本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - シャトー訪問記(その12) -


<シャプティエの葡萄畑>
 明けましておめでとうございます。昨年は一年間に亘り駄文《ボルドー便り》をお読みいただきほんとうにありがとうございました。思い起こせば、この駄文を原田先生のHPに掲載させていただきましてから今年で早や6年目を迎えることになり、誠に感慨深いものがございます。今までご支援くださいました読者の皆様そして原田先生には心から感謝と共に御礼申し上げます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 さて、今回は憧れの「ラ・ピラミッド」に漸く別れを告げ、ローヌ渓谷沿いに車を走らせてコート・デュ・ローヌ地方(Côtes du Rhône)北部の葡萄畑をご案内したいと思います。ヴィエンヌからアンピュイの村落に入ると、この村を背に広がるのが<コート・ロティ(Côte Rôtie)>と呼ばれ、この地方ではエルミタージュ(Hermitage)と共に最も注目されている赤ワインの産地です。<コート・ロティ>はシラー種の葡萄でつくられる繊細で、エレガントで、果実味豊かなワインといわれています。でも今回初めてこの葡萄畑を訪れた時、およそエレガントとは程遠い、ローヌ河を睥睨する目も眩むような急峻で切り立った(場所によって勾配は60度にもなる)葡萄畑を目の当たりにして足がすくむ思いでした。葡萄樹はまるで天を仰ぎながら大地にしがみついているようにも見えました。そして人一人がやっと登っていけるくらいの崖とも思えるこの険しい丘の斜面に、何故に葡萄樹を植える必要があったのだろうかと不思議な思いに駆られたものです。ヨーロッパの中で<コート・ロティ>ほど垂直に近い、畏敬の念を抱かせる外観をなしている葡萄畑はないといわれています。誰でもこの畑を初めて見た時の光景は忘れられないでしょう。そこは文字通りの意味で<コート・ロティ(火炙りの丘、焼けた斜面)>でした。平坦地の多いボルドーやブルゴーニュの葡萄畑と違って、残念ながらここはマウンテンバイクではとても登り切れるような代物ではありませんでした。
 さあ、それではこの地でギガル(E・Guigal)と並び、コート・デュ・ローヌを代表するつくり手のシャプティエ(M・Chapoutier)をご案内することにいたしましょう。シャプティエ社の創業は1808年で、家族経営を今につづける老舗中の老舗です。シャプティエ兄弟は自分のスタイルに固執せずに、あくまでテロワール(ワインは土地、気候、葡萄品種の3つの幸運な結合によりつくりだされています。こうした条件の結合をフランス語でテロワール(Terroir)と称しています)の特徴を表すワインをつくっているのだと胸を張ります。そのためにはテロワールの個性を引き出さなければならない。だからビオディナミ(Biodynamie、生力学栽培)を導入したのだと自信をもって語ります。確かにビオディナミをはじめた1991年以降、シャプティエのワインは変わったといわれます。では、ワイン関係者でも馴染みの薄いビオディナミとはどういう栽培方法なのでしょうか。皆様にはビオロジー(Biorogie、有機栽培)については、有機野菜等で馴染みがあるかと思います。それは化学肥料や除草剤、殺虫剤等を含む農薬を一切使わない農法のことです。これに対してビオディナミは誤解を恐れずにいいますと有機農法を更に追求した徹底版です。要するに単に農薬や化学肥料を使わないだけでなく、本来の土壌の活力を取り戻し、太陽や月その他の惑星の動きが環境に及ぼす影響を考えながらワインづくりを進めるという究極の自然農法なのです。そこでは必ず引き合いに出されるのが黄道宮(いわゆる星座)との関係です。それと有機肥料を使った奇妙な調剤(例えば、雌牛の糞をその地方で育った雌牛の角の中に詰め、土中に埋めて一冬熟成させたもの)や必要に応じて薬草(ノコギリ草、カモミール、イラクサ、ヨーロッパ・ミズナラの樹皮、タンポポ、カノコ草)を用いるため、理性に基づく科学的世界観とは相容れない神秘的な農法のようにも思われています。これは旧オーストリア・ハンガリー帝国の思想家であり、人智学(アントロポゾフィー)の創始者であるルドルフ・シュタイナー(1861-1925、今も「ヴァルドルフ校(シュタイナー学校)」として全世界に展開され、その思想が受け継がれています)が1920年代に提唱した農法です。シャプティエは、今やフランス最大のビオディナミのワイン醸造者として他の追従を許しません。そして、ビオディナミを科学的に解明することが大事だと考え、その根底にある科学を進んで理解しようとすれば、ビオディナミには必ずやすばらしい未来が開けるだろうとも語っております。
 ワイン醸造家というものはワインづくりに対する確固たる哲学をもっています。シャプティエがビオディナミという農法を実践しているのもそのひとつですし、そしてもうひとつは1995年以来“点字表示”のラベルを採用していることです。点字表示はシャプティエが世界で初めてはじめました。それはシャプティエの友人に殊の外エルミタージュの白ワイン、<Chant-Alouette(シャンタルエット、ひばりの歌)>の大変好きな盲目の女性シャンソン歌手がいたそうで、彼女が「いつもこのワインがテーブルの上にあることを確かめられればいいのに」といったのがきっかけだといわれております。“ひばりの歌”という名のワイン、それが盲目の女性シャンソン歌手の好みのワインだったというのは何ともロマンチックでステキな話ではありませんか。また、「Vendange de Coeur(ヴァンダンジュ・ド・クール、心の葡萄収穫)」という骨髄バンク基金への寄付を募るため、シャプティエの舘で特別なオークションを開催した時から採用したともいわれております。いずれにしましても“点字表示”のラベルはすばらしいアイデアだと思いますが、これを倣って継ぐ醸造家がその後出てこないことをシャプティエは嘆いております。
