本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

マドリードの旅(5)


EL MADROÑO(エル・マドローニョ)
 さて、マドリードの食べ歩きをつづけましょう。キロスさんのお母様の案内でマドリードの旧市街の歴史的建造物をいろいろ訪ね歩き、つい昼食が遅くなり午後3時近くになってしまいました。でも、この時間は私たちの感覚では随分と遅いのですが、スペイン人にとって午後2時から4時頃まではごく普通のようです。ところで、食事のことはスペイン語でコミダ(Comida)といいますが、スペインの人たちは実によく食べ、よく飲みます。「食事と食事の間に働いている」ようにもみえます(キロスさんは、決してそうではないので怒られそうですが)。朝・昼・夜の食事の間に軽食もとるといった具合です。生活にワインは欠かせず、「ワインがなくなったら革命がおきる」などと物騒なことまでいわれておりますが、それ程までにワインは必需品ということなのでありましょう。でも、三食(あるいは五食)を必ずしもたっぷり取っているわけではなさそうです。
 先ずは、一般的なスペインの一日の食事を覘いてみましょう。 朝食(デサユノ、Desayuno)は、チューロスという細長い揚げパンにチョコラテ(ホット・チョコレート)などで簡単にすませます。最近はコーヒー(カフェ・オ・レ)にクロワッサンや甘い菓子パンという人たちも多いようです。軽食(オンセ、Once、11の意味),午前10時から11時頃にバルなどでボカディージョ(Bocadillo、小さめのフランスパンに(生)ハムやトルティージャ(スペイン風卵焼き)などを挟んだサンドイッチ)をつまみながら一杯やります。勿論、人によって多少違うし、食べない人もいるようです。昼食(アルムエルソ、Almuerzo)は、最も大切な食事で、だからコミダ(Comida、食事)ともいうのでしょう。ワインを飲み、しっかりフルコースを楽しみます。自宅へ帰って食べる人も多く、レストランの昼食時間も午後2時から4時頃が普通。ゆっくりと2時間はかけるといいます。そのあと伝統的なスペイン流生活を送っている人はシエスタ(昼寝)をしますが、都会のビジネスマンはシエスタというわけにはいかないようです。因みに、シエスタ(Siesta)という言葉は、ラテン語のhora sexta(第6時)におけるsextaに由来しています。即ち、日の出を基準として「第6時」(日の出から6時間後)、凡そ正午あたりの時間帯の意味です。次に、おやつ(メリエンダ、Merienda)は、夕方帰宅前にタパスをつまみながらワイン、ビールまたはコーヒーなどでワイワイやります。バルが最も混む時でもあります。そして、一日の締めくくりとなる夕食(セーナ、Cena)は、午後9時から10時頃と遅く、スープに魚や卵料理などで比較的軽く済ませるのが一般的のようです。しかし、夕食をしっかり食べる人もおり、レストランが再び開くのもこの時間帯です。家庭での夕食の後、観劇やバル巡りに出掛ける人も多く、日中静まり返っていた通りが再び賑わいはじめます。こうして一日の食事が終わります。食べることが好きなものにとって、スペインは実に楽しいところです。ただし、前述のように食事の時間帯が日本とずれていることに注意が必要です。昼の12時にお腹がすいたからといっても、レストランは開いていません。夜は午後9時から12時。もし、レストランの営業時間外にお腹がすいたら、スペイン流にバルでワインかビールを飲みながら軽くタパスでもつまんで間をもたせることです。郷に入れば郷に従えです。
 キロスさんのお母様が昼食に案内してくださったのは、マヨール広場近くのセゴビア通りにある、タベルナ(Taberna)の名店「エル・マドローニョ(EL MADROÑO)」です。 既に1階のバーも、2階も満席でしたが、お母様が予約していましたので、お店を一望に見渡せるいい席でゆっくりと昼食をとることができました。この店は至る所に見事な絵タイルが嵌め込まれているのでも有名とのこと。お母様の説明によると、バーの正面にある絵タイルは、ベラスケスの「La vieja friendo huevos(目玉焼きをつくっている老婦)」と「Los borrachos(酔っぱらいたち)」を写したものだそうです。その他にも美しい絵タイルがそこかしこに飾られており、食事をしながら見ていても楽しくなってきます。中には、「マドリードの紋章の歴史」という表題の8つの紋章が描かれており、下部に水面、中央に黒く光沢のある石(火打石)がモチーフとして表されている図柄のものがあり、最古のマドリードの紋章であることを知りました。この図柄は、“Fui sobre agua edificada,mis muros de fuego son(我は水の上に築かれた。我が壁は炎である)”を表現しているそうです。
 料理はお母様お奨めの、「野菜(アスパラガス、トマト、ナス、ズッキーニ)のグリル(Parrillada de verduras(Espárragos,Tomates,Berenjenas,Calabacines))」、「茹でた車海老(Langostinos cocidos)」,「パルミジャーノ・チーズをかけた牛肉のカルパッチョ(Carpaccio de buey al queso parmesano)」。そして,メイン・ディッシュはこの店自慢の「仔羊のグリル(Cordero asado)」か「仔山羊のグリル(Cabrito asado)」。私は珍しかったので「仔山羊のグリル」の方を選びました。これに合わせるのは、「リベラ・デル・ドゥエロ(Ribera del Duero)」のボデガス・イスマエル・アロヨ(Bodegas Ismael Arroyo)のつくる<ヴァル・ソティーリョ・レセルバ(Val Sotillo Reserva)1994年>です。「リベラ・デル・ドゥエロ」は、リオハと並ぶスペインの2大高級赤ワインとして知られています。
