今回はアメリカ人の著わしたワイン書について述べてみたいと思います。
先ずはワインに興味をもちはじめた頃に入手した、アレクシス・リシーヌ著『ENCYCLOPEDIA OF WINES & SPIRITS』(1967年)は思い出に残る一冊です。この本を開けばワインをはじめ酒類に関することは殆ど分かる、正に酒の百科事典です。随分と役立ち、そして楽しませてもらいました。当時はこのような纏まった本があるのを知っただけでもう感激でした。残念ながら本書は大部(700頁余)であったためか、とうとう邦訳はされずじまいでした。著者のアレクシス・リシーヌはこよなくワインを愛したアメリカ人で、ボルドー・メドックのマルゴー村にある1855年の格付け第4級のシャトー・カントナック・プリウーレを購入し、1989年に亡くなるまで彼の名前を新たに冠した<シャトー・プリウーレ・リシーヌ(Ch.Prieuré-Lichine)>に住みつき、氏の理想とするワインづくりに精を出しておりました。ここは今でもメドックの大きなシャトーの中で、無休で訪問客を温かくもてなしてくれる数少ないシャトーです。12年ほど前に私がボルドーで初めて訪ねたシャトーでもあり、醸造所の屋上から感激の面持ちで眺めた、あのマルゴー村の黄金色に輝く葡萄畑のすばらしい風景はいまだに脳裏にしっかり焼き付いています。リシーヌの著書には、この他に『WINES OF FRANCE』(1952年、邦訳『フランスワイン』(1974年)更に改訂版として『新フランスワイン』(1985年))があり、フランスのワイン事情について詳しく記されており、まだ見ぬシャトーに想いを馳せつつワクワクしながら読んだものです。著者は1855年の格付けの等級に疑問を呈し、メドックだけでなくサン・テミリオンやポムロールそしてグラ―ヴを含め、当時の現状を踏まえた独自の格付け表を作成したことは特筆に値します。
次に『YQUEM』(1985年、邦訳『イケム』(1991年))と『ROMANĒE-CONTI』(1995年、邦訳『ロマネ・コンティ』(1996年))というフランスの偉大なワインの物語を著わしたリチャード・オルニ―の2冊の本を挙げなくてはならないでしょう。
<イケム(Yquem)>または<シャトー・ディケム(Château d'Yquem)>というワインの名前を、皆様も一度はお聞きになったことがあるのではないかと思います。本書『YQUEM』には、このワインを代々育てあげてきたリュル・サリュース伯爵家をはじめ4世紀にわたる壮大な歴史を見事にまとめてあります。この<シャトー・ディケム>については訪問記として別途改めて書いてみたいと思っておりますので、ここでは簡単に述べてみます。本書の冒頭には次のようなフレデリック・ダール(フランスの有名な推理作家)の《イケム讃》を引用しています。「人は一生のうちに何度か至福の瞬間に出会う時がある。多くの取るに足りぬことのくり返しや未完成な試みの中で、心身ともにこれこそが至福の瞬間だと心に刻みつけておける感動がある。(中略)味覚に関しては、常に刺激や混乱、満足、侮辱、無視などの中にあって、ただひとつ確かなものはイケムであった。その味わいに賛美を捧げよう!」と。更に「イケムを多くのワインと同じ名称で呼びたくはない。イケムはたったひとつしかないものなのだから。むしろネクタール(Nectar,古代ギリシャの神々の酒)という呼び名を捧げよう。もしこの言葉以外にもっと高貴な名称があるとしたら、それを使うのにためらわないだろう。イケム、それは言葉に尽くせない、美味と甘美の極致、この上もない歓喜である。それが失われずにあることは、私にとって幸いである。イケムは飲むこと自体がひとつの儀式のようなものである。ひと口ごとに恍惚をもたらしてくれるのだから」と讃えています。そして「昔からイケムを開栓する神聖な儀式を行うには、3つのものが必要なことを私は知っている。それはワインと友人、そして私自身である。しかもそれは当たり年のワインで、友人は神の酒を十分に味わえる人でなくてはならない」と述べております。それ程までに讃えられるイケムとは一体どんなワインなのでしょうか。
