本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- ロマネスク修道院(1) - <ミュルバック修道院> |
人生の転機という一瞬を、人は必ずしも意識して迎えるとは限りません。時の流れがそうあるべきだったように自然と、目に見えぬ定めに吸い込まれ、招き入れられてしまうように感じます。今次東日本大地震に遭遇し、その思いを一層強く感じました。被災地の一日も早い復興を心からお祈り申し上げます。 立教大学のある授業で教授からイヴァン・イリイチ(オーストリアの哲学者、1926-2002)の著した『生きる意味』の一部のコピーを渡され、「生と死」:有限か無限かについて論ぜよ、との命題が出されました。 イリイチは、そもそも「生命」とは一人の人間であったり、一人の子供であったり、一頭の熊であったり、一匹の蜂であったり、一個の細胞であったりするために、単に生命と言っても、それによってあなたが何のことを話しているか誰にもわからないのですと述べています。あまりにも明白な根なし草の言葉であるため、それはある種のシンボルと結びつかないかぎり、実践的に強力な含意を帯びることはないと指摘した上で、これが強力な意味を持つわけを探っていくことになります。イリイチがそこで出会ったのは、共同生活している大学院生たちが冷蔵庫の扉の上に貼っていた二枚の写真でした。一枚は青い惑星(地球)の写真であり、もう一枚は受精卵の写真でした。それらはほぼ同じサイズの二つの円形で、一方は青みがかった円、他方はピンク色の円だったのです。そして一人の女学生がこう言ったのです。「私たちにとって、これは生命を理解するための入口(doorways)ですね」と。イリイチはこの女学生の感覚を、ルーマニアの宗教学者ミルチャ・エリアーデ(1907-1986)の言葉と照らし合わせることで、「これこそ、どんな宗教も必ず持っている特別な入口、“聖域(sacrum)”に他なりません」と分析してみせるのです。“聖域”のsacrumという語は、神聖なsacredという言葉に対応するラテン語の名詞です。 イリイチは青とピンクの二つの円(地球と受精卵)こそは、われわれの時代の“聖域”=誰にも目にすることができないもの、誰にも理解できないもの ― つまり、それらの映像は、いまや、此方の生命と彼方の生命(ピンクの生命と青みがかった生命)への敷居(入口)と化していると考えはじめるのです。なかなか難解です。 そして、生死の母胎である自然そのものが科学的に解明され、管理されるものとなり、それまでの神の根拠を失った後には、生命さえも管理されるものとなって、人間の試行錯誤さえ、人工知能にとって代わることが可能だとされる社会 ― このような社会では、人が世界を支配しようとする。今や世の中の人々は、自分たちが世界に対して責任を負っていると主張するのです。「人間が限度を超えて努力しつづけるなら、人間的な生き方を破壊してしまう」、イリイチはそうした閾値について繰り返し論じてきた人のように思います。 新しい世界の絶望から逃れる有効な手段としてイリイチは次のようにも述べています。「転換を遂げる方法はひとつしかありません。それは、今この瞬間こうしていきいきと存在していることを深く楽しむことであり、お互いそうすることをすすめあうこと、しかもできるだけ裸の姿でそうすることなのです」と ― この言葉は今日のような不確実で不安な時代だからこそ一瞬一瞬を大切に、楽しく、一所懸命に生きていかねばならないことを私たちに語りかけているように思います。後悔しないように生きていくことを。 この文章を引用したもうひとつのわけは、この中にある“聖域(sacrum)”という言葉に強く惹かれたからです。前回述べましたように、一昨年の春にフランス人ご夫妻の案内で「葡萄畑とロマネスク修道院」の2000キロの車の旅を楽しみました。アルザス地方の葡萄園を訪ねた帰りに立ち寄ったロマネスク修道院で、強烈な空間体験を味わったのです。これはイリイチが『生きる意味』の中で語っている“聖域”とはニュアンスが異なるかもしれませんが、そこにはまさに私の考える“聖域”― ある文化的な空間における特別な場所があったのです。その修道院の名は「ミュルバック(L'Abbaye de Murbach)/旧聖レジェール修道院(Ancienne Abbaye St-Léger)」です。アルザスのコルマールとミュルーズの中間にあり、人里離れた小さな谷にひっそりと佇むこのロマネスク修道院に大変な感動を覚えました。創建されたのは8世紀前半(728年)ですが、現存する建築物は12世紀半ばのものであり、後陣部分の礼拝室と翼廊、そしてその上にたつ二つの鐘塔のみが残っているだけです。従来は側廊を備えた三廊式の大修道院であったようですが、フランス革命で身廊部分は全て破壊されてしまったというのが余計もの悲しさを誘います。 人っ子一人いないと思っていたところに、一人のドイツからの旅人がひょっこり現れました。彼はこの修道院だけを見るためにやって来たようで、この丘を上るとすばらしい光景が展望できますよと教えてくれました。なるほど、道を挟んだ丘の上にあるチャペルから眺めるヴォージュ独特の赤味を帯びた石造りの修道院の姿は、新緑の森に包まれた静寂さの中で不思議な神秘さを感じさせてくれました。今回の旅の中で、最も印象の強かった修道院でした。次回述べるフォントネー修道院(L'Abbaye de Fontenay)の壮大さよりも、むしろ身廊部分を欠いたこのミュルバック修道院の遺構に強い感動を覚えたのです。それはひっそりと佇むロマネスク修道院のもたらす静謐そのものの世界の強烈な空間体験によるものだったからです。そこは当時の修道士たちの祈りを捧げる場所だけでなく、小さな村の人々の心の拠りどころとなり、慰めのそして崇拝の対象だったのでありましょう。これこそが、当時の修道士や村人たち、否、現代の異邦人である私たちをしても“聖域”と感じさせる何ものかがあり、超越的と見做されている存在が姿を現す場所であるように思えたのです。村人たちは毎日の祈りを通して、この世の永劫と来世での自らの復活を只管念じていた、まさに特別な入口、“聖域”に他ならないと感じたのです。 ところで話はがらりと変わりますが、アルザスのこの静かな修道院の森をはじめフランスのいたる所で可愛らしく囀っている鳥がいます。ボルドー留学時代に滞在していたホテルの窓辺近くで朝な夕な鳴くこの鳥の歌声は、夕暮れ時の教会の鐘の音と共にどんなに心が慰められたことか。一体何という名前の鳥なのかとずーっと気になっておりました。立教大学のゼミ担当教授に鳥の形、色、鳴き声を概略お話したところ、即座にそれは“黒歌鳥(英:blackbird,仏:merle noir)”です、と教えていただきました。今回のフランスの旅をご案内くださいましたご夫人は、フランスで何度となくいろいろな人に尋ねましたが、この鳥はナイチンゲールという答えが多く、そうかと思っておりました。あの声を聞くと、ああ夏が近づいた、といつも思うのです。私にとっては“夏告げ鳥”ですとおっしゃっていました。ビートルズが「ブラックバ―ド」というタイトルで歌っており、この鳥の愛らしい鳴き声も入っておりますので是非お聴きください。 http://www.youtube.com/watch?v=P5CUHHGlQg0 次回はブルゴーニュ地方のフォントネー修道院をご案内いたします。 |
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