本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - シャトー訪問記(その18) -


<アルザスの村と葡萄畑>
 大分寄り道をしてしまいましたので、本題のワインの話しに戻ります。
 今回はアルザス地方の美しい葡萄畑をご紹介しましょう。ところで人はアルザスと聞かれて、いったい何を想像するでしょうか。多分真っ先に思い浮かべるのは、アルザス・ワインよりもむしろ年配者には懐かしい、アルフォンス・ドーデ(1840-1897)の短篇『最後の授業』ではないでしょうか。「アルザスの一少年の物語」という副題のついたこの物語は、普仏戦争に敗れ、アルザスがその北西のロレーヌと共にドイツに帰属することが決まった時代状況の中で、学校でフランス語を教えるアメル先生が「最後の授業」を行って学校を去っていく姿を、その学校の生徒であるフランツ少年の目から描いたものです。アメル先生は「フランス語は世界中でいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばん力強いことばである」と述べ、「ある民俗が奴隷に落とされても、そのことばを保っていさえすれば、牢獄の鍵を握っているにひとしい」と説くと、黒板に「フランス万歳」と記して嗚咽する場面です。母国語を奪われそうになる人々の悲しみと、死んでも失うまいと決意する、自分たちの言語への愛着を見事に描き出しているとあって、この物語が祖国への愛を祖国の言語への愛として描かれた感動的な物語としてとらえられています。果たしてそうなのでしょうか。この内容については異論を唱える人も多いのです。何故なら、それはアルザスでは多くの人が、当時も今もフランス語ではなくドイツ語の方言ともいうべきアルザス語を母語としているからです。長きに亘るフランス支配下での強力なフランス語化政策によって、フランス語はこの地でよく理解されていて、「外国語」とは言えないまでも、少なくともかなりの人々には「非母語」だからなのです。この物語には、アルザスに対するフランス人の意識、アルザスはその言葉がいかにドイツ語に近くともフランスであって、まただからこそフランス語を学ばせなければならないという、当時の大多数のフランス人の意識が示されているように思うのです。因みに、フランスにはアルザス語だけでなく、ブルターニュ地方のブルトン語、バスク地方のバスク語、南仏のオック語、ニース付近のニサール語、コルシカ島のコルシカ語など、各地にフランス語でない言語が存在しています。
 のっけから少々固い話しになってしまいましたが、アルザス・ワインを理解する上で、もう少しアルザス全般について語っていきたいと思います。アルザスの真の姿を知るには、ストラスブール(ノートルダム)大聖堂を見学した後に、周りの独特の木組みの美しい家を眺めながら、山盛りのシュクルット(酢漬けキャベツ、ザウアークラウト)にハムとソーセージと燻製の豚をのせて食べる名物料理を肴に美味なるアルザス・ワインを味わう。私も初めてストラスブールを訪ねた時にまさにそうして楽しみました。でもこれでは到底不十分で、アルザスの何たるかを知るには少なくとも次のような事実を念頭に置く必要がありそうです。一つ、この地方は東西約40キロメートル、南北約200キロメートルの小さな広がり(兵庫県ほどの大きさ)にすぎないのに、その地理的な位置のため、古来ラテンとゲルマンのヨーロッパの二大文明が衝突を繰り返してきた“文明の十字路”であったこと。二つ、有史以前から、この地にはケルト、ラテン、ゲルマン、それにユダヤなどの諸民族が入り混じり、闘争し、西ヨーロッパ世界の形成に深く関与してきた“兵士の通り道”でもあったこと。三つ、アルザスはそうした歴史の激動にもまれて、多大の犠牲を払いながら、その特異にして複雑な文化的・言語的・心理的二重構造を育み、時にはそれに呻吟し、時にはそれを超克すべく努力してきたこと。四つ、アルザス人は戦争が終わり、支配者が変わるたびに、異なった制度、言語、習慣を課せられたが、彼らの日常語は前述した通り常にドイツ語の方言形態であるアルザス語であり、それが1500年以上に亘ってつづいていること、などです。以上のことはアルザス・ワインを楽しむ時にも頭に入れておいて欲しい時代背景です。
 それとここアルザスは私の好きな須賀敦子さん(1929-1998)がヨーロッパと日本のはざまに生きたご自身の半生を振り返りつつ、信仰と抗いがたい人間の運命に正面から取り組もうとした初めての長編小説である、『アルザスの曲がりくねった道』(未定稿)を残されて生涯を閉じる思い出の場所でもあります。当時の編集者へ宛てた須賀敦子さんのお手紙があります。「『ユリシーズの瞳』を観て下さっての(という言い方はなんだかおかしいですけれど)お手紙ありがとうございました。何度も読み返しました。まだまぼろしの「アルザスの曲がりくねった道」の出発点が深まったような、それに有力な理解者が出現したことへのよろこびがふつふつと湧く気持でした。