それではご案内いたしましょう。ボルドーの南に、まるで宝石でも鏤(ちりば)められているかのように、世界中から喝采をもって迎えられている甘口ワインの地、ソーテルヌがあります。そこがこの<シャトー・ディケム>の生まれ故郷なのです。この地方の一番小高い丘の頂きに、中世の砦さながらのたたずまいをもつシャトー(城)が聳(そび)え立っています。まさに周囲を睥睨する王者の風格です。そこでつくられる<シャトー・ディケム>こそが、多くの情熱的なワイン愛好家をして、せめて一生に一度くらいは味わってみたいと夢みるワインなのです。1855年の格付けにおいてボルドーの甘口白ワインの中で、ただひとつ<シャトー・ディケム>だけが別格の特級(Premier Grand Cru)になりました。このような卓越した評価を受ける理由のひとつには、長きに亘って所有者が変わらなかったこともあったのでしょう。ところが大変残念なことに、最近この伝統あるリュル・サリュース家のシャトーが、LVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)グループに買収されてしまいました。これも時の流れでしょうか。
<シャトー・ディケム>は、グラスにたった一杯のワインをつくるのに一本の葡萄樹が必要だといわれております。ご存知の通り、<シャトー・ディケム>は“貴腐ワイン”です。十分に貴腐菌(Pouriture Noble)がついた葡萄だけを一粒一粒丁寧に摘み取ります。ところで、“貴腐ワイン”とは一体どんなワインなのでしょうか。本来このカビは灰色カビ病(学名:Botrytis Cinerea Persoon)という葡萄の大敵ですが、その災が一定の条件下では福に転じます。このカビのつく時期とつき方が問題でありまして、一定の条件が備わるとこの悪魔が貴腐という天使に見事に化身するのです。その理想的な一定の条件とは、まず夏を通して青空の広がる日がつづくこと、次に9月の最後の週から11月まで‘朝もや’が立つことです。この‘朝もや’こそが葡萄の実を包んで貴腐菌を育成させるのに不可欠な水分を供給することになります。<シャトー・ディケム>の近くを流れるシロン川一帯の地域的微気候(ミクロクリマ)が、この極上甘口ワインづくりに極めて重要な働きをする貴腐菌を繁殖させる絶対条件になっています。この貴腐菌が果皮をときほぐし、実の水分を蒸発させ、果皮に含まれる糖分とペクチンを濃縮させるのです。それが果実のもっている果実香(アロマ)と熟成香(ブーケ)を高めさせる要素をも凝縮させることになります。そのため<シャトー・ディケム>のような極上もののソーテルヌは甘露でありながら、しかもはっきりと分かる高貴な芳香をもつワインになるのです。このように丹精込めてつくられた秀逸な収穫年度の<シャトー・ディケム>は、豊潤さとアルコール度と高い酸度のおかげで100年以上ももちこたえるといわれ、すばらしい琥珀色と、スパイスやキャラメルや蜂蜜等の信じがたいような複雑な芳香を湛える甘露なワインに成長していくのです。
「シャトー・ディケムがグラスに注がれた・・・カロレイセフは、このワインは甘美であると神々に伝えた」とツルゲーネフの『処女地』の一節に記されております。余りに高雅かつ芳醇のゆえに、音を立てずに静かに注がれる光輝く琥珀色の液体、それが<シャトー・ディケム>なのです。
