本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- シャトー訪問記(その17) - ![]() <ド・カステランヌの美しき塔> |
前回につづきシャンパーニュ地方のエペルネをご案内したいと思います。 モエ・エ・シャンドン社の次に向ったのは、シャンパーニュ大通りの両 ![]() でも、違った土地、違った国へ一人でやってくると、こういった予期せぬことがいろいろ、それも突然襲いかかってきます。家族も友人もなく、頼りは携行する金銭とパスポートだけという状況におかれると、自己防衛上、知らず知らずのうちにも常に五感は研ぎ澄まされ、道を歩いている時も神経は鋭くピンと全身に張り巡らされている筈なのですが、ひょっとした時にこのような油断が生じるのです。ちょっとした異常、日頃の常識とは違う新奇性にもたちまち反応してハッと驚く。そして強く喜怒哀楽の情が生じ、自分にとって異常な事柄の意味をあれこれ考えたり、それに何とか対処しようとしたりします。生きる上で何が起こるか分からないといった不安感と、これによるハッとした驚きの連続こそは一人旅の印象を鮮烈にし、却って旅人を楽しませてくれるのかもしれません。一人旅の楽しみは、旅の不安、即ち日常的世界からの離脱、日常生活からの脱却より生じる不安感と、まさに表裏一体をなしているように思われるのです。しかしながら不安があってこそ一人旅は楽しいものです。体全体の神経がピンと張り詰め、眼はカッと見開いてつり上がり、ふだんより遥かに多くのものが見えたり聞こえたりし、自分が生きていることを全身で実感できるからです。 ![]() さあ、それではご案内いたしましょう。中に入ると、1階はワイン博物館になっていますが、237段の階段を一歩一歩痛む足を引き摺りながらゆっくり ![]() 本館内には現代ポスターのパイオニアともいえるレオネット・カピエロ(Leonetto CAPPIELLO,1875-1942)に敬意を表して設けられたギャラリーがあります。ベル・エポック(Belle Époque,良き時代)といわれるフランス文化、特にパリが最も華やかに栄えた時代の作品をはじめ目を瞠るいろいろなポスターが所狭しと飾ってあります。このギャラリーを一回りすると、現代ポスターの分野におけるド・カステランヌ社の貢献がいかに大きいかが良く分かります。と同時に無名のアーティストの発掘にも精力を注いできたことが分かります。毎年、広く作品を公募して、その中から有望と目されるアーティストに輝ける未来への夢の扉を開くチャンスを与えようと館内の展示室を無料で貸し出すという事業もつづけています。開催日にはシャンパンをサービスするなど若手の発展のために全面的に応援の手を差し伸べているのです。シャンパンを売ることだけでなく、文化・芸術に深い理解を示し、偉大なるパトロンでもあることに敬意を表します。 ド・カステランヌ社が彼らに要求することは唯ひとつ、ド・カステランヌ社のために一枚のポスターを制作することだけです。そのオリジナル・ポスターの何処かに、同社のシンボルである、シャン ![]() また前置きが長くなってしまいました。本題のシャンパンに話を移します。 このシャンパン・メゾンは1895年にエペルネでルイ・ボニファス・フローラン・ド・カステランヌという子爵がシャンパーニュ・ド・カステランヌを創業しました。カステランヌ家はフランスでも古いプロヴァンスの名家の貴族でしたが、子爵は家名を社名とし、家紋(王冠に“名誉の中の名誉”という家訓を組み合わせたもの)を商標登録しました。このルイの従兄弟がベル・エポックを代表するような人物で、社交界の名士と誉れの高いボニー・ド・カステランヌです。彼は後にフィガロ紙の創設を援助した人物としても知られております。そしてブローニュの森の近くにピンクの大理石を使った瀟洒な別邸を建てました。子爵の妻はアメリカの鉄道王の娘でしたが、1896年の妻の誕生日に子爵がこの館で開いた大パーティは今でも語り草になってい ![]() 現在、ド・カステランヌ社の地下40メートルの深さに全長10キロメートルに及ぶ巨大な地下カーヴがあり、そこに1,200万本ほどのシャンパンが静かに眠っています。年間売り上げの8割近くがフランス国内で消費されてしまうため、派手な目に付く赤十字のラベルなのに日本国内で見掛けることが少ないのです。スタンダードのブリュット(NV),ヴィンテージ・シャンパン、特吟物のキュヴェ・コモドール(Cuvée Commodore)、フローレンス・ド・カステランヌ(Florens de Castellane)、そしてロゼ・シャンパンがつくられています。いずれも、いわゆる大人のシャンパンといった感じで、万事そつなくつくられています。色、泡立ち、香り、味わいとも申し分ありません。ド・カステランヌの若いシャンパンはこの地下のカーヴで静かに香りと味を熟成させ、その真価を発揮する目覚めの瞬間を待っています。これは恰も温かい目で若い芸術家たちの才能を開き、シャンパンのような軽やかな ![]() ド・カステランヌを後にして、更にシャンパーニュ大通りの裏の古い街並みの中を痛い膝を騙し騙し歩き続けて一旦ホテルまで辿り着き、膝を冷湿布しました。ひどく腫れていましたがお皿にひびは入っていない模様で一安心しました。一休みしてから痛い膝を我慢しながらエペルネの夜の街に出掛けたのですから、あの当時(還暦を過ぎた頃)はまだ元気満々で気持ちも高揚していたのでしょう。目指すは、今回残念ながら満室で泊まれなかった当時ミシュランの一つ星レストラン ![]() ![]() 翌朝起きてみると膝周辺が腫れあがっていましたが、歩けないことはなかったものの大事をとって、予約していたペリエ・ジュエとポール・ロジェは已む無くキャンセルし、ホテルのベッドで暫く横たわっていました。それでも昼近くになるとエペルネ駅に向って足を引き摺りながら歩いている自分がいました。駅のレストランでシャンパンを飲みながら軽い昼食をとり、ボルドーへ帰らずにそのまま次なるアルザスの旅に向ったのです。 シャンパンという光と陽気さと至福の精に踊らされたのでありましょうか。 |
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