まだ「ユルスナールの靴」のまとめにかかったばかりなのですが、(連休なんてあっというまでした)、もう頭のなかでアルザスが見え隠れして、ユルスナールのフランドルともつれあっています。私にとってはじめての虚構の人たちをつくることに、怖さと愉しみが半々で、なんとなく気が浮き立っています。(後略)」。そして『アルザスの曲がりくねった道』にはこのような描写があります。「丘の斜面を被うぶどう畑のなかの、だれにも会わない曲がりくねった道を、わたしは歩いていた。あの道をもういちど歩いてみたい。あのとき、わたしは、長いヨーロッパの生活に区切りをつけて、まもなく陸の国境をもたない遠い島国に帰ろうとしていた。手入れのゆきとどいたぶどう畑を、ただ美しいと思うだけで通りすぎたあの道を、もういちど歩いたら、あのときには見えなかった大切なものが見つけられるかもしれない」と鮮やかな筆致で綴っております。コルマールからストラスブールへと車で走り抜けた早春の旅を、のちに須賀さんは、かけがえのない友人のオディール修道女との話しで思い出すのです。オディールの故郷がアルザス地方の村だと聞いたのもその時でした。アルザスを出て、リヨン、ローマ、モンペリエ、東京、ソウル、台北と双六のように世界中を転々としたオディールが、めずらしく興奮して故郷コルマールへの想い出を語るのを見て、須賀さんの頭の中にも友人たちと歩いた明るい“アルザスの曲がりくねった道”の記憶が甦ったのでありましょう。
 そのコルマールこそはアルザス・ワインの出発点です。この町はアルザス地方ではめずらしく、殆ど戦災に遭っていませんので、美しい古い街並みが残っています。修道院を改造してつくられたウンターリンデン美術館にある、ドイツ人のグリューネヴァルトによって描かれたイーゼンハイム祭壇画はキリストが苦痛のために表情をゆがませ、死斑とも思える青紫の斑点が浮き出て、手足を反り返らせた姿のまま硬直しています。流れる血、青ざめた唇。そのリアルな筆致は狂気迫るものがあり見るものを恐れ慄かせます。打ちのめされたような気持ちで祭壇画の裏側に回ると、そこには復活したキリストが現れほっとした気持ちにさせられます。体の傷は消え失せ、手に打たれた釘の跡から発する光が墓守たちを射ています。感動を覚える祭壇画です。当地を訪れましたらまさに必見の名画です。美術館を出ると、アルザス地方独特の木組みの美しい家並みが運河に沿ったプティ・ヴェニスと呼ばれる辺りに建ち並びます。どの家の出窓にもバルコニーにも咲き誇る花々で埋まっています。まるでお伽の国にやって来たような気分です。
 さあ、お待たせしました。これからコルマールを出発して葡萄畑が果てしなくつづく「ルート・デ・ヴァン(Route des vins,ワイン街道)」をご案内しましょう。この地を初めて訪れた時は、フランス人の運転手兼ガイドの案内で、偶々同乗したのが大手商社のドイツ駐在員のご夫妻でした。市街地を離れると道はほどなく一面の葡萄畑に囲まれます。明るい茶褐色の大地が、ゆるやかにうねる丘陵となって何処までもつづきます。ボルドーやブルゴーニュの葡萄畑とは一味も二味も違った風景です。なだらかな丘の起伏につれてまるで緑のパッチワークのように不規則で美しいパターンが広がり、そこの真ん中に絵に描いたような愛らしい小さな村が点在しています。他のフランスの地方にはない美しさを誇っています。アルザスは美しい!この南北70キロほどの「ワイン街道」には、ロスハイム、リボーヴィレ、トゥルッケンハイムなどのアルザス的響きの名前をもった愛らしい村々が並んでいます。なかでも、坂道に沿ってアルザスの木組みの家並みがつづくリクヴィルはひときわ愛らしい村です。ここの可愛らしい木組みのホテルに急に泊まりたくなって運転手さんに尋ねたら半年前に予約しないと泊まれませんとのこと。でも一昨年のアルザスの旅でこの葡萄畑に囲まれた可愛らしい木組みのホテルに、念願叶って泊まることができ感激しました。
 アルザス・ワインはリースリング、ピノ・グリ、シルヴァネールやゲヴュルツトラミネールといった品種からつくられる葡萄そのものの香りのするフルーティな白ワインが揃っています。このように品種の名前の多くにゲルマン的な響きが感じられますが、これらの品種はドイツでも栽培され、ラインガウのドイツワインに生まれ変わります。そして、これらの品種のお陰でフランスでも北方系の見事な白ワインを愛でることができるのです。その上、アルザスにはドイツには殆どないピノ・ノワールによる赤ワインもあるのです。これなどは北の大地で無理してつくるために、うまくできると何ともいえない気品溢れる味わいとなります。
 アルフォンス・ドーデをはじめ文学者たちの愛国意識を駆り立てた係争の地、アルザス。その係争の地にあって、数々の破滅と多くの殺傷をくぐり抜け、死に絶えることなく生きつづけてきたものは、やはりワインだったのです。
 次回はアルザスで訪れた葡萄園についてお話していこうと思います。


 


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