本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - シャトー訪問記(その2) -


大聖堂とアルビ

 今年も一年間に亘り、駄文《ボルドー便り》に辛抱強くお付き合いくださいましてありがとうございました。心から感謝と共に御礼申し上げます。
 さて、今回は夏真っ盛りの季節に逆戻りしますが、南仏(le Midi,ミディ)の秘境で出合ったワインについてご紹介したいと思います。
 友人と共にボルドーから黄一色に染まった向日葵畑を抜け、ミディ・ピレネー(Midi-Pyrénées)、ラングドック・ルシオン(Languedoc-Roussion)を1300キロ走破する2泊3日の楽しい旅です。今回の葡萄園を案内してくださいますトゥールーズの若きネゴシアン(ワイン商)ご夫妻とはアルビ(Albi)で待ち合わせました。ご夫妻とはヴィネクスポ(VINEXPO,ボルドーで開催される世界最大のワイン博)で知り合いましたが、フランス人は初めて出会っても意気投合すれば途端に10年来の友のように親しくなるから何とも不思議です。今回の案内役も快く引き受けてくださいました。こうしたところはフランス人―フランスという国のもつ面白さかもしれません。
 アルビはレンガづくりの赤い家並みがつづく美しい町です。ここは私の好きな画家の一人である、あのトゥールーズ・ロートレック(Toulouse-Lautrec)の生まれ故郷でもあります。歴史的には、13世紀にカトリックで異端とみなされたカタリ派(アルビジョワ派)を受け入れたところとしても知られています。先ずはこの街を流れるタルン河を見下ろすところに、まるで城塞のように威容を示す姿で建つサント・セシル大聖堂(Cathédrale Ste-Cécille、13世紀)を訪れました。15世紀に描かれたという迫力ある大壁画《最後の審判》に圧倒されます。時間の余裕がなくロートレック美術館を訪れることができなかったのは返す返すも残念でしたが、アルビは町全体が歴史を通して生きる文化そのもののように感じられました。ところで、ここの名物料理といえば鴨肉のコンフィやソーセージを白隠元と煮込んだカスレ(Cassoulet)が有名ですが、食べても食べても無くならないほどどっさりと皿に盛られて出てきます。フランスのどの地方を旅しても、その土地のワインを友に美味しい郷土料理を味わう楽しさは、何といっても幸せな一時です。
 さあ、腹ごしらえもできたのでこれからいよいよ第一目的地のガイヤック(Gaillac)に向け出発です。ガイヤックはアルビから20キロほどのタルン河のほとりにある、ラングドック地方(Languedoc)のワイン産地のひとつです。ネゴシアンご推薦の<ドメーヌ・デスコース(Domaine d'Escausses)>へ向かいます。このドメーヌはいかにも南仏風の葡萄園で、ゆっくりと時間を掛けて何種類も試飲をさせてもらいました。今回の旅はフランス人ネゴシアンの案内がなければとても辿り着けない秘境にある葡萄園ばかりですが、いずれもボルドーのような立派なシャトーとはお世辞にもいえない小さなところです。ガイヤックではいろいろな葡萄品種の発泡、非発泡のワインを数多く生産しています。ここの葡萄園はさすがネゴシアン一押しのドメーヌだけあって、ワインはフレッシュで果実味豊かで香りもなかなかなものです。気軽に楽しむワインとしては十分に美味しいものでした。何しろシンプルで、リーズナブルで、飲みやすいのがいいです。
 次に向かったところは更に奥に入ったアンディヤック(Andillac)です。ここには数年前に畑を開墾してワインづくりをはじめたブルゴーニュ大学前教授の葡萄園、<ドメーヌ・デ・カイユティス(Domaine des Cailloutis)>があります。教授は徹底して土にこだわり、除草剤、化学肥料を一切使わない自然農法に挑んでおりました。微生物の活性化に力を入れ、表情豊かなワインをつくるために先ず土壌の再生からはじめたのです。これは昔の知恵に戻ろうとする一連の動きでもあります。土を愛してやまない、その真摯な姿勢に感銘すら覚えました。教授と小さな試飲室でワインを飲みながら暫し談笑しました。ここのワインは自然派らしい柔らかな優しい感じを受けましたが、何か潜在的にすばらしいものを秘めているようにも感じられました。今頃はすばらしい葡萄園になっていることでしょう。このようにまだ誰からも注目されていないドメーヌの将来を期待してよくぞ探し出したものと、改めてネゴシアンというワインのプロに敬意を表し脱帽しました。
 帰りにネゴシアンの実家へ是非立ち寄って欲しいとのお誘いを受け、お言葉に甘えることにしました。果たしてどの辺りであったのか、今となっては分からなくなってしまいましたが、大家族の住むプールのある大きな館でした。シャンパンを飲みながら手作りのご馳走に舌鼓を打ち、暫しフランスの家庭の楽しい雰囲気を味合わせてもらいました。感謝のみです。
