本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - シャトー訪問記(その8) -


<サン・テミリオンの町と葡萄畑>
 今回は葡萄畑を含めてユネスコ世界遺産に登録されている、世界でもまたとない美しいワインの町、サン・テミリオン(Saint-Émilion)をご紹介いたします。ここは地平線まで限りなくつづく緑の葡萄畑に囲まれた丘の上の愛らしい小さな町です。そこにはフランスの中世の町が、時間の流れを止めたように佇んでいます。この町の名前は、8世紀にブルターニュからやって来たベネディクト派の修道僧がこの地を大層気に入り、隠遁生活を送るために洞窟を掘って住みつき、後に聖人に叙せられた聖エミリオンに因んでつけられました。
 シャトーを訪ねる前にちょっと町をご案内いたしましょう。この町はワインに関心がなくても心を浮き立たせるほど楽しいひと時を過ごせます。丘にしがみつくように建っている古い家並みの間をぬって狭い石畳の急坂を登ると、丘の中心に忽然と古い教会が現れます。これは聖エミリオンの死後、弟子たちが地下の石灰岩をくり抜いて造った9世紀の「モノリト(一枚岩)教会(l'Église Monolithe)」です。教会の裏手に廻りますと、古くてぽつんと立った鐘楼の塔があり、その周りは石畳のテラスになっていて、洒落たカフェが取り囲んでいます。ここに立つと眼下には風雨に晒され苔むしたテラコッタ色の屋根瓦をもつ古い家並みが一望できます。その先にはパッチワークのように濃淡の違った美しい葡萄畑が広がっており、まさに一幅の絵です。突然時を告げる鐘楼の鐘が鳴り響きます。いつまでも見飽きないほどうっとりとさせるすばらしい眺めです。町の中心から少し歩くとドミニコ会派の教会が百年戦争(1337-1453)の時代に見捨てられたままに,壁だけを残して葡萄畑の中にぽつんと建っています。この廃墟の大壁が周囲の葡萄畑と妙にマッチし、村のシンボルにもなっています。
 この町は、中世の頃スペインの北西端にある聖地サンチャゴ・デ・コンポステラ(Santiago de Compostela,聖ヤコブの遺骸が祭られている)へ向かう巡礼者たちが足をとめる宿場町でもあったのです。当時、フランスのクレメンス5世はアヴィニョンを教皇庁にしたかったので、ローマ詣でをする夥しい数の巡礼者たちを牽制するために、このサン・テミリオンの巡礼路を奨励しました。時には巡礼者の数が50万人に上ったといわれています。巡礼者たちは蟻の列さながらに村から村へと、サンチャゴ・デ・コンポステラを目指して歩きつづけたのでしょう。
 また、ここサン・テミリオンには葡萄畑に囲まれたステキなホテルが2軒あります。一つはモノリト教会のすぐ傍に建つ、「オステルリー・ド・プレザンス(Hostellerie de Plaisance)、もう一つは「オテル・グラン・バライユ(Hôtel Grand Barrail)」です。この2つは少々贅沢なホテルですが、機会がありましたら是非お泊りいただく価値のあるものです。「オステルリー・ド・プレザンス」はシャトー・ペトリュスの御曹子エドワール君のご推薦で、レストランは当時ミシュラン1星でした。ここは部屋の名前がシャトー名となっており、特に「ボーセジュール・ベコ」の部屋からはサン・テミリオンの町と葡萄畑が一望でき、思わず興奮してしまうほどの見事な眺めです。「オテル・グラン・バライユ」は同名の<シャトー・グラン・バライユ・ラマルゼル・フィジャック>の葡萄畑に取り囲まれるように建っており、ワイン好きにとってはもうたまらないホテルです。
 因みに、サン・テミリオンは、ワインと共に人気の銘菓「マカロン」の生まれ故郷としても知られています。
 私はボルドー留学以前からこの町を何度訪ねたことでしょう。時には妻と、時には友や親戚の者と、そして一人で。シャトー巡りはいつも快適なマウンテン・バイクでした。
 あまりにも美しい町のため前置きが少し長くなってしまいましたが、これからいくつかシャトーをご案内いたします。
 サン・テミリオンのワインは酒質のタイプからみると、大きく2つに分けられます。一つはこの地区の東側半分、丘の上の町を中心にして衛星状に取り巻いているグループ。もう一つはこの地区の北西部の低地にあるグループです。丘の方の葡萄畑(標高75メートルほど)は固い岩盤になっていて、斜面を段々状に削ってその上に土を盛ったようなところに葡萄畑がある感じです。そのためこの辺りはメドックと違って、地下蔵を持っているシャトーが多いのです。シャトー・オーゾンヌの岩を抉った地下蔵は見事なものです。片や、低地の方は平坦地(標高35メートルほど)ですが、その代わり砂利層に恵まれています。粘土もあるし、鉄分も含んでいます。ただ、低地の方は晩霜に襲われ易いのが難点です。
