本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - シャトー訪問記20 -


<ヴァン・ジョーヌ(黄色いワイン)>
 再び<シャトー訪問記>に戻ります。今回は一昨年の2000キロの車の旅で、ブルゴーニュ地方へ行く途中に、私のたっての希望でジュラ地方に立ち寄ってもらいました。といいますのは、今までにフランスの主だったワイン産地は殆ど踏破したのですが、ヴァン・ジョーヌ(Vin Jaune,黄色いワイン)の故郷、ジュラ地方だけは訪ねたことがなかったからです。文字通りの“黄色いワイン”を生むこの土地を外していては、フランスワインを語るのに人後に落ちてしまうと思ったのです。ここはまたワインの発酵過程で重要な発見をし、その偉大な功績に対して人類が最も感謝しなければならないパストゥールが少年時代に育ったワインの町、アルボワがあります。フランスとスイスを分けるジュラ山脈のモミの木の生い茂った山々を背にして、殆どが西南に向いた葡萄畑につつまれた魅力溢れる町です。  
 因みに、このジュラ地方といえば、SF小説やそれをもとにした映画「ジュラシック・パーク」の名で一躍有名になったジュラ紀の恐竜の故郷でもあります。
 私たちはアルボワの隣のポリニーという町にある、1248年に建てられたという大きな教会をワインの貯蔵庫として使用している、1907年にジュラ地方の有力な15名の葡萄栽培者たちが集まって設立した協同組合、カヴォー・デ・ジャコバン(Caveau des Jacobins)を訪ねました。教会の壁の回りは大小のワイン樽で埋め尽くされています。教会内の冷んやりとした空気はワインの貯蔵にはピッタリでしょう。ここはジュラ地方でつくられるありとあらゆる種類のワインを試飲できるので便利です。   
 先ずはジュラに来たからには絶対に飲みたいワイン、ヴァン・ジョーヌからはじめます。このワインをつくるためには葡萄は遅く収穫され、圧搾は普通の白ワインと同じようなやり方で行われます。搾られた果汁は樽に詰められ、6年から10年そのまま寝かせます。ワインが樽の中に入れられると、すぐにその表面にシェリーのように皮膜が形成されますが、瓶詰めするまで樽の中にそのまま放置しておきます。ジュラ地方には、ヴァン・ジョーヌ特有の黄色と、木の実のような香りを含んだ強い芳香をワインに備えさせる特有の酵母が、大気中の酸素の中に生育しているのでしょうか。ヴァン・ジョーヌは、その濃い色合いだけでなく、味においても極めて集中度の高いワインです。独特の酸味は、サヴァニャンという品種特性もさることながら、樽熟成の6年から10年の間にワインの蒸発した分を補う“ウイヤージュ(Ouillage)”という工程を一切行わず、故意に酸化を促すためにつくりだされることから生まれます。だから、シェリーを更に凝縮したような味わいになるのです。しかも、葡萄の実りのいい年しかヴァン・ジョーヌはつくられません。このように選りすぐった葡萄によって最低でも6年間寝かされてつくられるこのワインは、出荷時からかなり高価なものとなるのはいたしかたないでしょう。更にヴァン・ジョーヌだけはフランスで売られている750ml入りの普通瓶ではなく、2割ほども容量の少ない620ml入りの「クラヴラン(Clavelin)」という肩の張ったずんぐりした瓶に入れられます。まるで、“ウイヤージュ”をしないための目減り分を飲み手の方に押し付けるようなやり方のようにも思われますが、高いお金を払って2割近くも量が少ないのだから意地汚い飲兵衛には辛いところです。更に、こうして手間暇かけてつくられた凝縮度の高いワインが開花する、その絶頂期を味わうには当然長い瓶熟成が必要となります。飲み手にも相当の我慢が要求される気難しいワインなのです。このヴァン・ジョーヌの産地として一番有名なのは、ポリニーを少し南下したところにある美しいシャトー・シャロンという小地区ですが、今回は残念ながら時間の関係で訪ねることができませんでした。
 ところで私は20年以上も前にパリを訪れた時に、興味津々で1本のヴァン・ジョーヌを手に入れました。そのヴィンテージは偶々1952年でしたので、このワインは来年目出度く還暦になるわけです。今まで飲まずに我慢して、私の小さなセラーに静かに寝かせておいたのが不思議なくらいです。来年は長年の友である神戸の精神科医が還暦を迎えるのを祝って、60年物のヴァン・ジョーヌを晴れて味わうのを今から楽しみにしています。60年という長き歳月を独房のような瓶の中で只管熟成を重ね、懸命になって生きつづけてきたワインは一体どんな風になっているのだろうか。
 ジュラにはもう一つ珍しいワインがあります。それはフランスで古くからつくられていたワインの最後の名残といわれるヴァン・ド・パーユ(Vin de Paille、麦わらのワイン)です。この名前は、それ自体の麦わら色もそうですが、それだけで付けられたのではなく、このワインをつくる時は、葡萄を摘んだ後に屋根裏部屋で実際に麦わらの上に広げるからなのです。こうすることによって葡萄は冬の間に水分を減らし、糖分をしっかりと濃縮させます。これを圧搾し発酵させますと、長持ちする高価で非常に甘美なデザート・ワインが生まれます。
