本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- アルケスナン王立製塩工場(2) - <アルケスナン王立製塩工場> |
明けましておめでとうございます。今年は穏やかさと豊かさが戻ってくる年になりますようにお祈り申し上げます。 早いもので、駄文《ボルドー便り》が原田先生の栄えあるHPに掲載させてもらってから、今年で8年目を迎えることになります。読者の皆様をはじめ原田先生には心から感謝いたしております。これからもよろしくお願い申し上げます。 さて、アルケスナン王立製塩工場のつづきをお話いたします。前回は半円形の中心に鎮座している監督官の館の王の位置について述べました。これを別の見方で捉えますと、少し突拍子な考え方かもしれませんが、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』の中で中心的な課題としています、「パノプティコン(Panopticon(英)Panoptique(仏)、全方位(一望)監視施設)」の構図に非常に近いことに気付かされます。では、その「パノプティコン」とは如何なるものかといいますと、18世紀末にイギリスの功利主義者ジェレミー・ベンサムが考案した新しい監獄のシステム(中央に監視塔が備わった環状の建築物)のことです。これをフーコーが近代社会の管理システムの認識として解釈したものです。 監獄のプランを最も合理的に実現するには、看守を中心におき、看守の目が全方向に向くようにします。そう考えると放射状のプランが最も適切になってくるわけです。つまり中央の監視塔内に監視人を一人配置するだけで複数の収容者の一挙手一投足に視線を送り届けることができるからです。しかし収容者が監視人の不在、つまり視線の不在に気付けるならどうでしょうか。それではかえってよからぬ企ての機会を収容者に知らせることになります。そこで、ベンサムは次のような措置を考えます。看守が暗い監視室から鎧戸越しに収容者を見ることにより、収容者には中央の監視塔内部や看守=視線の有無を判別できない設計とするのです。この「視線の不均衡」によって生み出される効果は絶大です。収容者が監視塔をいくら凝視しようとも、彼の視線は跳ね返されて自分に戻ってくるからです。それは「自分が見られているかもしれない」という状態を自らに言い聞かせるようなもので、常に収容者はこの緊張感をもって、彼は絶えず「見られるための客体」と化してしまいます。この施設は、「権力の自動的な作用を確保する可視性への永続的な自覚状態を、閉じ込められる者に植えつけること」さえできれば、看守の有無を問わず、没個人的かつ自動的に、大きなリスクもコストも必要なく、効率的且つ経済的に囚人を管理し、統治できるものだといえます。 このような技術形態の応用を工場や学校等、そして私たちの日常生活にも見出すことができます。例えば、押し黙った「 監視カメラ」の存在です。それは「監視と同時に観察、安全と同時に知、個人化と同時に全体化、孤立化と同時に透明化」という、戦略的合理性をもってとらえられた規律の姿でもあります。まさにその技術形態は、現在の私たちの権力社会の問題のように思えてなりません。フーコーは18世紀の世界観のひとつのメタファーとして、このパノプティコンの構図を取り出しました。一点から全方位が見える捉え方です。 でも、この王立製塩工場には逆の解釈もできて、ベンサムのように看守が暗い部屋から鎧戸越しに見るようなことはしなかっただろうと思います。王=監督官が民衆=作業者を監視するという意味合いが片方でありながら、民衆=作業者が逆に王=監督官を監視しているという逆の視線もあったように思うからです。つまり、その一つの中心と周辺というこの構図には、周辺があって中心があるのと、中心があって周辺があるのと、両方の視点が見えてくるような緩やかな関係であったように思うのです。これは18世紀の王の時代から、我々の世界へ移ろうとする丁度その転換期に、双方向の視線からなる構図が見えてきたといえるのかもしれません。 この関係を私たちはどう受けとめ、あるいは壊していくべきなのでしょうか。この中心という構図がある限り、そこに行きたい人が沢山いるわけです。そして、そこに位置を占めると、自分のところから全部放射できることになります。昨今の会社首脳陣の起こしたいろいろな不祥事もこの構図の悪用なのではないでしょうか。 この構図の典型がオーケストラの指揮者です。指揮者はオーケストラのばらばらの音を全部自分のところに取りまとめて、自分を中心にしてそこからもういっぺん自分で編成した音を観客に返します。つまり指揮者がオーケストレーションしたものを観客へ提供するという演奏形式は、中心をもった構図そのものだからです。21世紀の今になっても依然としてそれが残って引き継がれ、いまだにクラシックの世界ではこの構図しかありません。 