本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - シャトー訪問記(その16) -


<シャンパンの泡>
 今回はシャンパーニュ地方をご案内いたしましょう。ボルドー滞在中に一人で訪ねた初夏のエペルネ(Éperenay)の旅と、フランス人ご夫妻の案内で昨年春に友人夫婦と葡萄畑とロマネスク寺院を巡る2,000キロの車の旅で訪ねたランス(Reims)について語ってまいりたいと思います。先ずはエペルネの一人旅からはじめることにします。
 ボルドー・サン・ジャン駅で朝早くTGVに乗り込むと3時間ほどでパリ・モンパルナス駅に着きます。パリにはご存知のように7つの国鉄駅があります。右岸に北駅、東駅、サン・ラザール駅、リヨン駅、パリ・ベルシー駅。左岸にモンパルナス駅、オステルリッツ駅です。シャンパーニュ地方のエペルネへは東駅から列車が出ています。急行で1時間半ほどですので、パリから日帰りの観光コースにもなっています。列車の発車まで少し時間があったので、趣のある駅舎の中のレストランで、これから訪ねるシャンパーニュ地方に思いを馳せながらシャンパンを先ず一杯。その途切れることなく泡立つシャンパンのひと口は疲れた心身を蘇らせ、うっとりと雲の上も歩けそうな軽やかな気分にさせてくれます。さあ、それでは出発です。
 エペルネ駅近くになると車窓いっぱいに葡萄畑が広がります。私は憧れのエペルネ駅に降り立つと、予約しているホテルを目指して歩きはじめました。駅の近くには立派な大聖堂が聳え、少し歩くと美しい庭のある市役所があり、2,3人に道を尋ねながら只管歩き続けて漸く目的のホテルに辿り着きました。ホテルのフロントでいつもながら葡萄畑を眺められる上層階を希望しました。フランスのホテルは部屋が空いていれば殆ど希望は叶えてくれます。このホテルもエペルネの葡萄畑を遥かに見渡せる部屋をとってくれておりました。先ずはエペルネの葡萄畑を眺めてみることにいたしましょう。
 気品ある舌触り、凛とした酸味、甘い幸せを約束する美しい黄金の色・・・シャンパンだけが所有することを許されたいくつかの優雅な性質、それはフランスのシャンパーニュ地方の土壌が豊富に含む泥質の柔らかい石灰岩、“シャンパーニュのクレ(チョーク)”(Craie de Champagne)と呼ばれているものの産物です。葡萄の樹はこの雪のように白い岩のかけらを含んだ土地でしか栽培されません。小孔の多い石灰岩は非常に水はけがよく、土壌の上層部には栄養分がたっぷりと含まれています。このクレ(チョーク)を含む土壌こそが、人を上機嫌にさせるこの地方独特な気候と相まって、いずれ理想のシャンパンになる上質な葡萄を育てていくのです。
 シャンパーニュ地方はパリの北東部にあります。葡萄園が広がるのは、石灰岩が養分たっぷりの土壌で覆われているところだけです。この地方ではクレ(チョーク)が稀少なため、どんなに狭くてもクレの土地はムダにしません。適した土地であれば、村のすみずみ、はしっこのはしっこにまで葡萄の樹が植えられています。時には、小さなお店やレストランの裏庭にまで立派な葡萄の樹が植えられたりしていて吃驚してしまいます。
 「土の中の石灰岩のかけらが反射した光は葡萄の葉の群れに届き、その表面で柔らかく輝く」と、ある評論家が語っています。「美的観点からいっても、この現象は驚きに値するものである。この光は色の調子をおさえ、全てのものの輪郭をぼやかし、そして田園の平凡な風景をうっすらと靄のかかったフォーカスのおぼろげな景観に変えてしまう」と。その瞬間はまさに印象派の絵画を追想してしまうようなうっとりとする風景です。
 シャンパーニュ地方のエペルネを訪れるとお馴染みの田園風景といえば、葡萄畑と、それに負けないくらい鬱蒼と群生するバラの茂みでしょう。それはもうあちらこちらに、村と村をつなぐ田舎道にも、葡萄畑の列の最前にも、どの家やレストランの軒先にもみずみずしい花を咲かせています。バラと葡萄の樹には、ウドンコカビにやられ易いという共通の問題点があります。実は、それこそが何百年にも亘って、葡萄の最前列にバラの樹が植えられてきた理由です。バラは葡萄の樹よりも先にウドンコカビの害を受けて、葡萄栽培者に危険信号を送る防人のような役目を果たしているのです。勿論現在では状況判断のための確実な方法はいくらでもあるのですが、葡萄と一緒にバラを植える習慣はこのシャンパーニュ地方に限らずにどの地方でも絶えることなく今でもつづいています。中世からバラは聖母マリアの象徴(ボルドー便りvol.42をご参照ください)であり、豊かな収穫を象徴する花とされています。いわばひとつの縁起ものになって、栽培者の心の支えになっているのでしょう。節くれだった葡萄の樹が並ぶ殺風景な畑にバラの花の赤がアクセントを添え、その柔らかく広がる風景は、ほんとうに神に感謝したくなるような美しさを感じてしまいます。