 それから一旦トゥールーズに戻って駅前のホテルに泊まり、翌日はいよいよピレネー山脈を間近に眺める、石灰の岩肌がむき出しの荒々しい山々に囲まれてひっそりと佇む、ルシオン地方の小村ヴァングロ(Vingrau)に向かいます。この村には今回の旅で一番注目している葡萄園、<ドメーヌ・デュ・クロ・デ・フェ(Domaine du Clos des Fées)>があります。地図を片手に漸く探し出し、醸造所のベルを鳴らすと二階の窓から顔を出して「今すぐ行きます」と。ここはフランスのソムリエ界でかつて王者に輝いたエルヴェ・ビゼール(Herve BIZEUL)氏が1998年にはじめたドメーヌなのです。訪れた時はまだ5年しか経っていませんでしたが、早くも南仏ではドメーヌ・ゴビー(Domaine Gauby)と共に最も注目される生産者の一人になっておりました。
 彼がソムリエの職を辞めて、暫くワイン・ジャーナリストとして活躍しながら客観的にワインを見続けてきた中で生まれた夢とは、ボルドーのサン・テミリオンやポムロールにあるガレージワインのように小さくても特徴のある、世界に通用するワインをつくりだすことにあったと熱っぽく語っていたのが印象に残っています。シンデレラワインの元祖として知られるサン・テミリオンのシャトー・ド・ヴァランドロー(Château de Valandraud)のオーナー、テュヌヴァン氏との運命的な出会いも大きく影響していることでしょう。
 畑は標高350~650メートルのところにあり、各区画は様々な方向に向いており、バラエティーに富んだ南仏特有の葡萄品種(シラー、カリニャン、グルナッシュ、ムールヴェードル)が栽培されていました。ここでも自然農法が採用され、農薬はボルドー液しか使わずに、ろ過も清澄もしません。そして極端に抑えた低収量を実行しています。これもフランス・ソムリエ界の最高峰に君臨し、世界の偉大なワインの数々に巡り合ってきた経験から、世界に通用するワインをつくろうとする彼の強い思いがあったからでしょう。
 民家を改造しただけのひんやりとした小さな醸造所の中で、次々と惜しげもなく出された5種類の<クロ・デ・フェ>のワインは、どのワインも正にパーフェクトな味わいといっても過言でないほどすばらしかったことを今でも鮮明に覚えています。先に訪ねた2つのドメーヌをはじめとして、特にこの<クロ・デ・フェ>は南仏ラングドック・ルシオンのワインのイメージを完全に覆す、エレガントで官能的な逸品に仕上がっておりました。同時にフランス・ワインの奥深さを改めて強く思い知らされた瞬間でもありました。フランス・ワインは凄い!これも彼のワインづくりにかける弛まぬ情熱と妥協を許さない前向きな姿勢が短時日での成功をもたらしたのでしょう。でもひょっとすると<ドメーヌ・デュ・クロ・デ・フェ(妖精たちの舞い降りた葡萄畑)>の名前が示す通り、この地に以前から住み着いていた“Fées(妖精たち)”が一役買っていたのかもしれません。それにしても彼の風貌とドメーヌの名前の“妖精たち”はどう考えても結びつきませんでした。
 こんな辺鄙な小さな村にも一軒のレストランがありました。フランスにはどんな片田舎に行っても、それなりに洒落たレストランがあるのでいつも感心してしまいます。この愛らしいレストランで一休みし、郷土料理と今試飲してきた<クロ・デ・フェ>のワインをもう一度楽しみました。料理もワインも実に美味い!
 南仏葡萄園の旅の最後はスペイン国境近くの町、ペルピニャン北方のピレネー山麓にある正に秘境のような村、モーリー(Maury)です。ピレネーの山々に囲まれた中に葡萄畑が点在しています。このようなところで葡萄樹が育ち、ワインがつくれるなんてちょっと驚きです。先ずはここのワイン協同組合を訪ねました。すると早速に気さくな組合長さんが自ら葡萄畑への案内役を買って出てくださいました。100年以上の樹齢を誇る立派な葡萄樹を自慢そうに説明してくださった組合長さんの笑顔が忘れられません。山の頂には古城が聳え、中腹から俯瞰する雄大なピレネーの山々に囲まれた葡萄畑は何とも感動的な風景でした。その後組合の醸造所で天然の甘口ワイン(Vins Doux Naturels)など数種類を試飲させてもらいました。山側のモーリーと地中海沿いのバニュルス(Banyuls)は共に甘口ワインの産地として有名であり、どちらの村もこうした豊かな酒精強化ワインを、主にグルナッシュという南仏特有な葡萄品種からつくっています。
 帰りには地中海を望む美しい保養地、ポール・ルカート(Port-Leucate)で一杯飲みながら一日の疲れを癒しました。大変美しいところであったため急遽ここで一泊したくなりホテルに掛け合いましたが、夏のシーズン中とあって空室があるはずもなく已む無く諦め、再びトゥールーズのホテルに戻りました。
 最終日は、フランスにいる間に一度は訪ねてみたかった世界遺産のカルカッソンヌ(Carcassonne)へネゴシアンご夫妻がご案内してくださいました。カルカッソンヌの二重になった堅固な城壁はさすがヨーロッパ最大といわれるだけあって見事なもので、ここから眺める眼下の風景は実にすばらしかったです。
 こうして楽しかった南仏の旅は終わりました。今回の旅を通して、フランスにはまだまだ沢山の魅力溢れる隠れた銘酒があることを実感できました。同時にフランス・ワインの奥深さを改めて知る絶好の機会ともなりました。初めて出会った私たちに、3日間に亘って親身なご案内をいただき、貴重な経験をさせてくださった若きフランス人ご夫妻の熱き友情に只々感謝のみです。
 皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。



 


上のをクリックすると写真がスライドします。