本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - シャトー訪問記(その17) -


<ド・カステランヌの美しき塔>
 前回につづきシャンパーニュ地方のエペルネをご案内したいと思います。
 モエ・エ・シャンドン社の次に向ったのは、シャンパーニュ大通りの両側に世界に名だたるペリエ・ジュエやポール・ロジェ等のシャンパン・メゾンの豪壮な建物やリセ(高校)の立派な校舎の建ち並ぶ坂道を上り詰めたところに、ひときわ目立つ美しい塔が聳え立つド・カステランヌ社(de Castellane)です。ところがこの美しい塔が忽然と目の前に現れ、それを撮ろうと夢中でデジカメを覗き、一歩前に踏み出した瞬間にうっかり歩道から段差を踏み外し、車道に向けて転んで投げ出されてしまったのです。車が頻繁に走っている道であれば大変なことになっていたかもしれません。膝を強く打ちお皿が割れたのではないかと思うほどの激痛が走り、一瞬この旅はこれまでかとの思いが過ぎりました。幸いなことには受身が上手くいったのか大事に至らず、デジカメもしっかり手の中に掴んだまま無事でした。まさに不幸中の幸いでした。今回は私のぶざまな失態を演じた話しから始めてしまい興醒めでしょうが、ご勘弁ください。
 でも、違った土地、違った国へ一人でやってくると、こういった予期せぬことがいろいろ、それも突然襲いかかってきます。家族も友人もなく、頼りは携行する金銭とパスポートだけという状況におかれると、自己防衛上、知らず知らずのうちにも常に五感は研ぎ澄まされ、道を歩いている時も神経は鋭くピンと全身に張り巡らされている筈なのですが、ひょっとした時にこのような油断が生じるのです。ちょっとした異常、日頃の常識とは違う新奇性にもたちまち反応してハッと驚く。そして強く喜怒哀楽の情が生じ、自分にとって異常な事柄の意味をあれこれ考えたり、それに何とか対処しようとしたりします。生きる上で何が起こるか分からないといった不安感と、これによるハッとした驚きの連続こそは一人旅の印象を鮮烈にし、却って旅人を楽しませてくれるのかもしれません。一人旅の楽しみは、旅の不安、即ち日常的世界からの離脱、日常生活からの脱却より生じる不安感と、まさに表裏一体をなしているように思われるのです。しかしながら不安があってこそ一人旅は楽しいものです。体全体の神経がピンと張り詰め、眼はカッと見開いてつり上がり、ふだんより遥かに多くのものが見えたり聞こえたりし、自分が生きていることを全身で実感できるからです。
 私は痛む膝を庇うようにして道路を隔てたド・カステランヌ社に向いました。このエペルネの町を象徴するような66メートルの塔は、パリ・リヨン駅の建築を手掛けた著名な建築家、モーリス・トゥードワールによって1904年に建造されたものです。ド・カステランヌの威光を表現するのに相応しい、フィレンツェやシエナのイタリア・ルネサンスを思わせるような堂々とした丸屋根をもち、途中の突出部には<CASTELLANE>の文字が鮮やかに浮かび上がっております。シャンパンを味わう前に、もううっとりとした酔い心地を覚える美しさです。そんな塔に思わず見とれて足を踏み外してしまったのでしょう。私がこのシャンパン・メゾンを訪れたかったのは、その建築美を見たいためと、もう一つ,特筆に値する1895年の創業以来、芸術に対するサポートを惜しみなく行ってきたことを知るためでした。この2つがシャンパンと共にこのメゾンを訪ねてみたかった動機ですが、勿論、シャンパンが第一義であることはいうまでもありません。
  さあ、それではご案内いたしましょう。中に入ると、1階はワイン博物館になっていますが、237段の階段を一歩一歩痛む足を引き摺りながらゆっくり上って、展望台から眺めたマルヌ渓谷の葡萄畑のパノラマは絶景で、正に感動ものでした。シャンパン好きの人にとってはこたえられない風景です。
 本館内には現代ポスターのパイオニアともいえるレオネット・カピエロ(Leonetto CAPPIELLO,1875-1942)に敬意を表して設けられたギャラリーがあります。ベル・エポック(Belle Époque,良き時代)といわれるフランス文化、特にパリが最も華やかに栄えた時代の作品をはじめ目を瞠るいろいろなポスターが所狭しと飾ってあります。このギャラリーを一回りすると、現代ポスターの分野におけるド・カステランヌ社の貢献がいかに大きいかが良く分かります。と同時に無名のアーティストの発掘にも精力を注いできたことが分かります。毎年、広く作品を公募して、その中から有望と目されるアーティストに輝ける未来への夢の扉を開くチャンスを与えようと館内の展示室を無料で貸し出すという事業もつづけています。開催日にはシャンパンをサービスするなど若手の発展のために全面的に応援の手を差し伸べているのです。シャンパンを売ることだけでなく、文化・芸術に深い理解を示し、偉大なるパトロンでもあることに敬意を表します。
