本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - シャトー訪問記(その14) -


<サン・テティエンヌ大聖堂(カオール)>
 さあ、これから古都カオールの旧市街をご案内しましょう。
カオールは前回お話しました“黒いワイン”といわれる濃い色調の赤ワインと共にフォワ・グラ(Foie gras)の産地としても有名です。名物の地酒を飲み、名物のフォワ・グラを添えたトゥールヌド(Tournedos、厚さ2センチほどの牛フィレ肉の丸い切り身のまわりに豚の背脂を巻いてソテーする)を食べれば正にご機嫌、天国に行った気分になること請け合いです。旧市街を散策しながら、フォワ・グラの美味しい店を見つけにまいりましょう。
 何処に行ってもカオールの街は古く優しくて、そして美しかった。品のいいマダムの佇まいというべき雰囲気をもっていました。それはこの街が心なしか身だしなみを調えた気品溢れる女性のような感じを受けたからです。フランスの地方都市を歩くと街の匂い、音、光の表情が夫々違うように思えて面白い。暗く細い露地には2階建て3階建ての、古い石造りの家々がびっしりと立ち並びます。豊饒すぎるほど石また石の連続です。そして家々に取り囲まれた中にひっそりとした中庭があります。こういった静かな中庭にこそ、フランスの真の美しさが潜んでいるように思います。でも静まり返ってはいますが、人が住んでいる証拠のように、時おり可愛らしい女の子や男の子が露地にちらりと姿を見せます。商店街の店々の窓辺には赤いゼラニウムや紫のペチュニアが咲きそろっています。ここは昔の城壁の内側だったのでしょう。
 カオールは13世紀に繁栄をきたした中世の大商業都市、フランスどころかヨーロッパの金融センターとして知られ、夢のような美しい都市を形成していたのです。法王や国王にもお金を貸し、北はノルウェー、東はレバノンあたりにまで拠点をもっていたという過去の栄光も、この街を浸す美しいロート川の水の霊験に結びついていたのではなかろうかとふっと思えてきます。
 市庁舎の北の細い露地を通って暫く行くと、傾きかけた古い建物の谷間に思いがけず白い石造建築の正面が覗き見えてきました。サン・テティエンヌ大聖堂(Cathédrale St-Etienne)です。谷間を抜けて出てきた時にはもう見上げるばかりの堂々たる建築物の全貌を現していました。11世紀末に建造がはじまったロマネスク様式のものですが、正面は14世紀はじめの頃の作で、開口部は凹凸も少なく、薔薇窓(Rosace)やポルタイユ(Portail,正面入口)も小さく、全体に平らな石積みの面が上までつづいているので、やはりどことなく要塞を思わせます。S氏に言わせると、12世紀に遡る北側のポルタイユが有名なのだというので廻ってみると、なるほどすばらしい。キリストの昇天を描くタンパン(Tympan,アーチと楣(まぐさ)との間の半円部分)の浮彫で、中央のアーモンド形の空間の中に天を指すキリストが位置し、両側には踊るような、のけぞるような、奇妙な恍惚のポーズをとる天使たちが配されています。上には逆さまになった小天使たちが舞い、左右の四角い枠の中には投石によって殉教した聖エティエンヌの故事 ― この扉口彫刻は「神の国」、天国への門なのでしょう。それから西正面に戻って入場すると、同じ大きさのドームを2つ持っていることが分かります。直径18m、高さ32mというめったに見られない2連ドームの形式で、フランス最大とのこと。内陣から南へ出ると16世紀のクロワートル(Cloître、中庭を囲む回廊)があり、そこから仰ぎ見る2つのドームと塔の威容さに圧倒されます。ドームの要塞めいた四角い塔や円窓との組み合わせの妙に魅了されてしまいます。そのクロワートルの北側の奥に、もうひとつ、礼拝堂があり、「最後の審判」を描く15世紀末の作品がかなり生々しく地獄の光景を写し出していました。