 先ずは、丘にある<クロ・フルテ(Clos Fourtet)>をご案内しましょう。ここはモノリト教会のすぐ裏手にあり、友や親戚の人たちをサン・テミリオンに案内するときには便利なため何度も訪問しました。蔦の絡まる館はあまり見栄えはしませんが、ここの洞窟のワイン・セラーは見事なもので、13ヘクタールの広さを誇り、サン・テミリオンの町の下まで延びています。内部は3層になっており、一番下まで降りるのが大変なほどです。ボルドーでも最も優れたカーヴの一つでしょう。ある時はおばさん風な人が、ある時はおじさん風な素朴なヴィニュロン(葡萄栽培者)が案内してくださいます。この洞窟内の天然カーヴは夏なのに冷やりとして寒いくらいです。2002年の大樽から熟成中のワインを大きなピペットで吸い上げグラスに注ぎ試飲させてくれました。2002年の<クロ・フルテ>は以前よりもメルロの比率を引き上げて85パーセントにしているようで(残り15パーセントはカベルネ・ソーヴィニョンとカベルネ・フラン)、深みのあるルビー色をしており、大柄で肉付きがよく、ブラックベリーやチェリーの果実風味のある将来が楽しみなワインです。本来の<クロ・フルテ>の良さが蘇ってきたように思います。
 ところでボルドー第2大学醸造学部のひとつのメリットとして、そこに在学中であるというだけで案内人は一応プロの仲間として認めてくださって丁寧に応対してくれることです。この<クロ・フルテ>もそうでした。一般見学者と違って醸造にも話が及び俄然熱を帯びてまいります。真剣になって質問にも答えてくれます。これはとてもありがたいことで、大学に只管感謝です。
 次は同じく丘にあり、クロ・フルテの西隣りの<ボーセジュール・ベコ(Beau-Séjour Bécot)>です。10年以上前に遡りますが、妻と二人でポムロールとサン・テミリオンの旅に出掛けた時に、ポムロールのヴィユー・シャトー・セルタンでつい長居をしてしまい、慌ててマウンテン・バイクを漕いで<ボーセジュール・ベコ>に辿り着きましたが、既に見学時間を過ぎていました。それでも案内役の若い女性に無理をお願いして、試飲なしでシャトー内の案内だけを頼みましたところ快く引き受けてくださいました。ここもクロ・フルテと同様に見事な地下蔵があり、驚いたことに洞窟内にはガロ・ロマン時代の人骨がそのままに置かれていました。不思議な光景でした。彼女は最後に試飲までサービスしてくださいました。良い思い出となりました。彼女のご親切に只管感謝です。
 丘の葡萄畑の最後は、ボーセジュール・ベコからそう離れていない<シャトー・アンジェリュス(Château Angélus)>をご案内しましょう。ここのオーナーであるウベール・ド・ブアール・ド・ラフォレ氏とは東京で一度お会いしたことがあり、クリスマスカードの交換をしておりました。ボルドー留学中に手紙を書いたところ、是非シャトーにいらっしゃいとのありがたいご返事をいただきました。早速に友人を誘って勇んで出掛けました。ところが張り切り過ぎて予約した時間の30分前に着いてしまい、暫くは周りの葡萄畑の写真を撮ったりして10分前にシャトーを訪ねると、もう暫くお待ちくださいとなかなか厳しい。約束の時間丁度に若い女性が現れ、誠に申訳ないのですが急遽オーナーが会合に出掛けなければならなくなってしまい、代わりに私がご案内しますと。なんだ折角訪ねたのにオーナーがいない上に、こんな若いお嬢さんかと正直ちょっとがっかりしてしまいました。ところがなんと彼女はド・ブアール・ド・ラフォレ氏のお嬢様でした。当時オーナーはサン・テミリオンのワイン協会の会長を務められており大変忙しい身だったようです。お嬢さんはさすが生まれた時からワインと共に育ってきただけあって、ワイン・醸造関係に大変詳しくびっくりしました。時間を掛けて実に丁寧にシャトー内を案内してもらいました。お嬢さんのフランス語は早口で聞き取るのに苦労しましたが、ボルドー第2大学醸造学部の私と同じコースに合格し、この秋から通うことになりますとの話に大いに盛り上がりました。きっと模範的な学生になって勉学に励んだことでしょう。彼女は先輩の私に敬意を表してくださったのか、試飲室では当たり年の1998年はじめ<アンジェリュス>のいろいろな年代のワインをふんだんに試飲させてくださいました。特に印象深かった1998年は、濃い紫色をしており、ブラックベリーやプラムそして甘草などの複雑な香りを漂わせ、モカ・コーヒーの香りも感じ取ることができ、華麗にして力強く、リッチでバランスのある、見事なワインでした。大いに満足しました。熟成すれば更に一段とすばらしいワインになることでしょう。後ろの棚には1920年や1945年等の古酒が誇らしげに飾られていました。以前のシャトー名は<シャトー・ランジェリュス(Château l'Angélus)>であったように思いますがと彼女に質問したところ、すかさずl'を取ったのはマーケティング上呼び易いように、1996年から<シャトー・アンジェリュス(Château Angélus)>にしましたと答えてくれました。ワインにとっても呼び名は重要なマーケティングのひとつなのですね。因みに、<アンジェリュス>の名前の由来は、この葡萄畑がマズラの礼拝堂と、サン・マルタンの教会と、サン・テミリオンの教会の“お告げの鐘(アンジェリュス、Angélus)”を3つ同時に聞くことのできる、この地方で唯一の場所であったからだそうです。いい勉強になりました。大変楽しい一時でした。
 お嬢さん、ありがとう!
 次回はサン・テミリオンの低地のシャトーとポムロールのいくつかの印象に残ったシャトーをご紹介いたします。

 


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