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ボルドー便り vol.53
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本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- 余話:音楽と絵について(その2) - ![]() セノオ楽譜と竹久夢二 |
今回は『セノオ楽譜』と竹久夢二を中心に、『スポーツと気晴らし』との関連についても私見を述べてみたいと思います。暫しのお付き合いをお願いいたします。 大正ロマンの時代に一世を風靡したといわれる『セノオ楽譜』については、大正、昭和そして平成と三代の時を経て、もうその存在すら知らない世代(かくいう私もそうです)も多くなってきたのではないかと思いますので、先ずは『セノオ楽譜』のお話からはじめてみたいと思います。 『セノオ楽譜』は、妹尾幸陽(せのお・こうよう、本名幸次郎)が洋の東西の名 ![]() ![]() ![]() ![]() それでは妹尾幸陽(1891-1961)とは一体どのような人物であったのでしょうか。少ない資料からその人物像を覗いてみようと思います。妹尾幸陽は明治24年に東京で生まれ、慶應義塾で学んでいましたが中退し、その後時事新報の記者を経て、1915年(大正4年)にセノオ音楽出版社を設立したと記されています。その時幸陽は弱冠24歳です。更に最初の楽譜の出版年、1910年が事実だとすればまだ20歳にも満たない若さです。尤も、1908年(明治4 ![]() ![]() 夢二人気の陰に隠れて妹尾幸陽の存在は現在に至るもどうも影が薄いように思われます。大衆に音楽を普及させたこの表紙絵付き楽譜の果たした役割はもっと注目され、再評価されてしかるべきではないかと思いますが、幸陽の本当の魅力とは何かを知る ![]() さて、次はいよいよ竹久夢二(1884-1934)にご登場願おうと思います。ここでは紙数の制限から『セノオ楽譜』と夢二の関係についてのみに的をしぼり、夢二の画風やフランス絵画との関連については次回に述べたいと思います。 『セノオ楽譜』に夢二の絵が登場するのは、楽譜番号12の《お江戸日本橋》が最初です(1916年、大正5年)。それから1927年(昭和2年)までの間に、『セノオ楽譜』の表紙のために273点の装画を描きつづけました。これらの装画には、日本・西洋の名曲名歌に合わせて歌の心を描き抜いた、夢二の古典的浮世絵、デフォルメした心象画、目を見張る抽象画、モダンなアール・ヌーヴォーやアール・デコ ![]() ![]() ここに『歌の絵草紙』(昭和41年、龍星閣)という一冊の美本があります。そこには夢二が大正3年から昭和2年まで、『新小唄』(35篇全て夢二の表紙ですが、その中に夢二の詩が17篇あり、それを全て妹尾幸陽が作曲しています)と『セノオ楽譜』の両方の表紙に描いた装画280点が収められています。この本は夢二の絵と各作詞を並べて鑑賞できるようになっていますが、絵を主体としているため残念ながら楽譜は付いておりません。 ところで、『セノオ楽譜』の中で、夢二の詩として最もよく知られているのは七五調の短い詩、「宵待草」(1918年、大正7年)の一篇でしょう。 ![]() まてどくらせどこぬひとを 宵待草のやるせなさ こよひは月もでぬさうな この抒情豊かな夢二の詩に共感した多忠亮(おおの・ただすけ)が作曲し、そのやるせなく甘い調べはやがて大正時代の日本を風靡することになります。現代に至るも歌い継がれ、その生命の輝きは失っていないように思います。因みに、植物学的には「まつよいぐさ(待宵草)」が正しいようですが、『セノオ楽譜』(楽譜番号106)の表紙も版により「待宵草」と「宵待草」の2種類の表記があります。また、夢二自身の自筆記録(大正9年)には「待宵草」となっています。しかし、口に出してみますと「・・・こぬひとを待宵草」とつづくと極めて発音しにくいのに、「よいまちぐさ」の音律は大変口にのりやすく、曲がつくと、もうこれは「まつよいぐさ」では歌えないように思いますが、如何でしょうか。 このように夢二は、文学と美術と音楽の響き合いに興味をもっていたようですので、楽譜の表紙絵はうってつけの舞台であったのでしょう。夢二はそこで、和洋の様々な表現を自由に繰って、楽しげな実験を繰り広げたのではないでしょうか。『セノオ楽譜』の発行当時は楽譜への要求が多かったにせよ、これだけの人気を博した要因として夢二の表紙絵の魅力が大きく与っていたのは紛れもない事実でありましょう。 ある旅館の主(あるじ)の思い出として、「セノオ楽譜を見ながら、チェロを弾いていますと、突然、私の脇に立った人が、その歌はぼくがつくったのだ、と言われたのか、その楽譜の絵は、ぼくが描いたのだ、と言われたのか、ともかく、そうした意味のことを言われたので私はびっくりして、竹久さんですかと言ったのです。それまで、夢二さんが、私の家に泊っていることを私は知らなかったのです」といった逸話が残されているくらいですから、『セノオ楽譜』は一般大衆にも膾炙していたことがよく分かります。しかしながら、関東大震災以降、レコードの普及とラジオ放送のはじまりにより、やがて楽譜の表紙絵の黄金時代は終焉を迎え、歴史から静かに消え去る運命を辿ることになります。 次回はアール・デコ時代のイラストをはじめとするフランス絵画と夢二の関連を中心に少しく語ってみたいと思います。 |
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