本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- シャトー訪問記(その13) - <カオールの葡萄畑> |
余話が2話つづきましたので、本来の<シャトー訪問記>に話を戻します。 初秋のある日、ボルドーで知りあった唯一の同世代の空手4段(道場師範)の猛者であるフランス人のS氏から何処でも好きな所へ案内します、とありがたい言葉を頂戴しました。そこで土曜日、日曜日を利用して、春のバスク地方につづき、初秋のカオール(Cahors)へ交換留学生のS嬢を誘って一泊2日の旅に連れて行ってもらうことにしました。カオールはボルドーから東へ150km(パリから600km)ほどのところにあり、“黒いワイン(Vin noir)”と呼ばれるフランス南西部の中で最高の赤ワインをつくっている産地です。 朝早く3人で出発しました。高速道路をフルスピードで走り抜けます。普段は紳士然としたS氏も車となると人が変わったようにスピード狂と化します。フランス人は何故こうも飛ばすのかといつも吃驚してしまいます。高速を降りると果樹園を通り抜け、やがて目も覚めるような風光明媚なロート川(Le Lot)沿いを走りつづけます。既にあちこちに紅葉が見られます。まだ初秋であり、南フランスに近い場所なのに既に紅葉しているのは何故か。樹木の種類が違うのかしらとS嬢は言う。S氏は道路が急に狭くなったり、でこぼこになっていたりしても慎重な運転をせずに、精々肩をすくめるくらいでスピードを落とそうとはゆめゆめ思わないのです。愛車のブレーキに絶対的な信頼をおいているのでしょうか。ようやくボルドーを出発してから2時間半ほどして、目指すシャトーに辿り着きました。 それではシャトー訪問の前にカオールのワインの歴史について簡単にお話しいたしましょう。カオールの赤ワインは、紀元1世紀の頃からローマ帝国の歴代皇帝に高く評価されていたといわれ、世界でも最古のワインのひとつに数えられています。しかし、南西部きっての銘醸ワイン産地のカオールは、世界的に有名になったボルドーと対照的に、その“黒いワイン”の如く暗黒の歴史をもつ産地となってしまったのです。13世紀から14世紀にかけてこの地を占領したイギリスは、当時、色が薄くすぐに酸っぱくなるボルドーワインと違い、色が濃くてしっかりしたカオールに出合い大喜びしたといわれています。でも、その後カオールはイギリス王エドワード3世に政治的に逆らったことから差別を受け、長く不遇の時代をかこつことになりました。現代に至るまで品質の良いワインは途絶えることなくつくりつづけてきたものの、世間的にはボルドーワインに大きく遅れをとってしまいます。ところが20世紀に入ると、葡萄栽培者の大変な努力により、この地方独特の高品質のコー(Cot)とかオーセロワ(Auxerrois)とも呼ばれるマルベック種(Malbec)の葡萄を育てるなどすばらしい成果を上げるようになり、1971年にはAOC(原産地統制呼称)を獲得するまでになったのです。 さて、最初のシャトーは<シャトー・デュ・セドル(Château du Cèdre)>です。このシャトーは当時知らなかったのですが、後でカオールの中で最も傑出したシャトーであることが分かり、私のためにS氏が良くぞ探し当て予約を入れておいてくれたものと只管感謝しています。有名なゴーミヨ誌のカオールワインのテイスティングで単独トップの評価を獲得したことでも知られています。当主である、パスカル・フェラージュはブルゴーニュやナパヴァレーでワインづくりを学び、1987年に帰国後に自分のシャトーでワインづくりをはじめ、10年を経た頃からようやく土地に合ったワインをつくれるようになったと語っておりました。90年中頃からのワインには目を瞠るものがあり、各誌で最高の評価を得るようになりました。 ここはボルドーのシャトーから比べれば簡素な館でしたが、テイスティングルームでマダムからこのシャトーのあらゆる種類のワインを飲ませていただきました。赤ワインは<ジェ・セ(GC)2001年>、<ル・セドル(Le Cèdre)2001年>、<ル・プレスティジュ(Le Prestige)2001年>、<セドル・エリタージュ(Cèdre Héritage)2000年>、そして白ワインはヴィオニエ種の<ル・セドル・ブラン(Le Cèdre Blanc)>でした。赤ワインはどれもノンフィルター(ろ過せず)で、全てがこの土地独特のマルベック(オーセロワ)を90~100%使用しています。特に、樹齢45年以上のマルベック種の葡萄100%からつくる<ジェ・セ(GC)2001年>と樹齢30~40年のマルベック種(90%)とメルロー(10%)の葡萄を使い、新樽100%で20ヶ月寝かせた<ル・セドル2001年>は実に秀逸なワインでした。これらはボルドーのグラン・クリュ・クラッセ(特級格付け)並の高価格であることが後で分かりました。美味しいわけです。カオールのワインはインクのように色が濃くて、タンニンが強すぎるため最低5年は待たないと飲めないと言われておりますが、これらのワインは滑らかで、果実の凝縮感のあるすばらしいワインに仕上がっており、充分に堪能することができました。 