本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - シャトー訪問記(その15) -


<ドラマンのラインアップ>
 今回はワインという醸造酒の世界から一歩離れて、ブランデーという蒸留酒の世界へご案内しようと思います。ボルドー留学時代にそのブランデーの中でも最高級品をつくりだすコニャック地方を訪れた思い出を綴ってみたいと思います。
 その前にブランデーの魅力について少し語ってみましょう。およそ人類の考え出した蒸留酒の中で、ワインからつくられるブランデーほどすばらしいものは、いまだかつてないだろうといわれています。その絶妙な秀逸さは、あまねく世界中に知れわたっています。古く、そして上質なブランデーは、文化生活における豊かさの象徴でもありました。人に生命の息吹を吹き込むその力は、幾世紀にもわたって讃美の的でした。グラス一杯の優れたブランデーを飲むことは、人生におけるまたとない贅沢のひとつであります。そして歳月こそが上質のブランデーをつくりあげるのです。
 今でこそ容易に手に入るブランデーも、一昔前までは正に高嶺の花であったのです。海外出張や旅行に行くとこぞって買い込み喜び勇んで帰国したものです。ブランデーを嗜む人は、その馥郁とした香りゆえに買い求めました。そのくらくらとするような強烈な芳香に先ずもって酔ったのです。ブランデーを楽しむのに一番向くのは、大ぶりのグラスです。大きな風船のようなあの球形のグラスです。これだとグラスの中で、その底にほんの僅かに入れたブランデーをぐるぐる回して空気と接触させることができます。私も大学生の頃に、この風船型のグラスにブランデーならぬ水を注いで、たえずその水を流動させつづける練習をしていました。時には父親の愛飲していたコニャックをこっそり注いで、その芳しき香りを嗅ぎながらシガーをくゆらせ、イギリス紳士気取りになって粋がっていたものです。このようにブランデーはむしろ飲むよりも香りを楽しむものだとさえいえるかもしれません。
 ここにイギリスのひとつの面白い話があります。ある主人が訪問者に一杯のブランデーをすすめました。訪問者はそれを一飲みにして、グラスをテーブルに置いたのです。「上等のコニャックはそんな風に飲むものじゃありません」と主人は言った。「どうも失礼しました」と訪問者は言った。「どのようにして飲むものでしょうか」。「先ず、両手の掌の間にグラスをもち、それを優しく温めるのです。それからそれを鼻に近づけて香りを嗅ぎます」。「それから」と訪問者は言った。「ゆっくり啜るのですか」。「いいえ」と主人は言った。「それを下げて、コニャックについて語るのです」と。
 もうひとつご紹介しましょう。かの有名なイヴリン・ウォーの『ブライズヘッド再訪』の中で、当時もったりした甘いブランデーが流行っていた頃のイギリス人の特徴を辛らつな文章で風刺しています。チャールズ・ライダーが、お人好しぶったずるい男レックス・マルカスターにパリでもてなされる場面です。コニャックはどうもレックスの好みに合わなかった。うす青く透明で、ナポレオンなどという呪文に煩わされない瓶に詰められて目の前に置かれた。まだレックスよりも1、2歳年長ぐらいの若い酒で、しかも近年瓶に詰められたばかりのものだった。中ぐらいの大きさのチューリップ型の薄いグラスについで出された。「ブランデーについては、ちょっとばかり知っているんだが」とレックスは言った。「これは色が悪いな。それにまた、こんな指ぬきみたいに小さなグラスじゃ、とても味わうことができないな」。風船型のフラスコが取寄せられたが、それは彼の頭ほどもある大杯だった。彼はそれを給仕人に命じて、アルコールランプの上にかざして温めさせた。それからブランデーを注ぎ込んで、内部でくるくるころがしてから、立ちこめる香気の中にその顔を埋め、これは自分の家ではソーダで割って飲んでいる程度の代物だな・・・、と彼は言い切った。恐縮したらしい店の人は、こそこそと奥の隠し場所から黴の生えた大きな瓶を運んできた。どうやらそれはレックス級の客のためにしまってあった品らしかった。「そうだ、これでなけりゃいかんよ」と彼は言った。そして、そのもったりと甘たるい混合体を注いで飲み干し、そのグラスの横腹に黒っぽい輪形の跡を残した。「彼らはいつでも多少は隠しているんだ。そして、一発ゴテないことには、決して出そうとしないんだよ。これ、少しやらんかね」。「いや、僕はこれで十分に満足しているよ」。「そうかね。まあ、別にうまいと思わんのに飲むというのは、一番悪いことだからな」と。
 前置きが大分長くなってしまいました。これからコニャック地方をご案内することにいたします。ボルドーから北に100キロメートルほどのところに、コニャック(Cognac)の町があります。緩やかに起伏する丘と葡萄畑の田園地帯に囲まれた、シャラント川の畔にあるこじんまりとした愛らしい町です。ボルドー留学時代に友人たちと長閑なこのコニャック地方を訪ねました。案内役の友からコニャックの製造元の中で何処を訪ねたいかと予め聞かれたので、私は躊躇なく昔から愛飲していたドラマン・ペール・アンド・ドライ(Delamain Pale & Dry)やドラマン・ヴェスパー(Delamain Vesper)の製造元であるドラマン(Delamain)社を希望しました。ここはコニャックの隣にあるジャルナック(Jarnac)という町にあります。日本でも有名なナポレオンのクルヴォワジェ(Courvoisier)社の堂々たる美しい建物を横に見ながら、シャラント川に沿って左に折れると間もなくハイン(Hine)社が現れます。そこの近くに車を駐車させて、地図を片手に古びた建物の間を通り抜けて行くと見落としそうな建物の壁の小さな鋼板に<Delamain & Co.