本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- シャトー訪問記24- ![]() <馬と葡萄畑> |
「グラン・クリュ(特級)がグラン・クリュである根拠は、正に葡萄畑の中にある」とよく言われています。その<ロマネ・コンティ>の畑は、なだらかな東南向きの斜面の丁度中腹にあります(標高262メートルから272メートル)。斜面の東側の方が少し低くなっている関係で、朝一番早く陽が射し、一日中たっ![]() この畑に植えられている葡萄はピノ・ノワール一種だけです。19世紀後半にヨーロッパ全土を襲ったフィロキセラ(Phylloxéra,ぶどう根あぶら虫)のため各地の畑は壊滅状態に陥りましたが、<ロマネ・コンティ>だけは苦心惨憺、古いヨーロッパ種の葡萄を守り抜いたのです。このことで、「再興にかからざるフランス古来の葡萄の園(Vignes originelles françaises non reconstituées)」という誇らしげな名が授けられました。しかし収穫は少な ![]() ここで、ヨーロッパ中の葡萄樹に壊滅的な被害をもたらせたフィロキセラについて少し説明しておきましょう。1860年のある時、アメリカの葡萄樹が1本、ロンドンの国立キュー植物園に送られてきました。不幸にもそれには、フィロキセラという寄生虫が付いていたのです。それは新しい世界が古い世界へもたらした第2の疫病でもありました。第1の疫病は、ご存知の通り、コロンブスの水夫たちがハイチやキューバの愛らしい肌の娘たちからいただいたスピロヘータです。そして、それはセビラとバルセロナの娼館からヨーロッパ中に蔓延しました。第2の疫病フィロキセラが、何故ロンドンのキュー植物園からフランス中に広がったかについて知る人は意外と少ないのですが、事実は正にそうであって、1870年代に大きな葡萄園はこれによって悉く荒廃していったのです。ヨーロッパの葡萄樹には抵抗力がなかったので、フィロキセラは、さながらペストのごとく蔓延しました。暫くの間、フランス人は遂にワインに終末が到来したかと怯えたのでした。やがてある人が、アメリカの葡萄樹には、自然の抵抗力があることを思い出しました。それがフランスに運ばれて、フランスの樹に接ぎ木されました。効果覿面。再びフランスの葡萄園は甦り栄えるようになったということです。 さて、<ロマネ・コンティ>の葡萄は、ヘクタール当たり1万1千本から1万6千本という密植です。こうすることによって、葡萄は根を横に広げられないので地中深くに伸ばすことになります。そのため地中から吸い上げる成分が複雑になるわけです。また、枝にたわわに実る葡萄は一見すると見事ですが、ワインづくりの場合はそれは禁物で、見かけは貧弱で、いくらも実がついてないというのが剪定を厳しくしている証です。1本の樹になる房を少なくすれば、それだけ果実に集中する成分は濃くなるからです。そこで1本につけさせる房は僅か4房から6房 ![]() このように最上を極めるため、徹底した管理を施し、畑がもっている長所をフルに発揮させるということを信条というか葡萄づくりの哲学として連綿として代々の所有者に受け継がれ、現在のドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ社(Domaine de la Romanée Conti)に結実しております。コンティ大公のあと、ロマネから<ロマネ・コンティ>に名を変えてからも何人もの手を経て、ド・ヴィレーヌ家とルロワ家の両家のものとなりました。この畑ひとつで、一冊の歴史書ができあがりそうです。 1974年にはアンリ・ド・ヴィレーヌの息子オベールとアンリ・ルロワの娘ラルーが共同経営者となりましたが、20年近い蜜月時代を経て、1992年に袂を分かってしまいました(当時センセーショナルな話題となりました)。その後監査役であったルロワの姉ポーリーンの長男シャルル・ロックが共同経営者の代表権を得ましたが、2か ![]() ところで、私は一昨年春に<ロマネ・コンティ>のヴォーヌ・ロマネ村を久し振りに訪ねました。葡萄畑を歩き回ったあと、<ロマネ・コンティ>とラ・グランド・リュ(La Grande Rue,特級畑)の間 ![]() そこで初めて馬で畑を耕しているという珍しい光景を目にしました。その葡萄畑は<ロマネ・コンティ>と小道をひとつ挟んだ上方にある、レ・ゴディショ(Les Gaudichots)という小さな1級畑でした(ドメーヌ・ド・ラ・ ![]() ![]() 実は、<ロマネ・コンティ>の畑も今でも同じように馬でもって耕すことを実践しております。そして注目されるのは、至高のドメーヌを率いる二人の共同経営者の思想が、2008年に究極の自然農法といわれるビオディナミ(Biodynamie,生力学栽培)に全面的に転換したことです。ビオディナミという言葉の中には、伝統的な農法の90パーセントが含まれているということに合点がいきます。ビオディナミについては章を改めて別途述べるつもりです。 ただ、馬で耕作する方法は古来より実践されていると思いきや、ブルゴーニュの葡萄畑に馬が導入されたのは、それほど昔のことではないとのことでした。馬を使えるようになったのはフィロキセラ被害のあとで、そ ![]() 「ロマネ・コンティの比類のないすばらしさ、値段のつけられない価値は、テロワール(Terroir、ワインは土地、気候、葡萄品種の3つの幸運な結合によりつくりだされています。このような条件の結合をフランス語でテロワールと称しています)にその秘密があるのだ。テロワールと、その語り部たる偉大な品種ピノ・ノワールとの共同作業、幸福なマリアージュ(結婚)が、偉大なワインを生み出す。それを永続させること、畑の神秘的化学反応を尊重することこそ、若い世代に伝えなけ ![]() 最後にブルゴーニュ出身の女性作家コレット(Colette,1873-1954)が語ったすばらしい一節をひいて、この章を終わることにします。「植物の中で唯一葡萄だけが、大地の真実の息吹を伝えることができる。その伝達の正確さよ!葡萄はその房で大地の秘密を語る。土中の火打石は、大地が生きていることをわれわれに教える。やせた粘土はワインの中で黄金の涙を流す」と。 <ロマネ・コンティ>は人の心を深く揺り動かす芳香をもつ、壮大華麗なワイン。きらきらと光り輝くルビー色と、そのきめの細かさはいかなる人の味覚をも喜ばせる! 次回は作家たちが<ロマネ・コンティ>を讃えた文章をご紹介しましょう。 |
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