だが、双方向であることによって常に両義的に分解されていく妙な構図が、ルドゥーの設計したこの王立製塩工場の配置の中に既にできあがっているように思え興味が湧きます。 ルドゥーがのちに描いた「ショーの理想都市」の図版では、中心となる監督官の館は、王の代理人の建物でもあるわけですが、ここに礼拝堂が入っているのです。正面の鋸歯状の列柱を抜けてエントランスに入って、階段を上っていくと中2階に着きます。そこから更に上がっていくと、その奥に司祭がおります。司祭は、階段の下に向かって何かやっています。この人は一体何をしているのでしょうか。何か教理を説いているのかもしれません。フーコーは近代的な身体を管理するシステムとして、パノプティコンとキリスト教における告白の制度に注目しました。その両者の結合として、ルドゥーはこの王立製塩工場を既に思い描いていたのかもしれません。 新年早々から少々堅苦しい話しになってしまいましたので、ミシェル・フーコーの話がでたところで、ちょっと話題を転じて、《ボルドー便り》にも何回か登場してきました、私の留学時代の若き友について少し語ってみたいと思います。彼はある財団の奨学金を得てボルドー第3大学に留学し、のちにボルドー第3大学日本語学科の講師を勤めながら、極めて難解といわれる哲学者ミシェル・フーコーの研究をつづけました。そして苦節10年、『ミシェル・フーコーにおける歴史の問題』と題する博士論文を纏めあげ、昨春公開口頭試問を経て、ボルドー第3大学から目出度く哲学博士号を授与されたのです。私にもボルドー第3大学での公開口頭試問の案内状が届いたのですが、行く機会を逃してしまいました。友の最高の晴れ舞台を拝見できなかったのは残念でした。でも昨年11月には日仏会館で彼の帰朝講演会が催され、妻と共に拝聴してきました。残念ながら講演内容は小生の俄か勉強の域を遥かに超えたところにあり、理解できるまでには到底至りませんでしたが、彼がボルドーの地で10年間に亘って、如何に真剣に知の巨人、ミシェル・フーコーに取り組んできたかがよく分かり、とてもうれしい気持ちになりました。ボルドーで巡り会った若き友を誇りに思います。そして、900ページにのぼるフランス語で書かれた博士論文を手にした時に、冒頭で亡き父親に捧げる文章が目に留まり誠に感慨深いものがありました。実は、彼の父親は私と同年であり、ボルドー留学中の2003年に急逝されたのです。 王立製塩工場の半円状の配置を見て、「パノプティコン」からフーコーの『監獄の誕生』を思い浮べ得たのも、若き友の影響が少なからずあったのかもしれません。 製塩工場の案内をつづけます。正門は普通のドーリア式の円柱が並んでいます。そして正門を通り抜けると、そこは半円周の中央に位置しますので、今度は手前に向かって開いた半円形の広い空間、芝生の広場になっている中庭の中にポーンと放り出されてしまう感じになります。この空間の連続性を見ると、やはりアルケスナン王立製塩工場の世界は、外の世界と別のデザインとして組み立てられていることを感じます。ルドゥーの目的は、建築と自然とを単に混和させて絵のような効果を出そうとすることではなく、彼は、自らの新しい理想を、田園風景という新しい理想に結びつけようと望んでいたように思えます。 半円周に沿ってあるのは、一個ずつ一定の職業の人々の住む住宅で、菜園も夫々分かれてあります。そして、その両サイドの端は、徴税吏員の住宅です。監督官は徴税請負人にあたります。「ショーの理想都市」には、職業をそのまま表現する建築が見受けられます。例えば、樵夫の家、桶職人の工房など、建物の形を見るだけでその仕事が分かる面白さがあります。 権力の代理である監督官の館の前の鋸歯状の列柱は、やはり一つの語り口を明瞭に語らせる技術のように思えます。いずれにしても、この製塩工場は、ルドゥーのデザインが石の塊そのものである印象はゆがめません。優美さよりも素朴さを求めて、装飾の部分は単純化されていますが、鋸歯状の列柱が多用されているため、全てが重く、やや暗さを感じます。にもかかわらず、純粋幾何学形態をベースにしているので、量感というか漲る力を見るものに与えております。モニュメントにする必要がない建物でありながらモニュメンタルになってしまっているのです。この矛盾そのもの、もしくは存在の両義性が、後世の人たちをしてルドゥーに関心をもたせる要因なのかもしれません。ルドゥーは、その時代の好みや社会的な基準、標準から逸脱していた建築家だったといわれていますが、むしろ時代を超えてその先まで繋がっている要素を内在していたように思えてなりません。ルドゥー自身は、高揚した夢想と気高く遥かな目標に向かってひた走っていたのでありましょう。 今回はルドゥーのミュージアムともいえる、『芸術・習俗・法則との関係から考察された建築』の著書の中で述べられている「ショーの理想都市」までは辿りつけませんでした。次回にお話しようと思います。 |
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