本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- シャトー訪問記(その7) - <シャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオン> |
前回は<シャトー・オー・ブリオン>をご紹介しましたが、私がボルドー留学で初めて訪れた葡萄畑、<シャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオン>をこのまま素通りするには忍びなく、ご案内をさせていただきます。 このシャトーは、国道を挟んで長年のライバル、<シャトー・オー・ブリオン>と対峙しております。初期の頃の正確な歴史は分かっていませんが、いっとき、ポンタック家が所有する<オー・ブリオン>の一部だったとの説もあります。独立した葡萄園としての<ラ・ミッション>の歴史は350年ほど前からはじまります。 名前の知られた<ラ・ミッション>の最初の所有者はレストナック家という一族でした。ブルボン王朝時代に政治の実権を握っていたリシュリューは<ラ・ミッション>を大層好んでおり、「神が酒を飲むことを禁じていたとしたら、このような美味なるワインをつくったであろうか」と感嘆しています。そして、1664年にこの葡萄畑をレストナック家から遺贈されたのがラザリスト修道会でした。修道士たちは畑を拡張すると共に、今もシャトー内に美しい姿を残すチャペルを建設しました。そして、このチャペルが1698年に完成すると同時に、パリの会派よりこの葡萄園をその会の伝道・使命(la mission)に因んで,<シャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオン(Château La Mission Haut-Brion)>という名をもらい、ワインづくりに心血を注いだのでした。だがフランス革命が起きて、修道会の所有地は例にもれず国に全て没収されてしまいます。 その後、<ラ・ミッション>は5人の持ち主の手を経て、1919年にウォルトナー家の所有となりました。ウォルトナー家はユニークなワインをつくり続けてきました。というのも、その畑の一部からセカンド・ワイン的役割を果たす<シャトー・ラ・トゥール・オー・ブリオン>をつくり、また別の畑の一部から白ワインをつくって<シャトー・ラヴィール・オー・ブリオン>と名づけて市場に出していたからです。 そして1983年にこの3つのシャトーの買収に成功したのが、なんと隣の<シャトー・オー・ブリオン>のディロン家だったのです。ここに漸く300年来の夢であった4つのオー・ブリオンがひとつの所有者のもとに纏まったのです。これも運命の巡り合わせだったのでしょう。 この4つのシャトーは地つづきにあり、全て街中に取り囲まれているため、畑の気温は1度くらい高く、これは却って葡萄の成育には好ましい条件と考えられています。いずれも海抜25メートルほどのなだらかな丘の上にあり、厚い砂礫は水はけにすぐれています。ところが、この偉大な2つのワイン、<ラ・ミッション>と<オー・ブリオン>を飲み比べてみますと、道を一本隔てただけですが、個性に大きな違いがあることが分かります。前者は力強くて強烈な豊かさがあり、たっぷりのタンニンがあります。後者はより繊細で優雅で、より洗練されたワインになるのです。これもワインの面白いところです。 <ラ・ミッション・オー・ブリオン>はボルドー滞在中に何度か訪ねました。ご案内していただいたマダムが醸造学部の先輩であったこともあって、いつもご親切にしてくださいました。初めて妻と訪ねた時に、<オー・ブリオン>同様に、特別に2000年、2001年、2002年という豪華なヴィンテージを、シャトーの中の重厚な部屋で味あわせてもらいました。特に評判通り2000年はすばらしく、実に深遠なワインに仕上がっていました。ここでもデルマス親子のワイン醸造の哲学が確実に生かされているのが分かります。力強さと豊かさが際立っておりました。 次は<シャトー・スミス・オー・ラフィット(Château Smith Haut-Lafitte)>をご案内しましょう。ラフィット(lafitte)は「頂上のなだらかな丘」を意味する中世時代のフランス語ですが、メドックの有名なシャトー・ラフィット・ロートシルトとは関係がありません。ただ、フランスの古語がlafitteと「t」がダブっていることに注目ください(vol.48をご参照ください)。