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ボルドー便り vol.45
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本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- 古書とワイン(その1) - Passage Vivienne |
私はワインと共に古書をこよなく愛する一人です。皆様には表題の如く古書とワインがいったいどう結びつくのか不思議に思われるかもしれませんが、そのひとつは古書のコレクターとワインのコレクターがある程度重なりあっているように思うからなのです。特にそのことはイギリスにおいて顕著に見られるように思います。かつてクリスマスの時期になると、イギリスから<本屋のワインシェルフ>(葡萄酒棚、ブックシェルフ(本棚)とワインセラー(葡萄酒貯蔵庫)をもじった造語なのでしょうか)と題する粋なワイン目録を送ってくる古書店主がいたからです。なかなか充実した興味をそそるワインリストでした。このワイン目録を眺めていますと、「どうだ、まいったか」という古書店主の呟きが聞こえてきそうで、いかにも店主自らが密かに年に1回発行するワイン目録をつくるのが楽しくてしょうがないという気持ちがひしひしと伝わってくるものでした。それからロンドンのあるブック・クラブからもクリスマス用のワインリストが送られてきたような記憶があります。このようなことはフランスでも日本でもあまり聞いたことがありません。中世の時代からこよなくワインを愛する国民性なのでしょうか。それは300年にわたってボルドーがイギリス領であったことが大いに影響していることと思います。また、近年ワインに関する名著といわれているのはいずれもイギリス人によって執筆されたものが多いのです。そしてロンドンのセント・ジェームス通り(St.Jame's Street)等には立派なカーヴを持つ、魅力的なワインの老舗(「Justerini & Brooks」等)が軒を連ねています。 さて、昔の書物の生産・流通とワインづくりに共通するものはなんでしょうか、となぞめいた出題をいたします。その答えはあとで回答することにして、その前に古書について少し述べてみたいと思います。先ずイギリスが話題になったところで、ロンドンの古書店の話からはじめてみます。世界の古書の中心市場たるロンドンの地位は、今日に至るも不動のように思います。世界一古書店の多い東京に比べますと数の上では負けますが、歴史の古い有力な古書店そして特色のある専門店の多いことではロンドンは依然世界一でしょう。そしてロンドンの古書店といえば『84,CHARING CROSS ROAD(チャリング・クロス街84番地)』― アメリカの知的な一流趣味をもつ女性とチャリング・クロス街にある古書店のみなさんとの20年にわたる心温まる往復書簡集を思い出します。この書簡には英文学の極めつきの古典が次々と紹介され、ほのぼのとした交友が綴られています。 古書をこよなく愛する一人として、外国の古書店で、書物の表紙を吟味し、モロッコ革の匂いに陶然となって、紙の手触りを楽しみつつページを繰る時のあのスリリングな楽しみは譬えようもありません。時には、幸運の女神が微笑んでくれたのか、自分が長い間探し求めていた本が偶然目にとまり、それが信じがたい安い価格であると尚更です。イギリスには大学の街、エディンバラやオックスフォードやケンブリッジ等にもいい古書店がいろいろあるそうですが、残念ながらロンドンしか知りません。 イギリスの作家、ジョージ・ギッシング(1857-1903)は、私の愛読書の『ヘンリ・ライクロフトの私記』の中で「自分の本よりも図書館から借りだした本で読んだ方が書物は読めるという人がいるのを私は知っている。だがこれは私には理解できないことだ。私は香りをかいだだけで自分の本一冊一冊がすぐわかるのである。ただ鼻先をページの中につっ込んだだけで、私にはすべてのことがぴーんとくるのだ。愛蔵しているギボン、つまり装丁のしっかりした八冊のミルマン版ギボンなどは30年以上も読みつづけてきたものだが、それを開けるとたちまちページの香りが、はじめてこれを賞品としてもらったときのあの天にも昇る喜びをまざまざと私の心によみがえらせてくれるのである。