本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - ロマネスク修道院(2) -


<フォントネー修道院(回廊と中庭)>
 ブルゴーニュへ旅する前に、アルザスで出合ったもうひとつのロマネスク教会をご案内しましょう。それはわが敬愛する友、知の巨人、de Mさん(姓の前にdeが付くのはフランス貴族を表します。レジョン・ドヌール勲章受章)が連れて行ってくださった「マルムティエ教会(L'Église abbatiale de Marmoutier)」です。そこは単なるロマネスク教会の建築美だけでなく、フランスのオルガン文化の全盛期ともいわれる「バロック・オルガン」(17世紀から18世紀前半)、その中でも巨匠と崇められるアンドレアス・ジルバーマン(1678-1734)が1709年に制作した名高いオルガンがあったからです。この頃は足鍵盤が現在のような形に確立されていった時であり、新しく建造される教会が競って大オルガンを導入しました。こうして足が活躍する音楽が流行していったのです。作曲も盛んに行われ、ヨハン・セバスティアン・バッハをはじめヨハン・パッヘルベル、ディートリヒ・ブクステフ―デ、ファン・カバニーリェス、ピエール・デュマージュ、ニコラ・ド・グリニ等の作品は、現在でも演奏家のレパートリーとして数多くとり上げられています。当日は生憎オルガン奏者がいませんでしたので、その名器の優雅な音色を聴けなかったのは大変残念でしたが、「マルムティエ教会」で収録したEwald Kooiman演奏のヨハン・セバスティアン・バッハのToccata d minor BWV913がありますので下記をクリックして、18世紀初頭のジルバーマン・オルガンの音色をどうぞお楽しみください。http://www.youtube.com/watch?v=xthKosW4Djc
 さあ、それではこれからフォントネー修道院(L'Abbaye de Fontenay)をご案内いたしましょう。これから行くブルゴーニュ地方は、ワインの産地として有名であることは勿論ですが、この地方の村々にはロマネスク様式の教会や修道院が、小さいものを拾えば、それこそ数えきれないほど沢山散らばっております。その中で、de Mさんが選んでくださったのがフォントネー修道院だったのです。ご存知のように、ロマネスク建築は中世最初の大様式で、ゴシックに先行するものであり、非常に力強い素朴な美しさに溢れております。ブルゴーニュのロマネスクは、この地方の自然の中から生み出されたもので、ワインの香りと共に、村人たちの生活の息づかいが見るものに直接伝わってくるように感じます。
 車はいくつもの小さな丘を超えて走ります。丘を超えるとそこには申し合わせたように小さな集落が置かれています。プラタナスの梢は揺れ動いて、その度に春の陽光に白く輝いています。途中、スーパーに立ち寄ってパンやハムやチーズ等の食料とワインやビールを買い込んで、しっとりとした落ち着きのある、中世を思わせる美しい村を眺めながら運河の傍でピクニックをしました。早速に、de Mさんがハムとチーズのサンドイッチを手際よくつくってくださいました。春の陽射しを浴びながら、この美しい村と運河を眺めてのランチはどの一流レストランでも味わえない心地良さでした。サンドイッチもワインもビールも実に美味い!
 フォントネー修道院はディジョンから行くと国道5号線を通り、約80キロで到着します。果てしなくつづく平原の横をローカル線らしい古びた小さな車両がのんびりと走っています。そして森の中を通り抜けると人家のまばらな空き地に忽然と世界遺産のフォントネー修道院が姿を現します。修道院は広大で、そこから湧き出す泉は清らかな小川をつくりモンパールの町へと流れていきます。そこで聞こえてくるのは鳥たちの啼き声と、森の中をわたっていく風の音だけです。水と森の精妙なハーモニーです。  
 この修道院は1118年にシトー修道会の聖ベルナルドゥスによって創設されました。シトー修道会は、厖大な資産と強大な権力をもち華やかに活動していたクリュニー修道会への反発から1098年に発足しました。彼らはクリュニーから80キロほど離れたシトーという荒地を切り開き、“清貧”の精神をもって、労働のバランスを回復し、自給自足の生活に則って厳しく自己を律したのです。修道院の建物からは一切の装飾を追放し、彫刻や壁画のない、厳格な石の建物を求めました。こうしてシトー会の修道院はクリュニーに対するアンチ・テーゼとして、急速にフランス中に、そしてヨーロッパ中へと広がりをみせ、各地に無装飾の修道院を建築していったのです。そして1115年頃にはクロ・ド・ヴージョとして、後に知られることになる有名なあの葡萄園を手に入れることになります。ここは、その後ブルゴーニュの中でも最も価値のある土地になりました。