 さあ、葡萄畑の描写はこのくらいにして、ここエペルネに来たからには先ずは訪れてみたいモエ・エ・シャンドン社(Moët et Chandon)に行ってみましょう。シャンパーニュ大通り(Avenu de Champagne)には、世界に名だたる美しい建造物のシャンパン・メゾンが軒を並べそれは壮観そのものです。その中でもモエ・エ・シャンドン社は、日本でも馴染みの深い<モエ・エ・シャンドン(Moët et Chandon)>と<ドン・ペリニヨン(Dom Pérignon>の2つのブランドを持つ巨人です。創業1743年という歴史的な存在もさることながら、シャンパンの生産量と出荷量とストックは最大規模を誇り、シャンパンの代名詞のようになっています。そして今や飛ぶ鳥を落とす勢いのLVMH社(Moët Hennessy-Louis Vuitton S.A.モエへネシー・ルイヴィトン)グループの中枢として君臨しています。にもかかわらずモエ・エ・シャンドン社が常に優れて安定した品質を維持しているのはさすがにお見事というほかはありません。ここの見学は少し待つだけで予約なしでも受け入れてくれます。いくらかの入場料を払うとテイスティング付きでグループ毎に、美しく整備された巨大な、まるで地下ギャラリーのようなカーヴを含めて丁寧に案内をしてくれます。確か日本語のパンフレットもあったように思います。
 モエ・エ・シャンドン社の入口を入ると、ボトルを持ったドン・ペリニヨン像が誇らしげに建っているのが真っ先に目に留まります。シャンパンの発明者。つまり“泡を瓶に閉じ込めたシャンパン誕生の大恩人”とされるドン・ピエール・ペリニヨン(1638-1715)の偉大さには今更ながら頭が下がります。ペリニヨン神父はオーヴィレール大修道院で暮らし、シャンパンをつくるために一生を捧げたといわれるベネディクト派の修道僧です。中世・近世においてワインづくりを独占したのが、特権階級だった修道僧たちです。その流れで彼らはワインを原料につくられるシャンパン誕生に貢献したのです。ペリニヨン神父は優良な葡萄を選択して丁寧に摘み、古代ローマ以降忘れられていたコルク栓を復活させ、温度を一定に保つカーヴをつくり、異なる葡萄や畑のワインをブレンドし、神父が編み出した至高の技が後につづく神父たちに受け継がれ、シャンパンの完成度は高まったといわれています。シャンパン創造のパイオニア、ドン・ペリニヨン神父の底知れぬ情熱と努力から生まれた傑作が、どれほど人間の快楽に寄与したことでありましょう。モエ・エ・シャンドン社を案内されしみじみ感じたものです。たかがシャンパン、されどシャンパンです。はじめて泡の封じ込めに成功したドン・ペリニヨン神父の言葉 ―“兄弟たちよ、ここに来てみたまえ。私は星を飲んでいるぞ!”― との叫び声が聞こええてくるような想いがいたしました。
確かにドン・ピエール・ペリニヨン本人は伝説の存在かもしれません。ルイ14世と同じ1638年に生まれ、当時としては長命の77歳まで生き、これまたルイ14世と同じ1715年に亡くなっています。ただ、彼が盲目だった。コルクで栓をすることを最初に考えついた。そしてシャンパンを発明した際に“星を飲んでいるぞ!”と叫んだ・・・。これらはいずれも証明されていない。修道院の記録が失われて、個人の文書は残っていないからと、後世の歴史家の中には疑問を呈する人もいるようです。でもいいじゃないですか。こういう伝説的な物語はシャンパン同様にロマンをいっぱい秘めていて。それはシャンパンという魔法のお酒だからこそ頷けるところが多々あるように思うからです。
 現在モエ・エ・シャンドン社の前にシャンパーニュ大通りを挟んで建っている迎賓館は、美しい花壇と池を中心にした幾何学模様のフランス式庭園をもつ極めて華麗なシャトーです。2代目当主ジャン・レミ・モエがナポレオン皇帝の意を受けて建てたものだそうです。最初のお客様は1804年に訪れたジョセフィーヌ皇妃、その後1807年にはナポレオンを迎えております。だから時の皇帝の庇護を受けて、モエ社は<ドン・ペリニヨン>をその銘柄に使うことができたのでしょう。
案内の最後にテイスティングルームで、さすが高価な<ドン・ペリニヨン>は飲めませんでしたが、<モエ・エ・シャンドン・ブリュット・アンペリアル>等を何種類かテイスティングさせてもらいました。「いよいよシャンパンのお出ましだ。あぶくの優しき囁きは、真珠の気体のようにグラスのなかを跳びまわりながら、誕生日や聖体拝領のご馳走に彩りを添える音楽となり・・・」と述べたのはフランスの女流作家コレットです。モエ・エ・シャンドン社のシャンパンは、まさにシック&エレガンス。これぞシャンパンの香りといえる爽やかで好感のもてる果実香をもっていました。フレッシュなアフターテイストがまたすばらしい。
 私はついこの間、言わずと知れたモエ・エ・シャンドン社の最高峰、<ドン・ペリニヨン>、それも『世紀のワイン』(VINS DU SIÈCLE)で紹介されている20世紀のヴィンテージの中で最高といわれる<ドン・ペリニヨン 1985年>の古酒をゆっくり味わう機会に恵まれました。25年という長い時を重ねて熟成した<ドン・ペリニヨン>は力強さと同時に優しさを感じる、めくるめくシャンパンでありました。まだなお新鮮さを保っており、とぎれることなくいつまでも繊細な泡が立ちのぼり、好奇心をかき立てるほどに複雑で激しく、このシャンパンが奥深い熟成を遂げているのがよく分かります。初めて味わう官能的で未知なる感覚をつくりだしておりました。芳香はアロマパレットで遊ぶがごとく新しい次元へとつぎつぎに開花していきました。この忘れがたき味覚をしばし楽しむことができたのは、まさに至福の時としかいいようがありませんでした。
 この官能的な、魔法の、祝福された飲みものに、乾杯!
 このつづきは次回をお楽しみください。


 


上のをクリックすると写真がスライドします。