次に世界で最も有名な赤ワイン、<ロマネ・コンティ>についてもちょっと紹介しておきます。本書『ROMANĒE CONTI』では、『YQUEM』と同じく歴史からはじまって、風土、畑の地位と土壌、葡萄栽培、醸造に至るまで、神話と伝説のヴェールに包まれた<ロマネ・コンティ>についてあくまで主観を排し、客観的にこのワインの卓越した秀逸性を浮き彫りにしております。「神話的存在―謎に満ち、感覚美にあふれ、すべてを超越した存在。ブルゴーニュ公国の最も傑出したワインで、王族の食卓の飾り。しかも、その由来が歴史の靄(かすみ)に包まれているとあっては、神話的伝説が生まれても不思議ではない。過去2世紀の間、ロマネ・コンティほど、神話を生もうとする人々の心を深くとらえたワインや葡萄畑はない」と言い切ります。「ブルゴーニュの精霊に満ちたこのワインは、50キロほどの帯のような葡萄畑から生まれる。ここをコート・ドール(黄金の丘)と呼ぶ。(中略)。ロマネ・コンティは、この黄金の丘の北半分、コート・ド・ニュイの中のヴォーヌ・ロマネ村にある。秀逸なブルゴーニュ・ワインを生み出す畑の模範ともいうべき、この広さ僅か1.805ヘクタールの葡萄畑は、世界で最も名高く、世界中から羨望のまなざしで見られている土地である。ここから毎年、平均20樽(ピエス)、壜にして僅か6,000本ほどのワインが生み出される」と解説しています。<ロマネ・コンティ>はサンヴィヴァン修道院の所有から始まって11世紀に亘る長い歴史を有しています。その中でも、この畑を巡って、ルイ15世の寵妃ポンパドゥールと、王の外交官のトップにいたコンティ王子との間で争奪戦が行われたことは有名な話です。最終的にコンティ王子の方が勝利を収め、1760年にその名をこの畑に遺すことになりました。この両者の確執についても著者は定説を覆すような種々の疑問を投げかけています。
兎も角も、「ロマネ・コンティは、ほかのどのワインのもまして、芳香と風味と絶妙なコクと強烈さとの融合が見事であり、その完璧さはしばしば絶対的ともいえるほどその極限に達する」と、先に紹介しましたアレクシス・リシーヌも絶賛しています。
私は今までに何度か<ロマネ・コンティ>を飲む機会に恵まれました。初めての<ロマネ・コンティ>は、20年ほど前に都心のあるホテルのスイートルームで何人かの友人と味わった1971年ものでした。私が慎重にコルク栓を抜き、大きなグラスに注いだとたんに、えも言われぬ芳香が部屋中に漂いはじめたのを覚えています。
フーガのように湧き出でて、波紋のように広がっていくその豊かな芳香、めくるめくような高貴な色の輝き、千変万化し、これぞ絶妙という味の極みと信じさせる華麗な口当たり、美神の愛液もかくこそと滑り落ちるのど越しの肌合い、そして羽化登仙の酔いごこち―<ロマネ・コンティ>への賛辞は果てしなく続けることもできましょう。しかし、それはまた、味と香りとをとらえようとする言葉の虚しさ、頼りなさを思い知らされます。確かに、誰もが<ロマネ・コンティ>という名前に多分に幻惑されているのかもしれません。でも、この幻といわれるワインにまつわる伝説という暗示に惑わされつつ、ない香りまであると感じ、想像の美味に想いを馳せても、それはまさしく<ロマネ・コンティ>だからこそ感じ得るものではないでしょうか。
ついつい本来の書評から離れて、2つの偉大なワインの賛歌に終始してしまいました。
最後に少し自慢めいた話で恐縮ですが、私は1978年という20世紀の生んだ秀逸な収穫年の<ロマネ・コンティ>を1本持っており、某レストランの地下のカーヴに静かに寝かせてあります。フランスの友人のネゴシアン(ワイン商人)からは、もし開けるならばその時は飛んでいくので必ず連絡して欲しいと言われているほどのワインです。ちょうど30年の時を経た今、さぞすばらしいワインに熟成しているだろうと密に開ける機会を楽しみに待っております。
なお、アメリカのワイン・ライターであり評論家として有名なロバート・M・パーカーJr.著『BORDEAUX』については、パーカー理論に必ずしも同調できないところがあるにせよ大変便利な本であるとの紹介に留め、ここでの論評は省略させていただきます。
次回はいよいよワインの本場、フランス人の書いた本を紹介したいと思います。
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