(中略)あの鮮明な活字で『ローマ帝国衰亡史』を読む喜び!」と述べています。まるでワインの香りをかいだ時のような喜々とした様子が伝わってくるようで納得してしまいます。 それではフランスの古書事情はどうでしょうか。パリの街の地図を広げてみましょう。この美しい都のほとんど真ん中を、大きく湾曲しながら東から西へ流れるセーヌ河の中に、ノートル・ダムの大伽藍をのせたシテ島があります。そのシテ島から橋を渡ったセーヌ左岸一帯に、パリの古書店の半分以上が集まっています。中世からはじまった名高いソルボンヌ大学とコレージュ・ド・フランスを中心にしたカルチェ・ラタン、その中心にあるサン・ミシェルの大通りの両側、特に西側に古書店が多くあります。ただし、大通りをちょっと入ったセーヌ河岸に近いセーヌ通り(Rue de Seine)からボナパルト通り(Rue de Bonaparte)が神田の神保町に相当するかもしれません。ただ、あのように軒並みではなく、わずかずつ離れて点在しています。専門の分野をはっきり掲示した店が多いのも特色です。でも、セーヌ河といえば何といっても有名なのは河岸にある露店の古本屋でしょう。「パリの空の下、セーヌは流れる」という有名なシャンソンがありますが、セーヌ河はただ漫然と流れているのではありません。詩人アポリネールは「セーヌは本に支えられながら流れる(La Seine coule maintenue par les livres)」と詠んでいますが、その通りで、世界に河川は多しといえども、本に支えられながら流れる河はセーヌだけでしょう。古本屋をフランス語では、ブキニスト(bouquiniste)といいます。この古本を探し求める人はブキヌール(bouquineur)となります。今では観光客も必ず一度は冷やかすパリの名所となっています。激しい風雨の日には、さすが彼らも早じまいしているかもしれません。けれど閉じられたままの緑色の蓋が川岸にずらりと整列して、都に降る雨に打たれている姿、これはこれで旅情を十分かきたててくれます。ブキニストは現在ではパリの風物詩として欠くことのできない存在といえましょう。だが、今ではそんな店から掘り出し物が見つかることがほとんどないのは、あのモンマルトルのテルトル広場の画家たちから、ユトリロやモディリアーニが出現する可能性がゼロに近いのと同じでありましょう。アナトール・フランスもまた、自らブキヌールであることについて、「私は河岸でモリエールやラシーヌの初版本を見つけたためしがないが、その代わりに多くの教訓を発見した。河岸には木があり本があるばかりでなく、たくさんの女性が通る。河岸こそ世界で最も美しい場所だ」と礼賛していたのを思い出します。その通りで、河岸は世界遺産にふさわしい美的そして知的条件を備えており、ブキニストはパリにとって掛け替えのない遺産相続人であることも確かなように思われます。でも私の好きなパリの古書店は、セーヌ右岸にあるパサージュにあります。つまりパリのアーケード街―パサージュ(passage)―正式にはパサージュ・クヴェール(passage couvert,屋根付き抜け道)というところです。豪華なものはギャルリー(galerie)とも呼ばれます。ドイツのヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)は著書『パサージュ論(Das Passagen-werk)』の中で「ガラスの屋根に覆われたアーケードは、室内なのか。ふらりと通り抜けできる以上、屋外か。どっちつかずの中間地帯のまま時代に忘れられた、街の胎道である。産むことを忘れた母である。晴れと雨とに関係なく、朝も夕方も、同じ薄暮の中で眠っている」と表現しています。ベンヤミンによると、「パッサージュの多くは1822年以降の15年間につくられた」といわれています。フランスの19世紀は王政、帝政、共和制が入り乱れていましたが、そのうちの王政復古と七月王政の時期にあたります。当時のパリは、大都市でありながら、道路の状態が極めて悪く、舗道も下水も不備なパリにあって、パサージュは雨と泥濘から歩行者を守り、楽しげな商品で人々の目を慰めてくれた、今でいうトレンディな実用と娯楽のスポットであったのでしょう。しかしパサージュの洗礼を受けた散歩者の寵愛を長くその身に引きつけておくことはできなかったようです。