいますが、この街はそんな先入観をいい意味で拭い去ってくれそうです。メインの観光エリアは、広大な市域の中でも中心のごく一部にあるため、お母様の懇切丁寧な説明を受けながら、行くべき場所に全てのんびりと歩いていける距離にあるのが何ともうれしいことです。早速にお母様と妻は仲良く腕を組んで歩きながら、時折何やら身振り手振りを交えて話しています。果たして通じているのか。まるで姉妹のようですね、と二人の後ろ姿を見てキロスさんは言う。ゆっくりと散策すれば、ふと目にとまった小さなお店が、実は100年をゆうに超える歴史ある老舗だったりしたことに気付き、新奇なものを追いかけるより伝統的なものを大切にする、この街が育んできた独自の文化が見えてきてありがた味が増します。
 先ずは、旧市街の中心、プエルタ・デル・ソル(Puerta del Sol、太陽の門)からスタートしました。キロスさんのお母様が優しい笑顔で語りかけてくださいます。マヨール広場(Plaza Mayor,中央広場)の入口クチリェロス門から入ると、眼前には石畳の四方を、中世以来の壮麗な装飾がほどこされている見事な建築物とアーケードが囲む大きな広場が見渡せます。中央には堂々たるフェリペ3世の騎馬像がありました。

 ところで、私は予てからヨーロッパの町が日本の町と違っていることのひとつに、「広場」というものの姿があるように思っていました。それは、どんな小さな町でも住民の生活の延長として広場があり、どの通りを歩いてもいつしかそこへ行きつくようになっているのが不思議だったからです。このような町の構造は、確かに日本の町にはめったに見られないもので、そのことから町の概念そのものに根本的な差異のあることが知られもします。日本の町の生活はむしろ「道」にかかわるものなのでしょうか。私たちは偶々そこへ歩を踏み入れても、そのままさっさと通り過ぎてしまうことになりがちです。道、路地の生活に慣れ親しんできた私たちは、今もさほど広場を必要としていないのかもしれないと思いながら、この大きなマヨール広場を眺めました。
 フランスでも、そうでした。ヨーロッパの町の広場では人々が立ちどまっているのです。そればかりかそこを目指して群衆が集まり、何か集団であることを楽しもうとするかのような動きもみられます。座ったり佇んだり渦をつくったり、独特の自然な運動を繰り返すありさまは、それが彼らの都市生活の必然であることを思わせるようで面白かった。 今は昼間ですが、これが夕刻ともなると仕事あるいは昼寝を終えてから広場に繰り出してくる人波は驚くべきものがあることをフランスで体験済みです。老若男女、一様に晴れ晴れとした表情で行き交い佇み渦をつくり、出会えば抱きあい叫びあい見そめあったりもして、その足元では、子供たち、犬たちが駆け抜け、歓声があがり、その歓声が又ひとつひとつ区別できない太いざわめきのかたまりになって、周囲の大きな建物の壁にこだまするといった状態にまで立ち至ります。これはもう何か異邦人である旅人にとっては魔法のような体験だといってよいでしょう。特に、スペインの広場はすごいように思います。広場を表すスペイン語のプラサ(Plaza)というのはフランス語のプラス(Place)などとはどうも違うものだという気がしてきます。今でもマヨール広場には大勢の人たちが集まっていますが、夕刻に近づくにつれて人の数はどんどん増えて、そのうち闇が訪れる頃には、群衆はもはや黒いかたまりのように変わってきます。すごいエネルギーです。はじめは子供たちの活躍が目立ち、前後左右にその不揃いな影が飛びかっていましたが、そのうち同じ高さに連なる大人たちの黒い影が揺れ出すのです。ここマヨール広場はスペイン史上の汚点「異端審問」の処刑場にもなったとのことで、亡霊たちもこのざわめきにさぞ驚き、落ち着かないことでありましょう。それともこの喧噪を楽しんでいるのかもしれません。この広場で闘牛も催されたといいます。いつかヨーロッパの広場について語りたいと思っていましたので、この場を借りて少々長くなりましたが私論を披露させて貰いました。
 先に通ったクチリェロス門から続くアーケードに戻ると、ここは“刃物売りのアーチ(Arco de Cuchilleros)”という妙な名の付いたトンネル状の階段で、この近くの店を覗いて妻がいくつかお土産を買いました。 このアーチを潜り抜けたところがメソン(Mesón)と呼ばれる穴倉酒場の密集地だそうです。アーケードの所々にある通風孔の隙間から、穴倉酒場の歓声が、おいでおいで、と言わんばかり漏れてきます。ひとりでに足が向かうような気になってしまいます。その昔、大盗賊ルイス・カンデラスの隠れ家だったという「ルイス・カンデラスの洞窟亭(Las Cuevas Luis Candelas)」なる店の前で、お母様は洞窟亭の見張り番らしき者に一言声を掛けるや、さっさと入り込んで奥へ奥へと私たちを案内し、それがすむと、何も飲まず食べずに、にこっと会釈しただけで立ち去りました。見張り番とお母様が馴染とは思いませんが、彼の方はきょとんとしながらも笑顔でもって送り出してくれました。いやー、阿吽の呼吸というか、実に面白かったです。