 それから大聖堂の北側に広がる旧市街を歩き廻りました。中世末の家々が残る魅力的なところです。何よりも旅人を優しく包み込む、やはりどこか女性的な雰囲気が心地良い。ロート川の近くにある15世紀の美しいロアルデ館(Hôtel de Roaldès)も中世の面影を残しておりました。
 プラタナスの並木道がつづく賑やかなガンベッタ大通り(bd.Gambetta)に出て、今宵の美味そうなレストランを物色しようとした矢先に突如土砂降りの雨に遭い、ほうほうの態で通りに面した一軒のレストランに駆け込みました。その店で運良く今日訪ねた「シャトー・デユ・セドル(Château du Cèdre)」の<ル・セドル(Le Cèdre)1999年>が置いてあったので、念願の<フォワ・グラ添えトゥールヌド>と共に味わいました。ワインも料理も文句なしに美味い!地方の名物料理はどの店に入っても、味について極めて高い水準に維持されているのがうれしい。いつも地方を訪ねると思うのですが、土地土地のユニークな料理を味わいながら、地元の旨いワインを心ゆくまで時間をかけて賞味する、これこそが最高の愉悦の時だと。この時も雨が小降りになるまで三人でワインを片手に今日一日の旅について語り合い、ゆっくりと料理を楽しみました。通りを行き交う赤黄白の明るいレインコートを着た人々を眺めながら、ゆったりとした時が流れていきました。
 食事が終わって外に出るとまだ小雨が降りつづいていました。3人は心地良い酔いにまかせて、傘もなしに、川沿いのホテルまでをひた走る。小雨の中を道が揺れる、建物が揺れる、町全体が揺れる。ホテルに辿り着き一息入れていると、下のレストランから懐かしいジャズの生演奏が聞こえてきました。階下を覗きに行こうかと思っていましたが、ひと風呂浴びると疲れていたのか微かに流れてくる心地良い演奏を聞きながらいつの間にか眠ってしまいました。朝起きると部屋から眺めるロート川の風景はすばらしく、遊覧船が行き来しています。山は早や紅葉がはじまっていました。
 ということで、一日ですっかりカオールの街の佇まいとロート川の風景、そしてワインと料理に魅了されてしまいました。カオール万歳!
 さて、朝食を済ませていざ出陣です。次なる行き先はクロマニヨン人の芸術に出合う、ペリゴール地方(Périgord)の洞窟巡りです。丘を越え野を越えて車はひた走ります。S氏は相変わらず飛ばす飛ばす、怖いくらいです。漸く目的地のパディラック鍾乳洞(Gouffre de Padirac)に辿り着きました。大きな穴の中へ、エレベーターを3回乗り継いで100メートルほど地下に降りると、そこは別世界のような鍾乳洞が15キロに亘ってつづき、何とも表現しようのないほど美しく澄んだエメラルド色をした川が流れています。小船に乗って地下探検です。あたり一帯、鍾乳石が石灰岩の天井からぶら下がっており、そのスケールは驚くばかりです。すっかり幻想的な世界に入り込んだ気持ちになりました。今回は時間の関係で最も有名なラスコー(Lascau)には行けませんでしたが、ペリゴール地方には先史時代の洞窟や遺跡が200近く発見されています。こんな所がフランスにはあったのだと改めて吃驚してしまいました。
 ロカマドゥール(Rocamadour)に行く前に、1920年に発見されたという近くの鍾乳洞、グロット・デ・メルヴェイユ(Grotte des Merveilles)に立ち寄りました。緑に囲まれた秘密基地のような入口から内部に降りていくと、突如そこには又しても別世界が開けてきます。様々な奇岩で天井と地面が覆われ、いくつものきれいな池が見え隠れする石灰岩の広い洞窟に出ます。凹凸の多い壁のあちこちに墨色で馬、鹿、人間の手らしきものが生き生きと描かれており圧倒されます。現代人の直接の祖先といわれるクロマニヨン人が、2万年ほど前に彼らが洞窟の岩壁や天井に描き続けたこれらの絵はいったい何を物語っているのだろうか。