 ド・カステランヌ社が彼らに要求することは唯ひとつ、ド・カステランヌ社のために一枚のポスターを制作することだけです。そのオリジナル・ポスターの何処かに、同社のシンボルである、シャンパーニュ最古の連帯旗、聖アンドリュースの赤十字(Croix-Rouge)が描かれていれば形式は問わないそうです。館内の至る所に展示されている歴代の作品を見るとグラスを両手に優雅に舞う貴婦人の姿が描かれていたり、ヴァイオリンの弦と弓夫々に描かれた赤い一筋の線を十字に交錯させていたりと芸術家の卵たちの個性とセンスを自由自在に主張した、新鮮な感覚に目を奪われてしまいます。
 また前置きが長くなってしまいました。本題のシャンパンに話を移します。
 このシャンパン・メゾンは1895年にエペルネでルイ・ボニファス・フローラン・ド・カステランヌという子爵がシャンパーニュ・ド・カステランヌを創業しました。カステランヌ家はフランスでも古いプロヴァンスの名家の貴族でしたが、子爵は家名を社名とし、家紋(王冠に“名誉の中の名誉”という家訓を組み合わせたもの)を商標登録しました。このルイの従兄弟がベル・エポックを代表するような人物で、社交界の名士と誉れの高いボニー・ド・カステランヌです。彼は後にフィガロ紙の創設を援助した人物としても知られております。そしてブローニュの森の近くにピンクの大理石を使った瀟洒な別邸を建てました。子爵の妻はアメリカの鉄道王の娘でしたが、1896年の妻の誕生日に子爵がこの館で開いた大パーティは今でも語り草になっているほどです。招待客3,000人、200人のオーケストラ、ロイヤル・オペラ・バレー団の踊り子80人、1,000人のウエイター、80,000個のヴェネチアングラスのランタン、ベンガルの白鳥を無数集めてきて、この日の記念にパリ市内に放った等々の逸話が残されています。そしてこの2日間に亘る大宴会で浴びるほど飲まれたのが、いわずと知れたド・カステランヌのシャンパンだったのです。
 現在、ド・カステランヌ社の地下40メートルの深さに全長10キロメートルに及ぶ巨大な地下カーヴがあり、そこに1,200万本ほどのシャンパンが静かに眠っています。年間売り上げの8割近くがフランス国内で消費されてしまうため、派手な目に付く赤十字のラベルなのに日本国内で見掛けることが少ないのです。スタンダードのブリュット(NV),ヴィンテージ・シャンパン、特吟物のキュヴェ・コモドール(Cuvée Commodore)、フローレンス・ド・カステランヌ(Florens de Castellane)、そしてロゼ・シャンパンがつくられています。いずれも、いわゆる大人のシャンパンといった感じで、万事そつなくつくられています。色、泡立ち、香り、味わいとも申し分ありません。ド・カステランヌの若いシャンパンはこの地下のカーヴで静かに香りと味を熟成させ、その真価を発揮する目覚めの瞬間を待っています。これは恰も温かい目で若い芸術家たちの才能を開き、シャンパンのような軽やかな泡を立てつつ芳醇で香りを醸し出すのをじっくりと見守っていることに通じるように思われました。この何処までも果てしない、引き込まれていきそうな暗い地下カーヴを痛い膝を引きずりながら歩き回っていると、何か神秘的で不思議な想いに駆られます。この地下カーヴは一体何処に繋がっているのだろうか。その闇の向こうに何が視えてくるのだろうかと。
 ド・カステランヌを後にして、更にシャンパーニュ大通りの裏の古い街並みの中を痛い膝を騙し騙し歩き続けて一旦ホテルまで辿り着き、膝を冷湿布しました。ひどく腫れていましたがお皿にひびは入っていない模様で一安心しました。一休みしてから痛い膝を我慢しながらエペルネの夜の街に出掛けたのですから、あの当時(還暦を過ぎた頃)はまだ元気満々で気持ちも高揚していたのでしょう。目指すは、今回残念ながら満室で泊まれなかった当時ミシュランの一つ星レストランをもつ、ホテル・レストラン「レ・ベルソー(Les Berceaux)」です。レストランを訪ねるとギャルソンが窓際のいい席に案内してくれました。メニューを見るとコース料理一品一品にシャンパンを合わせるムニュ・ド・デギュスタシオンがあり、それを注文しました。それ程高くはなかったように記憶します。私はシャンパンのお代わりはできないと思っておりましたが、ソムリエがやって来て好きなシャンパンを何杯でも注いでくれるのには吃驚してしまいました。随分とお得なコースであったように思います。さすがミシュラン一つ星レストランだけあって、フォワグラをはじめ豚足肉のガレット、天然のヒラメや仔牛ひれ肉のロースト等々大変美味でした。満足して店を後にし、近くにもう一軒雰囲気のあるシャンパン・バーを見つけたので立ち寄ろうとしたのですが、さすが足の痛みに耐えかねてホテルに戻ることにしました。
 翌朝起きてみると膝周辺が腫れあがっていましたが、歩けないことはなかったものの大事をとって、予約していたペリエ・ジュエとポール・ロジェは已む無くキャンセルし、ホテルのベッドで暫く横たわっていました。それでも昼近くになるとエペルネ駅に向って足を引き摺りながら歩いている自分がいました。駅のレストランでシャンパンを飲みながら軽い昼食をとり、ボルドーへ帰らずにそのまま次なるアルザスの旅に向ったのです。
 シャンパンという光と陽気さと至福の精に踊らされたのでありましょうか。



 


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