本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- シャトー訪問記(その9) - ![]() <シャトー・フィジャック> |
サン・テミリオン(Saint Émilion)!何と心地よい響きの地名でしょうか。ボルドーワインを少し飲み込んだ人なら、この言葉の響きに何となく親しげな、そしていつも安心できる一杯の赤ワインを連想することでしょう。 さて、今回はシャトー・シュヴァル・ブランと共にサン・テミリオンの低地を代表する<シャトー・フィジャック(Château Figeac)>をご紹介しましょう。 “丘のシャトー・オーゾンヌ”、“低地のシャトー・シュヴァル・ブラン”の2大巨星があまりにも有名なため<シャトー・フィジャック>はその陰に隠れているよう思いますが、<フィジャック>はサン・テミリオンの西端の低地にあって、この地区で最大(40ヘクタール)且つ最古を誇る名門シャトーのひとつなのです。この<フィジャック>という名前は紀元3世紀~4世紀にかけてここを領有していたローマ人の貴族Figeacusに由来しているといわれるくらい古いのです。かつての<フィジャック>は今とは問題にならないくらい広大でした。500ヘクタールの土地がサン・テミリオンの町からポムロール地区のリブルヌの郊外にまで広がっていたといわれています。中世になるとこの葡萄畑は2つの家に分割され、最後には実業家、銀行家などを多く輩出したカルル伯爵家の領地になりました。しかし、19世紀はじめになると、伯爵の未亡人はその華やかな生活を維持していくために、既に200ヘクタールに減っていた土地を更に切り売りせざるをえな ![]() 歴史はこのくらいにして、<シャトー・フィジャック>をご案内いたしましょう。このシャトーを妻と共に初めて訪れたのは10年程前のことでした。道に迷ってしまい、マウンテンバイクで漸く辿り着いた時は約束の時間を30分ほど過ぎておりました。ルネサンス風の館の一角にある部屋を恐る恐る訪ねると一人の女性が待っておりました。到着時間が遅れたことを詫びるや否や、突然、私はここであなた方だけをずーっと待ち続けていました。どうして遅れたのですかと詰問してきます。余ほど虫の居所が悪かったのか、いかにも不機嫌そうに。私は一本裏手の道に入り込んで迷って ![]() ![]() その後、シャトー・ガザンなども訪ねたのですが、<シャトー・フィジャック>を案内していただいた女性の印象が余りにも強かったのか、その他のシャトーの印象は霞んでしまいました。妻は疲れてしまいホテルに戻りました。私一人だけで更にポムロール地区のシャトー・ラ・コンセイヤントとシャトー・レヴァンジルまでマウンテンバイクを走らせましたが、夕闇が迫ってきましたので外から眺めるだけで諦めて帰ることにしました。 ボルドー留学中も<シャトー・フィジャック>を友と共に何度か訪ねました。その時は前回書きましたようにボルドー第2大学醸造学部のコースに在学中ということだけで毎回好待遇で迎えてくださいました。最初に訪ねた時の女性とあの時の思い出話をしたかったのですが、不思議とお会いしませんでした。ひょっとするとここのオーナー、マノンクール家のお嬢さんだったのかもしれません。 ![]() 次に、サン・テミリオンでどうしても忘れてはいけないことがあります。それはここがいわゆる“ガレージ・ワイン”と称されるボルドーワインの革命の中心地でもあったということです。この10数年間でボルドーにおいて最も興奮させられるアペラシオンがサン・テミリオンでした。それは先進的な葡萄栽培と実験的なワイン醸造の場であり、世界中で“ガレージ・ワイン”として知られる動きがこの地で生み出されたからです。“ガレージ・ワイン”の最初のきっかけとなったのは、後で触れるポムロールの小さなシャトーの<ル・パン>でした。しかし、サン・テミリオンで始まったこの動きは、通常高い比率のメルロからなる選別した畑の一画で収穫された少量の葡萄を醸造するというものです。殆どのシャトーからつくられるワインの量は非常に少なく6,000本以下であり、ガレージに置いておける量なので、フランスのある評論家がこうしたワインを、“Vin de garage”(ヴァン・ド・ガラージュ、即ちガレージ・ワイン)と名づけたのがはじまりといわれています。その先頭に立って栄光への道をひた走ったのが、これから紹介します、シンデレ ![]() ![]() そのテユヌヴァン氏がサン・テミリオンの町中に構える小さな事務所を留学中に友と3人で訪ねた時に、偶然ご本人がおられ、葡萄畑を案内するから見ていって欲しいと、願ってもないお言葉を頂戴しました。ちょっと片付けたい仕事があるので、先に行っているようにと葡萄畑の地図を書いてくださいました。もう3人して興奮状態で車(その時はマウンテンバイクではありませんでした)に飛び乗って地図を片手に探し回ったのですが、何処にも目印らしきものがなく、谷間にひそむ小さな葡萄畑をとうとう見つけ出すことはできませんでした。テユヌヴァン氏も、さっきの日本人は一体何処に消えてしまったのかと探し廻ったことでしょう。折角の大きなチャンスをみすみす逃してしまったと、いまだに悔やんでいます。最近はこの“ガレージ・ワイン”のブームも去って、翳りをみせてきました。これからは市場の淘汰によって最良のものだけが残っていくことになるでしょう。 次は、その<ヴァランドロー>に大きな刺激を与えた、ポムロールにある元祖“ガレージ・ワイン”の<ル・パン(Le Pin)>をご案内しましょう。ここを初めて訪れたのは10年ほど前のことでした。リブルヌ駅からタクシーに乗り、地元の運転手さんなら分かるだろうと<ル・パン>の案内を頼みました。そこには驚いたことに普通の家 ![]() ポムロールの古典的なシャトー・ラフルールやシャトー・トロタノワ等をご案内したかったのですが、紙数が尽きてしまいましたのでこの辺でサン・テミリオンとポムロールの旅を終わらせていただきます(ポムロールにつきましてはvol.41,55をご参照ください)。 次回はコート・デユ・ローヌのシャトーをご案内したいと思います。 |
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