ボルドー便り vol.50

本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - ワインの書物について(その4) -



 今回から本場のフランス人が書いたワインの書物について紹介してまいります。
 古典と言われる書物を語る前に、先ずは最近大変感銘を受けたソルボンヌ大学のジャン・R・ピット学長が著わした『BORDEAUX BOURGOGNE ― Les passions rivales』(2005年)からはじめてみたいと思います。フランスを代表する地理学の泰斗である著者が蘊蓄を傾けて書かれた本書は、ボルドーとブルゴーニュというフランスワインの2大産地の文化の違いを歴史から紐解き、膨大な資料を駆使して見事に解き明かしております。副題にある通り、対決する2つのワイン文化を、学者の目で冷静に眺めつつ書かれた社会文化史でもあります。さすが知性の光る名著です。本書は『ボルドーVSブルゴーニュ ― せめぎあう情熱』(2007年)というタイトルで早くも邦訳されました。
 冒頭で著者は、「ボルドー地方のワイン、そしてブルゴーニュ地方のワインという二つの文化がある。これほど遠く離れているのに、これほど似ている二つの文化の精髄を見きわめようとすると、英仏両国の文化それぞれを理解しようとする際さながらの困難にまとわりつかれる」と意味深長なたとえ話でもって語りはじめます。そして「イギリスとフランスは、2004年に英仏協商100周年を迎えたが、だからといって二つの国の文化の違いがすべて消え去るはずはないし、まして消えないほうがヨーロッパにとっては幸いだ」とつづけます。「これと同じように、ボルドーとブルゴーニュのワイン界を分断している例の亀裂も、相変わらずフランスの葡萄栽培・ワイン醸造にとっては幸いでありつづけている」と。更に「これは兄弟喧嘩じみた趣をおびる時もある亀裂で、まごうことなき確執があるかと思えば、情緒豊かな合意もある。しかし、まぎれもなくボルドー地方とブルゴーニュ地方のワインは対決している二つのワイン文化で、異なる二つの感受性、世界至高のワインを生産しようとせめぎあっている二つの野心だ。絶品のワインをめざす情熱以外にいったい何が両者に共通しているのか」とこれからの物語の展開を予告します。面白いことに、「田舎者じみているが、まさに人の善いあのブルゴーニュ人。洗練された大ブルジョワのあのボルドー人」と両者を評しています。そして、「この二つの地方に共通する手法、歴史、性格は多い。だが、情熱が互いに相克するあまり、そこに目が届いていない」と断じるのです。著者は両者の関係を兄弟喧嘩じみた趣と表現していますが、確かに私もいくつかこのような事象を経験しています。ボルドー第2大学醸造学部ではボルドーを中心に数多くのワインをテースティングしてきましたが、アルザス等の他の地方やスペイン等の他国のワインは若干あったものの、何故かブルゴーニュワインのテースティングや講義は皆無でした。不思議に思ったものです。また逆に、ブルゴーニュ地方のボーヌ近郊にある2つ星レストランでカーヴを案内してもらった時は、膨大な数のブルゴーニュワインの中にあって、ボルドーワインはシャトー・ディケムとシャトー・ムートン・ロートシルトくらいしか置いてなく吃驚しました。案内してくれたシェフ・ソムリエに何故ボルドーワインが少ないのかと尋ねると、ワインはブルゴーニュに限りますからねと胸をはって平然と答えていたのが印象に残っています。これはほんの一例に過ぎないかもしれません。お互いの敵愾心からか、それぞれのワインこそがフランスワインを担っているのだと偏執にも似た強い意思と自負を感じざるを得ませんでした。私にとっては何とも不可思議な現象でありました。
 さて、本書ではガロ・ロマン時代からはじまって中世の修道院時代から現代までの両者の歩んだ歴史を紐解いていきます。更に両者のテロワール(ワインは、土地、気候、葡萄品種の3つの幸運な結合によってつくりだされています。葡萄畑を特徴づけるような、こうした条件の結合をテロワール(terroir)と称します)から葡萄栽培・醸造について似ている点と違っている点を、それぞれのワインを愛情深く見守りつつ語りつづけます。でも、著者は種々論じたあとに、「家庭でも兄と弟、姉と妹が違うようにボルドー地方のワインとブルゴーニュ地方のワインは違う」、ただそれだけのことだと結論づけます。「どちらのワインもローマ帝国の征服の祝福を受けて誕生し、それ以降の世紀をローマ・カトリック教会のおかげでのり切ってきた。どちらも諸侯と国王たちのワインである。ボルドー地方のワインはブルゴーニュ地方のワインに比べるとイングランドのエリートたちの洗練された行動様式によるところが多い。ブルゴーニュ地方のワインはボルドー地方のワインよりも田舎の行動様式と中世の記憶を保ちつづけている。どちらにも天使もいれば悪魔もいる。それがフランス社会、ヨーロッパ社会の一つの縮図ではないのか」と。そして「西洋文化にあるさまざまな側面からある面が姿を消して別の面と融け合ったり、それ以上に悪いことにはグローバリゼイションという単純化のための概念が形成される過程に組み込まれてゆくなら、まさに哀れな状況になるだろう」と警告を発します。