 <コート・ロティ>に話を戻しますと、ここは赤ワインをつくることのみが認可された地域です。仮にここで白ワインをつくったとしても、それは<コート・ロティ>の名称を名乗ることはできません。けれども、ここの畑には白葡萄をつくる葡萄樹がいくらか植えられています。これには意味があるのです。つまり、<コート・ロティ>では白ワインをつくるために栽培されるのではなく、赤ワインの酸味を補うために最高20%まで白ワインを加えることが許可されているのです。この法律はフランスでも特殊な例といえましょう。それでは、<コート・ロティ>では何故に白ワインまで加えて酸味を補う必要があったのでしょうか。それはここが南南東を向いた60度にも及ぶ傾斜地であるため、葡萄畑が受ける太陽のエネルギーは予想を遥かに超えて強烈だからです。この強すぎる陽射しによって奪われてしまう酸味を補う必要があったのです。“焼けた斜面”と名づけられた、過酷な環境の中で育まれたワインは、この地でしか味わえない特別な顔を覗かせています。
 ここにはもうひとつ興味ある話があります。この急斜面の葡萄畑には、昔から2つの伝統的な区分があって、夫々から生まれるワインは別のものとみなされていることです。その2つとは「Côte Brune(コート・ブリュンヌ、褐色の髪)」と「Côte Blonde(コート・ブロンド、金髪)」で、その昔、この一帯を支配していた領主の遺言により、領地の葡萄畑が褐色の髪をした娘と金髪の娘に遺産として分け与えられたことに由来するといわれています。いまでもラベルでこの2つを区別していますが、最近では昔ほどこの種のラベルは見掛けないようになりました。それでもシャプティエの好敵手E・ギガルはこのやり方を今も頑なに守り続けています。
 <コート・ロティ>の先には、コート・デュ・ローヌ地方の中でも一番小さい畑が続いています。否、この地方だけでなくフランスでも一番小さなAppellation Contrôlée(アペラシオン・コントローレ、統制呼称)をもつ畑です。ひとつは<Condrieu(コンドリュ)>、もうひとつは<Château Grillet(シャトー・グリエ)>という2つの稀少な白ワインです。前回お話しましたように、<コンドリュ>の今日の名声を築いた一端は、「ラ・ピラミッド」の偉大なオーナー・シェフのフェルナン・ポワンがもたらしたものであることに異論はないでしょう。<コンドリュ>とは“流れの変わり目”を意味しているように、ヴィエンヌからはじまるローヌ渓谷が大きく右側に流れを変えたところに位置しています。ここでは<コート・ロティ>の赤ワインの補助品種として使われていたヴィオニエ種が、<コンドリュ>では主役に躍り出て類稀なるすばらしいワインをつくりだしています。<コンドリュ>が放つ気品溢れる濃厚な香りは格別で、白い花を連想させます。ローヌ渓谷の葡萄畑は植樹の起源に関する古い文献は乏しいのですが、多くの歴史家たちは、ヴィオニエ種はシラー種共々紀元前600~400年の間にギリシャ人によりもたらされたものだろうと述べております。地元コンドリュの語り部の中には、ローマ人こそがヴィオニエをダルマチア(現在のクロアチア共和国のアドリア海沿岸地域)から略奪してきたものであり、彼らが紀元3世紀頃、今のコンドリュの村の裏手にある急峻で不毛な斜面に植樹したのだと語るものもいます。
 その<コンドリュ>の地域の中でも、更に特別視されている3ヘクタールほどの正に郵便切手サイズの統制呼称をもつ葡萄畑があります。それが<シャトー・グリエ>と呼ばれている畑です。<コンドリュ>から眺めるその景色はまさに絶景で、いつまで眺めていても見飽きませんでした。伝説的な<シャトー・グリエ>がつくる白ワインは、ローヌ渓谷で最も有名であるだけでなく、フランスで最も高名なワインのひとつでもあります。葡萄畑はローヌ河から150メートルほど上の完璧な半円劇場のような中にあります。卓越した南南東向きで、生育期にはやはり強い陽射しを浴びます。葡萄品種は1.6キロメートルしか離れていない<コンドリュ>と同じく、気難しくて気まぐれなヴィオニエ種です。<シャトー・グリエ>は茶色がかった黄色の細身の瓶で、フランスでこのタイプの瓶を使っているのはここだけですので、すぐ見分けがつきます。でも、とても稀少なものですからなかなか手に入りません。よく見ると、この瓶は700mℓ入りです(普通瓶は750mℓ)。この<シャトー・グリエ>は1830年以降、ネイレ・ガシェ家が単独所有しています。このワインは<コンドリュ>のように決して濃厚なタイプではなく、むしろ繊細でエレガントな優しさを感じさせる飲み心地です。自己主張することなく控えめで、とても優しい味わいです。
 <コート・ロティ>と共にローヌ渓谷のワイン王国に君臨するもうひとつの偉大な赤・白ワインがつくられている<エルミタージュ(Hermitage)>に辿り着かないうちに紙数が尽きてしまいました。いつかコート・デュ・ローヌの南部の葡萄畑をご紹介する時に併せ述べてみたいと思います。
 今年も皆様にとって良い年でありますようにお祈り申し上げます。



 


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