 このようにヴァン・ジョーヌやヴァン・ド・パーユのような珍しいワインの他にも、独特の酸味をもつサヴァニャンやブルゴーニュで有名なシャルドネを使った良質の白ワインがつくられています。更に、白ほど知られていなくても、フランスのワインパレットから外すことのできない独特な赤ワインもあります。プールサール種からつくられる気品のあるロゼに近い赤とトゥルソー種からできる動物性の香りをもったコクのある赤ワインもあり、肉料理に対してもこれらの赤ワインがちゃんと相手をしてくれます。そこには、高原の清冽な空気と森の奥深い息吹という山のワインの特徴がよく表現されているように思います。
 フランスの地方の魅力は、このように何処を訪ね歩いても地方色の豊かさに巡り合えることです。その豊かな地方色を支えているのが、各地方の自立性というか、自足性ではないでしょうか。様々な地方料理に地方の豊かさが示されるだけでなく、それらに合うワインがその地方には必ずあることが何ともうれしいではありませんか
 その上、ジュラ地方にはワインと共に特筆に値する美味なるチーズがあります。ここはフランスの生産量No.1を誇るコンテ(Comté)をはじめモルビエ(Morbier)、ブルー・ド・ジェクス(Bleu de Gex)を生み出す有名なチーズの里でもあるのです。そしてコンコイヨット(Cancoillotte)という溶かして食べるチーズもあり、ジャガイモやソーセージなどにかけて出されます。地元ワインとの相性がいいのは言うまでもありません。
 ここポリニーの町はコンテ・チーズの集積地でもあります。コンテは、ローマ人がマルセイユ経由で取り寄せていたという記録があるほど古く、伝統のあるチーズです。ジュラ地方は強い北風に吹かれ、長く雪に閉ざされる山岳地帯ですから、冬の間の食料確保は大命題であったのでしょう。その点チーズは、保存ができるすばらしい蛋白源でもありました。ジュラ地方の山の民は、コンテを長期の保存に耐えるよう大きくつくり、しっかりと水分を抜き、慎重に熟成させて冬に備えました。直径65cm、重さ40kgという巨大な円盤形をしたコンテ1個をつくるのに、牛(モンベリアール種)のミルクが500ℓも必要です。更に、これほどの大きなコンテを扱うとなると、とても一人では手に負えないということもあってか、人々は既に13世紀から協同組合をつくっておりました。大量のミルクの確保からチーズをつくり上げるまでの作業は今日もなお、協同酪農組合(Fruitiére,フリュイティエ―ルといいます)で行われています。厳しい自然環境だからこそ支え合って生きていく、そんな山の民の生活を象徴しているように思われます。
 さて、できあがったチーズは最初の3週間ほどは生産者の熟成室に置かれますが、その後は熟成専門業者の熟成庫に引取られていきます。温度と湿度が管理された熟成庫では、熟成が順調に進むよう専門の熟成士が、コンテに塩を振り、モルジュ液(チーズの粘りを拭き取った布を繰り返し洗う塩水)に浸して絞った布で表面をこすっては反転させるという世話を絶え間なく続けていきます。このようにして4カ月になると出荷の許可が下りるという、手間暇掛けて漸くできあがるのがコンテなのです。4カ月ではさすがにまだ若く、ナッツや軽いフルーツのような味がします。でもワインと向き合うにはやはり6カ月以上熟成した旨みが欲しくなります。因みに現地で最も好まれるのは8カ月から9カ月といわれますが、日本では舌にアミノ酸の結晶が感じられる14カ月から18カ月の熟成ものが好まれ、通を唸らせているようです。
 早速、私たちはde Mさんの案内でこの町一番のチーズ屋さんを訪れました。さすが人気のお店だけあって現地の人たちで混みあっておりました。私たちは試食をしながら熟成期間の異なったコンテを大きな円盤形から切り分けて貰い、ちょっと重くなりますがお土産に沢山買い込みました。長熟したコンテは栗に似た甘さとフルーティな香りが心地良く、余韻もあります。口に含むと凝縮された濃厚な美味しさがため息を誘います。これからの秋の夜長の一時を、美味なるコンテを食しながらジュラのワインをゆっくりと味わってみるのも楽しいかと思います。
 ところで、「チーズぬきのデザートは、片目のない美女のようなもの」と、かの美食家ブリア・サヴァランが宣っておりますように、食事の時にワインを飲みすすめていって、最も堪能できるのは食後のデザートに入る頃、沢山のフランス各地のチーズが大きなお皿に所狭しと並べられてお目見えする時です。このチーズとのマリアージュを楽しむために残しておいたその日の最上等のワインを傾けながら、思わず“A votre santé!(ア・ヴォートル・サンテ、乾杯!)”とまた言いたくなってしまうのは私だけでしょうか。
 次回はジュラを訪ねたもう一つの大きな楽しみである、de Mさんのご両親の貴族仲間でありますde S夫人の広壮な大邸宅と18世紀の建築家、クロード・ニコラ・ルドゥーの建てた世界遺産のアルケスナン王立製塩所をご案内したいと思っております。

 


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