ボルドー便り vol.51

本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - ワインの書物について(その5) -


BLANC ET ROUGE

 今回は1822年創業のフランスのワインの老舗、<NICOLAS(ニコラ)>のために書かれた本から紹介してまいります。《ボルドー便り》vol.28及び47等で度々登場しました『Monseigneur le vin―L'Art de boire(ワイン閣下、酒飲み術)』(1927年)は、シャルル・マルタンの見事な挿絵と相俟ってエスプリに富んだ文章にも惹かれましたが、この本に勝るとも劣らないニコラの面白い本がもう一冊あります。その名は『BLANC ET ROUGE(白と赤)』(1930年)といいます。副題には<LA BELLE AU BOIS DORMANT(眠れる森の美女)>と何か暗示するような洒落た名前がついています。限定500部の大型美本で、クリニャンクールの蚤の市で見つけました。この本も前者同様にエスプリの効いた小気味よい文章に、ポール・イリーブ(Paul IRIBE)のポショワール(ステンシル手彩色版画)の挿絵が見開きの半面に大きく描かれています。ポール・イリーブは、ベル・エポックの伝統的なスタイルを抜け出して新しい時代のモードを生み出そうと考えていた若きデザイナー、ポール・ポワレに見出され一世を風靡したイラストレーターの一人です。ポール・ポワレは、ポール・イリーブに自分の制作したドレスを描かせ、『ポール・イリーブが語るポール・ポワレのドレス』(1908年)というデザイン・アルバムを発行しました。女性をコルセットから解放し、自由な身体のための服をデザインしたポワレの革新性とポショワールという技法の新鮮さでフランスモード界の新時代を画することとなります。当時このアルバムが引き起こした反響はすさまじかったようで、それまでのモード・グラビアと決定的な断絶をしるし、新しい出発になったと絶賛されました。このようにしてファッション・イラストレーションの時代がはじまり、やがて『ガゼット・デュ・ボン・トン』から『ヴォーグ』に至るモード誌が誕生することになったのです。
 本書ではポール・イリーブがユーモア溢れる漫画風なタッチでキャバレー(“Cabaret”というフランス語は、元来酒類を置き、普通はその場で飲むだけですが、食事のできる場所のこともあり一種の社交場であって、後のカフェのように芸術家たちの集まる場所でもあったのです。レストラン・シアターといったところで、日本でいうキャバレーとはニュアンスを異にします)の情景を描写し、そしてジョルジュ・モントールギィーユがウイットに富んだ文章を綴っています。ここに序のさわりの部分だけご紹介しますので、巻末のスライド写真と併せてお楽しみくだされば幸いです。
 <エレガントなキャバレーにおける、二人の熱烈なるワイン信奉者の対話>
  • 大通りに戻ると、喜びに満ち溢れたわがキャバレーの楽しい雰囲気をそこに見出すのである。熱い匂いの親密さ、美しいご婦人たちのほおづえ、真珠貝のようにその白いのどにからみつくオリエント風の真珠の首飾り・・・。
  • 美味なる肉体と美しい果肉、それこそはガストロノミーの二つの柱ですな。
  • ここの給仕長は、客を逸らさぬ外交官の柔軟さでもって、美味なるものをいつももたらしてくれるのだ。メニューを決めて・・・。
  • ワインを選び・・・、白ですか赤ですか?それとも白も赤もお飲みになられますか?
  • 食の芸術は、飲むこと抜きにはあり得ませんな。
  • あなたは二つを分けて考えられますか―私はとても考えられませんね。“飲む芸術と食の芸術、それはひとつのものです。”ソムリエ君、わが友よ、来たまえ。(樽の注ぎ口のような丸い目とワインの瓶のような口をして。すばらしいカーヴの予兆、ソムリエはネクターの神にそっくりだ)
  • もし彼がネクターの神でないのであれば、そうなろうと努力しているよ。評判に対する喉の渇きというものもあるからね。
  • 鱒のクールブイヨン仕立ては、白を軽く一杯やるために、ヤマシギのカナッペには、赤をなみなみと一杯。われは愛する、世界の果てまでも、葡萄の花の香のするこの言い回しを。
  • おのおの好きなように考えればいい。お気づきになりましたかな、われらが甘美な隣人がたの手管というものを!つぎつぎと繰り広げられる秘術の数々、白粉の微かな芳香、手には鏡・・・優雅な青白さの巧みな加減、ほんの少しの白ワインを!
  • ああ!青白さの何と見事な使い道。顔は決して心から離れ過ぎることはありませんからな・・・。
 といった具合にお店でのやり取りの様子を、ウイットに富んだ意味深長な言葉で語りつづけます。
 同じく酒商<NICOLAS(ニコラ)>の『LISTE DES GRANDS VINS(銘醸ワインリスト)』もなかなか興味深い代物です。その時々の人気の画家による挿絵が入っており、ただ眺めているだけでも楽しくなります。毎年1回発行されたのでしょうか、当時のグラン・ヴァン(銘醸ワイン)の価格傾向もよく分かります。1949年版他の古いワインリストをパリやボルドーの古本市で見つけました。<ニコラ>は以前ほどでないにしても、今日に至るもユニークで楽しいワインリストを刊行しつづけています。