 「エル・マドローニョ」での昼食は、スペインならではの絵タイルに囲まれた雰囲気の中で、どの料理もワインもすばらしかったです。特に、「仔山羊のグリル」の味は忘れられません。匂いは少し強いですが、山羊乳のチーズを食べるのと、そうたいして違いません。日本では山羊や羊の肉の臭味を気にし過ぎるように思います。ラム、マトンというと匂い消しが第一の問題になりますが、折角の独特の香りなのに手間をかけて消すというのは何か勿体ないような気がします。 山羊も羊もたとえようもなく自然のいい匂いなのですから。ゼラチン質たっぷりの仔山羊のグリルの充実した美味さは、比類がないことをこの店で知りました。仔山羊のアサド(グリル)は、肉を鍋に入れて、ほんの少量の水で蒸し焼きにしてから、この肉を入れた鍋をオーヴンに入れてグリルしたものではないでしょうか。本当のところはよく分かりませんが、仔山羊の皿には、いわゆるグレイヴィ・ソース(肉汁)がついています。鍋の底にたまった肉汁に味をつければいいわけで、ただのグリルだけではこうはうまくいかないのではと思ったからです。 細い、いたいけともいうべき仔山羊の脚の骨をつまんでその柔らかな肉を食す。そして熟成した<ヴァル・ソティーリョ・レセルバ1994年>を飲む。実に幸せなり!スペインに来て良かったと思わせてくれる瞬間でもあります。1994年の<ヴァル・ソティーリョ・レセルバ>は、ティンタ・デル・バイス(テンプラニーニョの別名)100%でつくられており、力強く、甘草、ミネラル、カシスなどの香りが複雑に混ざり合います。広がりがあり、豊かで、バランスもいいです。熟成が進みまろやかになっており、丁度飲み頃を迎えていました。仔山羊のグリルとのマリアージュは絶妙でした。最後のデザートは、ビスケットとチョコレートでつくった壺のような容れものに入った、この店特製のリキュール(Licor)と共に楽しみました。そして何よりもそこにはキロスさんとお母様との楽しい語らいがありました。充実したマドリードの昼下がりの一時でした。
 その後、更に王宮等を見て回り、キロスさんのお兄さんご一家の待つ場所へ向かいました。私たちのために、お兄さんご夫妻とお二人のお子さん、奥様のお母様までお越しいただきすっかり感激し恐縮してしまいました。そして、スペインの名物として有名な、長細い棒状の揚げパン“チューロス(Churros)”を食べに行こうということになりました。チューロスを出す店は沢山あるそうですが、何といってもお奨めは、1894年創業の老舗「チョコラテリア・サン・ヒネス(Chocolatería San Ginés)」とのこと。早速に出掛けましたが、夕食前の時間帯とあって店内はもとより外まで長蛇の列。暫く待って漸く地下に空席を見つけることができました。 そして定番の「チューロス付きチョコラテ(Chocolate con churros)」を注文しました。チューロスは太さを選べ(太めと細め)、これをチョコラテ(ホット・チョコレート)につけて食べるのがスペイン流で、表面はカリッとして食感はモチモチで、甘くなく程よい塩味がまた絶妙に合います。チョコラテはカカオのビターな香りが芳醇で、これまた抜群に美味しい。先程昼食を食べたばかりでしたが、ペロリと平らげました。小生が細めのチューロスを食べていたところ、隣の席のご夫婦が太めのも美味しいわよと1本くださいました。両方とも美味い!この店は24時間営業とのことで、マドリードでは真夜中まで食べて飲んで遊んだあと、帰りに食べるのがこのチョコラテ・コン・チューロスだそうで、日本でいう〆のラーメンといったところでしょうか。スペイン人の朝の定番でもあるチョコラテ・コン・チューロスは朝から晩まで大人気なのですね。マドリードの良き思い出となりました。
 ところで、この店の隣にはこれまた個性的な歴史を有する「エスラバ劇場(Teatro Eslava)」があります。1871年に華々しくこけら落しがなされたといいます。1917年にはバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の主宰者ディアギレフの依頼で、スペインの著名な作曲家マヌエル・デ・ファリアが作曲し、舞台・衣装デザインにパブロ・ピカソを起用したという有名なバレエ音楽《三角帽子》(アンダルシアの民謡をもとにした短編小説からつくられた)が、ホアキン・トゥリーナ指揮のマドリード・フィルハーモニック・オーケストラの演奏で初演されたことでも有名です。(リッカルド・ムーティ指揮、ウイーンフィルハーモニー管弦楽団によるバレエ組曲《三角帽子》第2番をお聴きください。https://www.youtube.com/watch?v=6d9rVVty3SI)。
 歴史を通して有名な音楽家や芸能人等が常に出入りした「エスラバ劇場」、その隣の「チョコラテリア・サン・ヒネス」にも、スペイン王室をはじめ政財界、音楽家、芸能人、そして近年はハリウッド・スターまでが訪れるようになったらしい。壁に著名人の写真がずらりと飾ってあることに納得がいきました。
 ここで、キロスさんのお母様とお兄さんご一家に別れを告げ、私たちはキロスさんの案内でマドリードの夜を更に楽しむために、スペインの伝統舞踊フラメンコを観に郊外のタブラオへと向いました。お母様をはじめ皆様、楽しい一時をほんとうにありがとうございました。