 次は、ドルドーニュ河(La Dordogne)に繋がるアルズー渓谷(Canyon de l'Alzou)の切り立った絶壁に重なるようにして、ひっそりと佇む美しくも可愛らしい村、ロカマドゥールです。麓のロスピタレ村の見晴台から眺めたロカマドゥールの村は幻想的で強烈な印象を与えてくれました。すばらしい眺めです。フランスの田舎の中でも大変気に入った風景のひとつです。ここの美しさに感動してしまい、妻がボルドーへ来た時に、リモージュからの旅の帰りに電車で再び訪れました。最寄りの駅は無人駅で周囲に何もなく、かろうじて置かれていた1台の公衆電話から宿泊するホテルに電話して迎えに来て貰いました。このようにフランスの地方の村には今でも無人駅が多く、観光地を控えているのにキオスクなど店らしいものは何もなく、勿論タクシーなど便利なものはありません。みなさんはどのような方法で遠く離れているロカマドゥールまで辿り着くのでしょうか。
 ここは1166年に初期キリスト教徒だった聖アマドゥールの遺骸が発見され、しかもその身体が腐敗もせず元のままだったという伝説と数々の奇蹟で知られる巡礼地だったのです。中世の巡礼者たちは罪を悔い改めるために、村の中央にある216段の巡礼者の階段(Escalier des Pélerins)を両膝だけで上ったといいます。その巡礼者の階段を上って行くと、サン・ソヴェール・バジリカ聖堂(Basilique St-Sauveur),ノートルダム礼拝堂(Chapelle-Notre-Dame)そしてサン・ミシェル礼拝堂(Chapelle St-Michel)が集まる聖域に辿り着きます。黒い聖母子像があるノートルダム礼拝堂の黒ずんだ岩肌や船の模型などの捧げものが飾られた様子を見ると、なるほどここは信仰の拠りどころとして長い歴史を有していたのだなと感じさせられます。礼拝堂の外の岩壁に12世紀に描かれたというフレスコ画も見事です。更に上に行くとすばらしい見晴らしの城に出ます。ここからの眺めは麓のロスピタレ村から眺める景色とはまた違って、アルズー渓谷を望む美しさは正に絶景で、うっとりとしてしまいます。いつまで眺めていても飽きませんでした。ここは又<ロカマドゥール>という同名の美味しい山羊のチーズの産地としても有名です。
 少しロカマドゥールに長居してしまいました。次なる美しい街、サルラ(Sarlat)に急ぎましょう。ここはひとつの邸に中世、ルネサンス、古典派といった具合に3つの時代の建築様式が混在する、フランスでもめずらしい街並みで知られています。13~14世紀にかけて商業の中心地として栄え、百年戦争(1337~1453)の間に荒廃した建物の修復をおこなったり、その後増築したことによって独特の建築美が生まれました。今では「サルラ旧市街」の名で街並みが保存されています。また、ペリゴール地方の南部の中心地としてフォワ・グラや胡桃の産地として知られています。サルラに近づくにつれフォワ・グラの農家があちこちに点在し、「フォワ・グラあります」の看板が目につきます。途中で立ち寄ったビストロで味わった、<フォワ・グラ>と<鴨のコンフィ(Confit de canard,鴨肉をその脂で煮る)>の美味しかったこと!
 サルラからボルドーへ帰る途中の運河沿いでは、釣り糸を垂れる人がいたり、ピクニックを楽しんでいる家族連れがいたりと誠にのどかな風景でした。S氏は気を遣ってボルドーへの帰り道に、南西部のワイン産地として有名なベルジュラック(Bergerac)やモンバジャック(Monbazillac)までわざわざ立ち寄ってくださいました。
 今から7年ほど前の、50歳代最後の留学生活に情熱を一心に傾けていた頃の楽しかった思い出のひとコマです。このステキな旅を計画していただいた、S氏の親切で細やかなご配慮に只管感謝のみです。ありがとう、Sさん!



 


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