次なるシャトーは、ボルドー並みの堂々たる威容を誇る<シャトー・ド・シャンベール(Château de Chambert)>です。このシャトーは既に16世紀に存在していましたが、フィロキセラ(phylloxéra,「フィロキセラ・ヴァスタトリクス」の一種で、葡萄の樹に寄生し、根を攻撃する害虫。1860年代からその世紀末に亘って殆どのヨーロッパの葡萄畑を全滅させた)により完全に荒廃してしまい、本格的な復興に乗り出したのは漸く1973年になってからで、最近は有力なステファン・ドゥルノンクールを葡萄畑の管理と醸造のコンサルタントに迎え入れてから飛躍的に質が向上したといわれています。私が訪ねた時にはまだマルベックを主体にした平凡なワインでしかなかったように思います。シャトーの建物の威容さだけでは必ずしもワインの質は測れないことが、この2つのシャトーを訪問して良く分かりました。 今度はカオールの美しい町をご紹介しましょう。先ず、世界遺産に登録されている、ロート川に架かる見事なヴァラントレ橋(Pont Valentré)です。この橋には中世起源の不思議な伝説が残っております。1308年に着工され、半世紀以上かかって完成されたというフランスでも有数の規模の石橋で、工事は難航を極めました。建築家は業をにやして、自分の魂と引き換えに、工事の仕上げを悪魔に任せたのです。悪魔は瞬く間に重い石を積み上げ、橋を見事に完成させてくれました。とはいえ建築家の方は魂をゆずりわたす気などない。篩に水を汲んでこいなどといって悪魔を困らせ、命拾いを目論む。だが悪魔は怒って、仕返しに橋の中央の塔の頂の石を抜き取ってしまいます。以来、いくら石を嵌め込んでもそこから崩れ落ちてしまうので、塔は長いこと穴の開いたままだったといいます。そんなわけで、この塔は「悪魔の塔」と呼ばれるようになりました。ただし、これには後日談があって、完成の500年後、1877年のこと、修復工事の際に建築家のポール・グールは問題の石を入念に穴に押し込め、その上に小さな悪魔の彫刻を添えて置くことにしました。爾後、この小悪魔像のお陰なのかどうか、石は2度と落ちてこなくなりました。目出度し、目出度しというお話です。ためしに橋上の道を歩き、中央の「悪魔の塔」へ近づいてみました。褐色の三角形の屋根のある白いごつい石の塔ですが、その上端に近い東の隅に、なるほど、黒い小さな彫像らしきものがくっついています。目をこらすと、確かに両手両足をもつ人間のような、猿あるいは蛙のような何ともユーモラスな格好をしたものがへばりついています。あるいはよじ登っている最中のようにも見えます。この小悪魔が要塞さながらの橋上の巨塔にへばりついて、危ない石を懸命に支えている有様は何とも突飛で、思わず笑みがこぼれます。この小悪魔一人の出現によって何やら本当に御伽噺のような古拙な味わいを醸し出しており、建築家一流のユーモアを感じました。 この橋は160mもの長さに3つの塔を持つ、正に城塞の景観を呈しています。時おりの静寂さをはさみながら、様々な人々が橋を往き来し、中世と現代を結んでいるように思いました。ちょうど橋の横の運河では水門(エクリューズ、Écluse)で運河の水位を上げて船を送り出している光景に出合いました。この橋から眺める対岸の旧市街の風景は実にすばらしい! この橋から少し駅の方向に歩いて、並木通りに出たのでふっとプレートを見ると「アンドレ・ブルトン大通り(Avenue André Breton)」とあり、あの有名な詩人の名前かとしげしげと眺めたものです。そういえばカオールの東方にあるロート川の渓谷をのぞむ、フランスで最も美しい村といわれるサン・シルク・ラポピー(St-Cirq Lapopie)というステキな地名は、晩年のアンドレ・ブルトン(1896-1966、フランスの詩人、文学者、シュルレアリスムの「父」)がここを訪れ感動し、毎夏ここに住むようになったと本で読んだことを思い出しました。 そして岸から眺めるとこの橋は予想以上に大きいことが分かります。百年戦争の時にも、16世紀にアンリ4世によって包囲された時にも陥落したことなど一度もないといわれています。古武士の風格を湛えた中世の一大モニュメントであることが実感できました。 東のオーヴェルニュ山塊から流れでたロート川はボルドー市の真ん中を横切り西の大西洋に注ぐ大河ガロンヌと交わるまでの間、ときに深い谷の奇観を呈しながら屈曲を繰り返す。その屈曲部のひとつ、まるで紐が垂れるように南へ下り、方向転換してまた北へ向うU字形の流れの内側にカオールの町が丸ごと収まっています。 さて、私たちは一旦ロート川沿いのホテルに荷物を解いて、これからいよいよ古都カオールの美しい旧市街の探訪に出掛けることにいたします。 次回はカオールの旧市街、それから帰りに立ち寄ったアルズー渓谷の切り立った絶壁にひっそりたたずむ小さな村ロカマドールやペリゴール地方の洞窟、そして美しいサルラの町等についてご案内したいと思います。 |
上のをクリックすると写真がスライドします。 |