 次に向かったのは、マドリード旧市庁舎のあるヴィリャ広場です。この旧市庁舎は17世紀に完成したバロック様式の建築です。ここは他の広場と違って一種カオス的な形状をもつ広場で、中央には無敵のアルメイダの異名をもつ提督の像が据えられていました。広場の周囲には傑出した建築物がいくつも並んでいますが、その中で最古のものは15世紀に建設されたモーリタニア様式(北西アフリカのモーロ(ムーア)人が伝えた建築様式)のルハーネス邸の塔です。馬蹄形をした入口が設えてありました。ヴィリャ広場の周りには細い通りや小さな広場がいろいろあり、中世の雰囲気が漂います。
 途中でセゴヴィア通りに架かる陸橋を眺めながらアルムデーナ大聖堂に着きました。この陸橋は19世紀末に完成した当時、初の鉄橋として話題を集めたそうです。現在は鉄筋コンクリート製ですが、この上からはガダラマ山までつづく美しい景観を望めます。そして、アルムデーナ大聖堂の外観は典型的なゴシック建築の特徴をもち、上へ上へと伸び、王宮の古典的な平行線と見事なコントラストを描いていました。
 いよいよアルマス広場を通って王宮(Palacio Real de Madrid)へ向かいます。王宮の建つこの地は11世紀にカスティーリア王国の宮廷が置かれ、16世紀には国王の居城となり、スペインの中でも最も絢爛豪華な歴史の舞台となった場所です。現在の王宮は、ブルボン王朝の1736年にフェリペ5世の命により計画され、長い歳月をかけて建てられたものです。現国王はマドリード郊外のエル・パルドに居を移していますが、国家元首クラスの賓客をもてなす迎賓館として今なお現役です。王室内には、時代の最高水準を誇るタピスリーや古時計やシャンデリア等の装飾品がぎっしり詰め込まれた至宝が揃い、この王宮自体が王朝の栄華を追体験させる巨大な芸術作品であり、比類なき文化遺産でもあるのですが、残念ながら遅めの昼食(この様子は次回にお話しします)をゆっくりと楽しんでしまい、受付は既に終了しておりました。でもキロスさんのお母様の解説がすばらしく、外から眺めただけでも王朝の栄華に暫し浸ることができました。
 お母様のご説明の中でも圧巻だったのは、オリエンテ広場に建つフェリペ4世像の時でした。この像はマドリードで一番美しい銅像との誉れが高いもので、フェリペ4世はイタリア人の彫刻家ピエトロ・タッカに自身の騎馬像を制作させました。 その際に、同じピエトロ・タッカ(胸部だけはファン・マルティネス・モンタネスが制作)が作ったマヨール広場にある父フェリペ3世の騎馬像よりも優れた自分の像が欲しいと注文をつけたのです。その芸術的価値は勿論、技術的な面からも騎馬像の傑作とされています。2本の後ろ足で立ち上がったこの騎馬は世界初の試みであり、その尻尾は下がっています。この像のバランスを計算したのが、かの有名なガリレオ・ガリレイでした。馬の足と両前足の中身を空洞にし、お尻から後ろ足の中身を重たくすることで物理的に解決したのです。更に凄いのは、制作のためにモデルとして下敷きにするように指定したのが、何とベラスケスの作品だったというから驚きです。こうして世界最高の名匠たちによる騎馬像が1843年、イサベル2世の命によりオリエンタ広場に設置されたのです。フェリペ4世の権勢の絶大さが伺われます。台座のレリーフにはサンチャゴ騎士団の服装をしたベラスケス像が彫られ、フェリペ4世がいかに芸術を擁護し、ベラスケスを宮廷画家に迎えた王であったかを示すものとして語り継がれています。こうしてキロスさんのお母様は熱弁を振るって、私たち夫婦にマドリードの至宝について分かり易く説明をしてくださいました。
 このオリエンテ広場を囲む建物は殆どが19世紀に建造されたもので、その中の代表格と呼べるのが王立劇場です。それからエンカルナシオン修道院を見て、マドリードの楽しい歴史探訪の一日は終わりました。キロスさんのお母様の懇切丁寧なご案内のお蔭で、この不思議な魅力に溢れるレアル(Real=Royal、王の、王位の)・マドリードの由緒ある旧市街を存分に体感することができました。感謝のみです。

 今回は旧市街にある歴史的建造物のご案内だけで紙数が尽きてしまいました。次回はゆっくりと昼食をとったレストラン「エル・マドローニョ」と夕方訪れたチョコラテリア「サン・ヒネス」の様子を、マドリード郊外にあるフラメンコの名店「ラ・キメラ」のご紹介と併せてお話ししたいと思います。