 『LAFITE-ROTHSCHILD(ラフィット・ロートシルド)』という一冊の横長の美本が手許にあります。恐らくシャトー・ラフィット・ロートシルドのお得意さん向けに特別に配られたものではないでしょうか。アルバムのようにページ毎に美しい手彩色のシャトーの外観や部屋の様子やカーヴの絵が貼られています。そして最後のページには20世紀の伝説的なヴィンテージである1961年の実物のラベルまでが貼られているのです。ひょっとすると当時シャトーでは大切なお客様の訪問時にこの本と共に1961年もののワインが振舞われたのかもしれません。この本に掲載されている写真や絵の殆どがシリル・レイ著『LAFITE』(1968年)に転載されているところをみるとその原本であったのでしょう。その他に固有のシャトーについて書かれたものとしては、サン・テミリオンの偉大なワインであるシュヴァル・ブランについてヴィンテージ毎に論評した、かつての当主クロード・フルコー・ローサックによる『Au Cheval Blanc(シュヴァル・ブランにて)』(1998年)は印象深い一冊です。それとボルドー全般については、1940年代に書かれた『Le Vin de Bordeaux(ボルドーのワイン)』という小冊子も面白いです。ボルドーのシャトーについて写真入りで紹介しているクルーズ社の『LES GRANDS VINS DE BORDEAUX(ボルドーの銘酒たち)』(1967年)は神保町で見つけたものですが、ボルドーの古書店では倍以上の高値がついており吃驚しました。
 また、メドック地方サン・テステーフ村にあるシャトー・コス・ラボリー(Ch.Cos Labory)をマウンテン・バイクで訪ねた時に,かの有名な格付け表『Les Grands Crus de Médoc classés en 1855(1855年のメドック地方の銘醸ワイン格付け)』(復刻版)をオーナーから直々に頂戴したのは大変良い思い出になりました。
 その他ボルドーについては、『Pomerol,Légende d'un siècle(ポムロール、一世紀の伝説)』(2001年)をはじめ諸々の観点から書かれた古書・新本の類は沢山あります。新本はボルドーの大きな書店、<Mollat(モラ)>で随分と買い込みました。
ブルゴーニュワインについては『GRANDS CRUS DE BOURGOGNE(ブルゴーニュの銘酒)』(1955年)の美本を忘れることはできません。小冊子ながら美しい手彩色の挿絵と紙質の良さ、そしてページ毎の構成が見事です。
 このようにフランスのワイン書には単に読ませる目的だけでなく装丁を含めて美術的な価値を見出すことができる本もあり、眺めているだけでも楽しくなります。
 最後にボルドー第2大学でワインを勉強している時に大変役立ったというよりか大変世話になった書籍をいくつか挙げて、ワイン書に関する章を終えたいと思います。
 醸造学の用語は残念ながら普通の仏和辞典等には載っていません。そこで先ずボルドーで探し求めたのが『Dictionnaire du Vin(ワイン辞典)』という1500ページにのぼる大著です。ありとあらゆるワイン・醸造についての用語が載っており、授業の前にはこの辞典と首っ引きで調べ臨んだものです。最近はとんと手にしておらず机の上に飾ってあるだけになってしまいましたが、私にとっては思い出に残る懐かしい書物のひとつです。ボルドーのワイン史について書かれた本としては、ボルドー第3大学フィリップ・ルーディエ教授の著わした『Bordeaux―Vignoble millénaire(ボルドー、千年にわたる葡萄畑)』(1996年)があります。教授からは数回に亘りボルドーのワイン貿易の歴史やフィロキセラ禍などについての講義を受けました。そしてリベロー・ゲヨンと共に近年におけるボルドーワインの飛躍的な品質向上の最大功労者であり、“現代ワイン醸造学の父”と敬われた醸造学者、エミール・ペイノー教授の著書、『Le Goût du vin(ワインの味覚について)』(1980年)と『Connaissance et Travail du vin(ワインの知識と製法)』(1984年)を忘れてはならないでしょう。1977年にかの有名なシャトー・マルゴーはペイノー教授を顧問として迎え、その後のマルゴーの急激な品質向上には多くの専門家の注目するところとなりました。シャトー・ラフィット・ロートシルド、シャトー・レオヴィル・ラス・カーズそしてサントリーの所有するシャトー・ラグランジェの顧問としても大いに腕を振るわれました。余談ですが、ボルドー滞在中に私が通っていた床屋さんにペイノー教授がよく来られていたようで、床屋の主人が自慢げに教授についてのエピソードを語ってくれたのを思い出します。さすがボルドーだけあって、床屋の主人までもが有名な醸造学者を身近に感じているのだなと妙に感心したものです。教授は2004年7月にご逝去されましたが、生前に床屋さんでお目に掛かるチャンスを逸したのは返す返すも残念至極です。その他大いに役に立ったのは、ボルドー第2大学の教授たちが執筆している『DES SCIENCES DE LA VIGNE DU VIN―LA DÉGUSTATION(ワインの葡萄畑の科学―デギュスタシオン(試飲)』等の醸造に係る専門誌の類でした。
 今回も後半は書籍を列挙しただけに終わってしまいましたが、これまで5回に亘って連載してきました拙文<ワインの書物について>は、私が40年余の長い間親しんできたワイン書への思いでもあり、軌跡でもあります。これからワインを学ぼうとしていらっしゃる皆様に少しでもご参考にしていただけましたら望外の幸せです。



 


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