>と書いてありました。ああ、ここがフランスに来たら一度は訪ねてみたかったドラマン社かと感慨深いものがありました。建物の入口の扉が少し開いており、その中の階段を上がって行くと事務所らしきものがありました。来意を告げると間もなく経営陣の一人、ラコスト氏が出迎えてくださいました。俳優のようななかなか格好いい御仁でした。友が予め予約を入れていたのですが、到着が遅れて昼近くになってしまったのです。ラコスト氏はすまなそうに少しの時間しか案内できないが、それとも昼食を済ませて午後からもう一度訪ねてくれますかとのこと。ところが私たちがボルドー第2大学醸造学部の学生であること、そして私が日本のある人の紹介でと名前を告げたところ、にっこりと微笑んでどうぞご案内しましょうということになりました。それからは昼を過ぎても実に丁寧にゆっくりと案内をしてくださいました。私たちが予約の時間を大幅に遅れてしまったこともあって、すっかり恐縮してしまいました。
 ドラマン社は1759年の創業以来(輸入元の明治屋のパンフレットには1824年会社設立とあります)、家族経営を貫き、グランド・シャンパーニュ(Grande Champagne)の葡萄のみを使用した高級コニャックをつくり続けています。ここは純然たるネゴシアンで、葡萄栽培や醸造・蒸留は行わずにオー・ド・ヴィー(Eau-de-vie,生命の水、蒸留した原酒)を買い付けて、長期熟成(最低でも熟成に25年を要する)をさせてコニャックをつくりだしているとのこと。ただし、原酒の購入にあたっては、専属契約を結ばずに、毎年テイスティングを重ねながらドラマン社のコンセプトに合ったものだけを購入するという頑なで妥協のない姿勢を守り続けているのだといいます。
 コニャックはアルコール度数9度程度のワインを蒸留しますが、私たちが当時訪ねた前年の2003年は酷暑といわれ、糖度が上がって平均11度になったそうです。コニャックでは酸度も大事にするので、ワインで当たり年と騒がれた2003年は、コニャックではいい年とはいえず、特に念入りにテイスティングして買い付け量も大幅に減らしたそうです。ドラマン社はコニャック地方で最も優れたグランド・シャンパーニュの原酒のみを使うため、芳香豊かで、ボディもあって、長い熟成を要するオー・ド・ヴィーが生まれます。更なるドラマンの特徴は熟成に新樽を一切使わずに、こだわりの古樽を使うことにあります。古樽は新樽に比べてタンニン、その他の成分がまろやかになっているため、優しく柔らかく滑らかな舌触りとエレガントな味わいのコニャックになるそうです。納得です。
 次に貯蔵庫に案内して貰いました。樽はボルドーのワイン樽より大きく350リットル入りのものです。先ずは、酷暑の時の2003年の樽に紐の付いた太目の試験管のようなガラス器を入れて原酒を汲み出して、小さなコニャック・グラスに注いで香りを嗅ぎます。アルコール度数は70度。色は無色透明です。フルーティな強い香りがします。つづいて1986年の原酒。これは既にアルコール分が蒸発して60度になっています。最後は1950年。これはもうアルコール分がかなり減って44度とのこと。すばらしい香りが口中に広がります。これぞまさしくドラマンの酒精なのでしょう。すばらしい!
 50年を越し、もうこれ以上は熟成しないとなるとボンボンヌ(Bonbonne,首の短い膨らみのあるガラスの大瓶に藤を巻いたもの)に移されます。貯蔵庫の隅に、1947年が入ったボンボンヌがずらりと並んでいましたが、これは当時訪ねた2004年のブレンド用に使われるとのことでした。更にそれよりもちょうど100年も古い1847年の原酒が入っているボンボンヌが一つ、その横の棚の最上段にさりげなく置かれており吃驚しました。これはもう使わずに、ドラマン社の歴史を物語る記念として残してあるそうです。さらに庫内を案内して貰うと、1973年の樽があり、栓が蝋で封印さていました。このようにヴィンテージ・コニャックにする樽と決めると、他の年のものとブレンドできないように直ちに封印してしまうのだそうです。
 最後に部外者入室お断りと書いてあるラボにも入れてくださいました。ここでドラマン社の全製品をテイスティングさせて貰い大変感激しました。最初は私の馴染みの25年以上の原酒を使うペール・アンド・ドライです。コニャックでは糖分の添加とカラメルで色の調整をすることが認められていますが、これをしていないことを誇る命名です。次にこれも馴染みのある35年熟成のヴェスパー、そしてまだ飲んだことのない50年熟成原酒が中心のトレ・ヴェネラブル(Très Vénérable)。更に、ヴィンテージ・コニャックの1973年と1969年ものとテイスティングは続きます。最後は「ドラマン家の特別貯蔵品」と名付けられた55年熟成の貴重な逸品のレゼルヴ・ド・ラ・ファミーユ(Réservé de la Famille)です。この度数は43度。これは樽熟成で自然に減少した度数だそうです。ファミーユ以外のものは全て40度に調整されています。ドラマン社の全ての製品を解説いただきながら楽しくテイスティングさせてくださったラコスト氏に只管感謝です。私としては長年愛飲していたドラマン社を念願叶って訪ねることができ大いに満足しました。
帰りに名門オタール(Otard)社の美しい館を訪ね、屋上からのんびりと流れるシャラント川を眺めて、楽しいコニャック地方の旅を終えました。
 「コニャックが好まれるのは、先ず、それが無類の酒精をつくりだし、舌の味蕾の上で、全くベートーヴェン的で雄大で豊かなシンフォニーを演じてくれるからである」と言った美食家キュルノンスキーの言葉をふっと思い出しました



 


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