より総合的なショッピングセンターであるデパートの出現と、ナポレオン三世のもとオスマン男爵が敢行したパリ改造が、ベンヤミンが指摘するようにやがて時代に忘れられた遺物に追いやってしまったのです。寂れてから百有余年。最近のレトロブームを反映してか、この19世紀の遺物の密やかな雰囲気が再び注目を浴びるようになりました。ここには私の好きな古書やワインをはじめアンティーク弦楽器修理、アンティークドール、古ステッキ、古絵はがき、勲章、切手、封蠟からカフェ、ホテル(「オテル・ショパン」)までといった興味ある専門店が「縮図化された一つの世界、小宇宙」として収められております。そして興味を惹くのは、全盛期のパサージュには、どこでも必ずといっていいほど「読書クラブ」が店を構えていたということです。読書クラブ(Cabinet de lecture)などと気取っていますが、要するに体のいい貸本屋(Loueur de livres)のことだったようです。ここは、新聞・雑誌の閲覧だけの小規模店から、数万冊の蔵書を誇り、豪華なサロンや小講堂まで備えた立派な店までさまざまだったというので、やはり読書クラブと呼んでおくのが無難なのでしょう。新聞・雑誌・単行本、いずれも買うにはまだ高かったし、公共図書館も完備していなかった時代に、パリの貸本屋は19世紀半ばに、都市の風物詩として、またパサージュの定番として賑わいをみせていたのです。そういえばパサージュのひとつであるパサージュ・ジュフロワの「オテル・ショパン」の隣にある古書店で偶然見つけたのが、《ボルドー便り》vol.28で書きましたエリック・サティの楽譜とシャルル・マルタンのポショワールの入った『スポーツと気晴らし(Sports et Divertissements)』(1919年)でした。あの時の感動はいまだに忘れられません。パサージュの中の古書の風景は、私にとっては十分に絵になる風景でした。それともうひとつパリには興味ある古書街があります。それは最大規模を誇る蚤の市、クリニャンクールの中のマルシェ・ジュール・ヴァレ(Marché Jules Vallès)です。 ボルドーにもいくつか古書店はありましたが、意外とこれといったワイン関係の古書に巡り合えなかったのですが、唯一の収穫はルイ・ラルマ著『ATLAS DE LA FRANCE VINICOLE ― LES VINS DE BORDEAUX』(1941年刊)のフォリオ版(二つ折版)の中にある美しく彩色を施された8葉のボルドーワイン地図でした。この大判のワイン地図と巡り合ったことをもって良しとしましょう。 パサージュで思い出しましたが、ロワール地方のナントにあるパサージュ・ポムレーが大変印象に残っています。3つの層に分かれており、ガラス張りの天井は明るく、円柱や周りの彫像の古典的な装飾が実に見事です。パリとは一味違った趣を醸しだしております。 アメリカの古書事情はどうでしょうか。ニューヨークはよく知りませんが、ワシントンDCにあった小規模ながら軒を連ね、良質の本を揃えていた古書店にはいい思い出があります。それは、この古書店で先に述べた『ヘンリ・ライクロフトの私記(The Private Papers of Henry Ryecroft)』の初版本(1903年刊)に出合ったからです。この店の天井近くの棚には見事な木彫りの“ふくろう”が置かれていました。ミネルヴァが幸運を呼んでくれたのかもしれません。そしてミステリー『死の蔵書』(ジョン・ダイニング著)で有名になったコロラド州デンヴァーにもいい古書店がありました。 外国の古書店やパサージュをいろいろ覘いてきましたが、今では神田神保町の古書街を散策するのが一番気楽で楽しいように思います。懐かしい友人がいつも待っているようなそんな街で、お気に入りの一冊の予期せぬ出会いを楽しみに・・・。それでもなおパリの古書店への想いはやはり絶ちがたいものがあります。 さて、大分横道に逸れてしまいましたが、冒頭に出題しました昔の書物の生産・流通とワインづくりに共通するものはお分かりになりましたでしょうか。正解は“プレスと樽”の使用です。次回に詳しく述べてみたいと思います。 |
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