ここの砂利の台地に葡萄が植えられたのは1365年といわれていますので、古い歴史を誇っています。1720年にスコットランド人のジョージ・スミスがこの畑を購入し、自分の名をつけて<スミス・オー・ラフィット>としました。でもワインが有名になったのは、1865年にボルドーの市長であったデュフール・デュベルジュの時代になってからです。その後何人もの持ち主を変えましたが、いずれもワインづくりよりも投機に関心があった者ばかりで、シャトーの名声は瞬く間に落ち込んでいきました。しかし、この壮大なシャトーは1991年にフロランスとダニエル・カティエール夫妻の手に渡ると劇的な変化をみせ、今やペサック・レオニャンの優れたワインのひとつに数えられるほどになりました。新しい醸造設備に多額な投資を行い、全ての段階でいい品質を求めて、先ず機械摘みをやめて手摘みにし、生産量の抑制、収穫した葡萄の厳しい選別、入念な醸造方法によって長足な進展を遂げていきました。 小雪の舞う寒い日に、私は妻と友人と一緒にこのシャトーを訪れました。ここの葡萄畑には不思議なことに孔雀が何羽も放し飼いになっていて、美しい羽を広げて迎えてくれます。ゲストハウスで2001年ものをテイスティングさせてもらいました。濃いルビー色をしており、複雑なアロマをもったリッチな赤ワインでした。白はハーブや柑橘類の香りのする、ミネラル豊富な辛口ワインに仕上がっていました。 このシャトーには、「レ・スルス・ド・コーダリー(Les Sources de Caudalie」という素敵なホテル・レストランが併設されています。そして、ここはヴィノテラピーと称する、ワインの製造過程で生じる絞りかすを利用するエステティックが有名で、フランスで最も年を取らないと評判の女優、イザベル・アジャーニやカトリーヌ・ドヌーヴもお気に入りとか。効能あらたかなのでありましょう。妻と一度体験してみようと思っていましたが、とうとう実現しませんでした。でも冬の寒い日にここの重厚なバーで味わったヴァン・ショー(温かいワイン)の美味しさは忘れられません。 グラーヴ地区の最後は、レオニャン南部にある<シャトー・マラルティック・ラグラヴィエール(Château Malartic-Lagravière)>をご案内しましょう。1803年にガスコン村の名家、マラルティック伯爵の甥がこのシャトーを購入したことからシャトー名がつきました。その後シャトーのオーナーとなったリドレ家は海運業で名をなし、自慢の三本マストの帆船マリー・エリザベス号が今でもラベルを飾っています。ここの畑は標高の高い砂利質の台地に位置しています。1997年にボニー家がシャトーを買収してから、ワインの品質は飛躍的に向上したといわれています。最先端の技術を駆使したハイテク醸造設備には目を瞠ります。ワインの選別を厳しくし、新樽を増加すること等によりエレガントなワインに生まれ変わりました。今やこの地域の優れたワインのひとつとして高く評価されています。 実はこのシャトーのオーナーのご子息夫妻がボルドー第2大学醸造学部のクラスメートでした。ご夫婦でいつも前の方に仲良く座って、熱心に授業を聞いていた姿が印象に残っています。『madame FIGARO japon』のボルドー特集号で超イケメンと写真入りで紹介されていたのはジャン・ジャック・ボニー君ですが、奥様のセヴリーヌさんも赤毛の実にチャーミングな女性でした。ボニー君ご夫妻は、私の主催するワイン会の第一回目の時に、シャトー名入りの銀製のお皿をお祝いに贈ってくださいました。友情に感謝です。私が<マラルティック・ラグラヴィエール>を訪問した時はまだ彼らと知り合う前でしたのが、何とも残念でした。確かこの地区の試飲会が一般に公開されていた時で、2001年の赤・白をテイスティングしました。赤ワインは深いルビー色をした、香ばしいオークやスパイス、イチゴやフランボワーズの香りがあるエレガントなワインに仕上がっていました。白ワインはグレープフルーツなどのソーヴィニョン・ブランの特徴あるフルーティな香りに、ローストしたアーモンドのような香ばしいニュアンスが混じる、酸とのバランスのよい爽やかなワインでした。ボニー君ご夫妻からは毎年真っ先に美しいクリスマスカードが届きます。 いずれ若夫婦がオーナーとなって、このシャトーを更に飛躍させていくことでしょう。その時は是非訪れてみたいものです。ボニー君ご夫妻、頑張れ! |
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