 フォントネー修道院の最盛期には300人以上の修道士たちがいたといわれていますが、いまはその面影はありません。16世紀頃から衰退がはじまり、フランス大革命の時には一時製紙工場にもなったそうです。やがて20世紀初めに素封家のエドワール・エナールが買い取り、昔のままの姿にほぼ復元しました。現存するシトー会の修道院の中で最も古い建造物です。その飾り気のない聖堂は、まるで農家の大きな納屋のようにも見えます。石の厚い壁、小さな開口部、厳格なアーチの連なり、そうした禁欲的な秩序で構成される建物、その幾何学的秩序とほの暗い内部空間、そして回廊で囲まれた中庭は、見るものに深い感動と精神的充足感を与えてくれます。
 だが、ほんとうにここには一切の装飾がないのでしょうか。実用性と構造的必要だけで成立しているのでしょうか。そうではあるまい。単純、簡素、無装飾をめざしたシトー会の修道院にも芸術の魂がしのびこんでいるように思われます。彫刻や壁画を禁じられた修道士たちの造形意欲は建築美へと向かっていったのです。精緻に刻まれた切石で完璧に組み上げられた空間は、小さな窓から差し込む光の反射で照らされながら、深い内面的な美を生み出していったように思います。そこには極めて抑制された装飾、もっぱら建築的モチーフによる装飾があるからです。中庭の回廊がそれをよく物語っています。それは柱から柱へと架け渡されたアーチの列から構成されていますが、その大きなアーチの各中央に円柱を一本立てて、二連の小アーチを挿入しています。これは実用性に基づくものでもなければ、構造的に必要でもないように思われます。それは回廊を美しくするためのひとつの装飾であったと考えるべきではないでしょうか。それが自己顕示的な彫刻や絵画ではなく、円柱やアーチといった建築的モチーフによってなされているが故に、装飾とは気付かれないだけのように思われてなりません。宗教建築の最たるものは、この“抑制された”美の表現に真髄があるのではないかと思います。そこには簡素にして“清貧”を旨とした、シトー修道会の精神を垣間見たような気がいたしました。何故なら、修道院といえば、きまって回廊を思い浮かべるように、回廊は修道院の最も修道院的なところだからです。それほど回廊は、修道院を象徴する建物なのです。「回廊」を意味する「クラウストルム(claustrum,羅語)」とは、しばしば修道院を表す言葉として使用され、いわば修道院の心臓部といえる場所なのです。建築的にいえば、回廊のない修道院は修道院にあらずといえるのかもしれません。それだけに修道士たちは渾身を込めて回廊を美しいひとつの装飾芸術としてつくりあげたのではないでしょうか。回廊の風景は、中庭に向かって開かれており、そこから射し込む陽の光は、様々に屈折して影をつくり、一種独特の光景を醸しだします。この回廊こそは、修道士たちの日常生活の場であり、家にたとえていえば、さしずめ居間というべきところだったのでしょう。中庭には決まって泉があり、修道士たちは、ここで手や顔を洗い、口を漱ぎ、足まで洗ったのでしょう。「フォントネー」とはまさに“泉に注ぐ人”という意味をもっています。回廊はまたいろいろな機能をもち、歩きながら聖書を読んだり、黙想や瞑想の場所でもあったのでしょう。また写本をする写学生の仕事場であったのかもしれません。
 草の間から突然雲雀が飛び立ち、春の光が雲間から淡く射してフォントネー修道院への中へと誘(いざな)ってくれます。外来者の宿泊所、彼らのための祈禱所、そしてパン焼きの棟、そこから更に奥に向かい鳩小屋の傍らを過ぎると、教会が現れてきます。教会は慎ましく静謐です。ここでは12世紀頃の聖母子像が目を惹きます。この像はもともと隣接する村の墓地で長らく野ざらしになっていたといいます。聖母は左手で幼子イエスを抱え、イエスは右手を母の首に回し、左手で翼を広げた鳩を胸に押し抱いています。そして、そこを右に出ると先ほど述べた回廊に出ます。春の光が広くあふれる中庭をめぐる回廊をゆっくりと歩きます。寝室は共同で、2階にあります。修道士たちは起床(冬)が午前2時、就寝が午後5時だったそうです。聖務と労働に4、5時間当てられ、開墾、葡萄栽培、牧畜、手工業や農機具の改良、発明等がその仕事であったようです。修道院の敷地には工場もあり、中世において「知的労働者」でもあった彼らは、水力をエネルギーとして多くの実験と改良を重ねたともいわれています。火の気は台所しかなく、彼らは白い僧服に身を包んだまま藁ぶとんで休みました。しかし病めるもののための病室や、規則を破った修道士を入れる牢もありました。
 こうして石以外の何物も使われていない建物の内部に入っていると説明できない感動に襲われます。古い石で囲まれた空間ですが、少しも暗くはありません。建物のあちこちに設けられてある小さな窓からは、程よい量の光線が落ちてきます。光線の当たっている石の面は、それが床であれ、柱であれ、はっきりと、それが経て来た歳月の長さを物語っていました。石は確かに老いていますが、今なお頑強な姿を留めておりました。
 私たちはこの広い修道院の中をあちこち午後の光を浴びながら歩きつづけました。この古い石で囲まれた静かな落ち着いた空間を、いつまでも。
 次回は修道院と葡萄畑について述べてみたいと思います。



 


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