 そして最後に、それでもなお両者の違いが何処にあるかを探り当て、描写し、説明することは決して虚しい企みではないとして、「この国の豊かな文化、豊かな自然を表現しているボルドー地方のワイン、ブルゴーニュ地方のワインよ,万歳!」と結んでいます。
著者は、このような論旨を導く背景にある膨大な資料を駆使しながら独自の見解を滔々と述べていくわけですが、その切れ味は読んでいても小気味がいいほどです。ここではほんの触りだけを紹介しましたが、ワインを知っている者にとって知識があればあるほど、興味はつきない書物と思いますので、ぜひご一読をお薦めいたします。
 なお、本書の巻末にある参考文献の多さにも驚かされますが、わが国では英語に比べるとフランス語で書かれた文献がいかに翻訳されていないのかを改めて感じてしまいます。
ピット学長が本書の中でしばしば引用しているのが、次に紹介しますロジェ・ディオンの著作『Histoire de la vigne et du vin en France des origines au XIXe siècle(フランスにおける葡萄畑とワインの歴史―起源から19世紀まで)』(1959年)と『Le paysage et la vigne ― Essais de géographie histrique(風景と葡萄畑―歴史地理学に関する試論)』(1990年)です。この2冊の著書はフランスワインに関する名著中の名著です。『フランスにおける葡萄畑とワインの歴史』は、30数年前に東京で開催された国際古書展で巡り合った700頁を超えるフランス綴じの大著です。当時はこのようなワインに関する名著といわれるフランスの書物が日本でも比較的容易に入手することができたのです。
 著者ロジェ・ディオンはワイン史の研究家であると同時に、地理学の分野で多方面に亘って重要な著作を遺した学者でもあります。ディオンの議論は専門的ではありますが、一般の人が読んでも分かりやすく、十分魅力的な書物です。ディオンはコレージュ・ド・フランスの歴史地理学の教授として長らく教鞭をとっていました。因みに、コレージュ・ド・フランスはソルボンヌ大学神学部に対抗して16世紀に創立され、かつてはベルグソンやヴァレリー、近くはブローデルやバルトやフーコー等が教鞭をとったフランスの知の殿堂というべき教育機関です。地理学者ディオンの出発点は、後に書いた『風景と葡萄畑』の題名にもなっている通り、「農村風景」であり、そのような風景をつくりだす「農業形態」の分析にありました。このような「農村風景」はブロック著、『Les Caractères originaux de l'histoire rurale française』(1952年、『フランス農村史の基本的性格』として邦訳さています)に重なるものでありますが、《ボルドー便り》vol.37で紹介しました池本喜三夫著『フランス農村物語』(1934年)は、むしろこの分野での先駆的な著作であったように思います。ディオンの描く風景はあるがままの自然としての風景ではなく、農業を通して人間がつくりあげた「農村風景」であり「葡萄畑のある風景」だったのです。ディオンはブルゴーニュ地方のコート・ドール(黄金の丘)のことを、これらの丘陵斜面の麓にある帯状の窮屈な土地が何世紀にも亘って魅惑してやまない「葡萄畑の風景」であると指摘していることからも納得できます。またディオンはボルドーとブルゴーニュのワインについてこう述べております。「ワインの愛好家がワインに求めているものを、ワインの生産者は実現している。それゆえに、ワインの生産者は自分が立地しているテロワールをその意思に従属させている。仮にボルドー地方のワインとブルゴーニュ地方のワインが似ていないとするなら、その違いは、そうしたワインの誕生を目の当たりにしている土壌と風土の違い以上に、二つの地方の歴史、実践してきた選択の違いに由来している」と。更に「グラン・クリュ(特級ワイン)を吟醸する上で、土地が果たしている役割は、芸術家が腐心して作品を完成させる際に、作品に使っている材料が果たす役割を超えることは殆どない」と喝破しています。美味いワインは自然の賜物ではなく、むしろフランスにおける葡萄栽培は一貫して自然に抗う形で行われてきた、長年に亘る人々の叡智の成果であると述べているのです。先のピット学長はこれを分かりやすく、「偉大なヴァイオリニストが、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏して、自分の才能に由来するのは10%、残り90%は愛用のストラディヴァリウスのお陰ですと主張することなど、誰に想像できようか。ミケランジェロが、『ピエタ』や『ダヴィデ』の美しさの本質部分は、制作に用いたカラーラ産の大理石の質が例外的に良かったからなどと主張しただろうか」と述べ同調しています。
 両著書は、『フランスワイン文化史全書:ぶどう畑とワインの歴史』(2001年)と『ワインと風土―歴史地理学的考察』(1997年)の題名でそれぞれ邦訳されています。
今回は少々アカデミックな記述に終始してしまい、皆様にはさぞ退屈であったことと存じます。次回は少し趣を変えたフランスの本を紹介していきたいと考えております。


 


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