本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- シャトー訪問記25- ![]() 『ロマネ・コンティ・1935年』 |
![]() ブルゴーニュやボルドーの人たち、そしてフランスの作家コレットやイギリスの作家ロアルド・ダールの抱く、燃え上がるようなワインに対する情熱と想いは、同じようにわが国の開高健の描く作中人物をも襲っています。この短編で描かれている<ロマネ・コンティ1935年>は、フィロキセラ禍から逃れたものの、残念ながら既に華を欠いており、様々な想像を生む原動力にはなり得なくなって ![]() それでは早速、氏の小説の饒舌ぶりに、暫し耳を傾けてみましょう。そしてワインに対する愛情込めた表現の見事さを感じとってみてください。 ― 冬の日曜日の午後遅く、鋼鉄とガラスで構築された都会の高層ビルの料理店で、41歳の小説家は40歳の重役氏と向かい合ってテーブルに座っている。どうやら重役氏は、うらやむべきフランス・ワインの旅を終え、彼の地で仕入れた珠玉とも宝石ともいうべき2本のグラン・ヴァンを携えて帰ってきたというのがこの物語の設定です。「若いのは6歳、古いのは37歳だ(1972年に飲んでいるので)。となりどうしの畑でとれたけれど、名がちがうから、異母兄弟というところかな。本物中の本物、ヴレ・ド・ヴレというやつさ」と重役氏は自慢する。 小説家の前に最初に現れたのは、<ラ・ターシュ>の1966年の一瓶である。彼は重役氏の話に耳を澄ませながら、 ![]() そして、愈々<ロマネ・コンティ1935年>の登場となります。給仕が静かにテーブルに近づくと、白い籠をそっと、一本の髪をつまみとるような注意深さでとりあげる。籠の中には、濃緑で、口を赤い蠟で封をした、撫で肩の、古い瓶が一本、ひっそりと横たわっていた。黄ばんだレッテルに、ちょっと古めかしい斜体の、細かい筆記体で、Romanée Contiとあり、すみに小さくゴチック体で、Anée1935とあった。小説家はぼんやりと眼をあげ、「ロマネ・コンティだ」とつぶやいた。「本物。らしいな」と。重役氏はにがく笑い「1935年だぜ」といった。 ![]() 給仕の顔にひどい緊張があらわれた。手はしっかりと、けれど籠とのあいだに紙一枚のゆとりをあけて、つかんだ。瓶の口は猫の慎重さでグラスにしのびよった。瓶がゆさぶられないか、酒が混乱しないか、澱(おり)が舞い上がらないか、注がれているあいだずっと小説家は息をつめて眺めた。給仕は静かに、ゆっくりと、何度かにわけて二つのグラスに注ぎ、注ぎ終わった瞬間、ホッと音をたてて息を吐いた。終わった。儀式の第一は無事に終わった、最後の一滴はこぼれないで瓶へ戻され、澱も洩れないですんだようである。二つのグラスに歴史がなみなみと満たされ、二人の男はグラスごしに茫然としたまなざしをかわしあい、微笑しあった。偉大なワインを開ける時の給仕そして小説家のピーンと張りつめた雰囲気がわれわれ読者にも伝わってまいります。 小説家がつぶやいた、「飲んでいいのかしら?」と。重役氏が優しくいった。「どうぞ」と。そして小説家の< ![]() 小説家はおずおずと体を起し「では」とつぶやいた。「やるか」と暗い果実をくちびるにはこんだ。くちびるから流れは口に入り、ゆっくりと噛み砕かれた。歯や、舌や、歯ぐきでそれはふるいにかけられた。分割されたり、こねまわされたり、ふたたび集められたりした。小説家は椅子のなかで耳をかたむけ、流れが舌のうえでいくつかの小流れと、滴と、塊になり、それぞれ離れあったり、集りあったりするのをじっと眺めた。くちびるに乗ったときの第一撃にすでに本質があらわに、そしてあわれに姿と顔を見せていて、瞬間、小説家は手ひどい墜落をおぼえた。けれど、それが枯淡であるのか、それとも枯淡に似たまったくべつのものであるのかの判断がつきかねたので、さらに二口、三口、それぞれのこだまが消えるのを待って飲みつづけなければならなかった。小説家は奪われるのを感じた。酒は力もなく、熱もなく、まろみを形だけでもよそおうとする気力すら喪っていた。ただ褪せて、水っぽく、萎びていた。衰退を訴えることすらしないで、消えていく。どの小流れも背を起こさなかったし、岸へあふれるということもなかった。滴の円周にも、中心にも、ただうつろさしかなく、球はどこを切っても破片でしかなかった。酒のミイラであった。こうして小説家は<ロマネ・コンティ1935年>という偉大なワインを無限の期待をもって口にした時、思いがけず手ひどい墜落の感覚を味わうことになったのです。 ここでさすがだと思ってしまうのは、その老いさらばえたロマネ・コンティの様を、中世最大のフランス ![]() 偉大なワインや古いワインを飲んだ経験を豊富にもつ愛飲家にとっても、このようにワインばかりはどんな血筋やヴィンテージが良くても、残念ながら開けてみるまでは分からないのです。1930年代のワインは、良年の多い1920年代と1940年代に挟まれて若干影が薄かったようです。全般的に気候が不順だったのかもしれません。 小説家は「・・・フ ![]() 「1935歳(このワインは葡萄だけをつくって1935年間になる土からできたゆえ、37歳というよりは1935歳のワインだという)から毎年一歳ずつ眠りつづけていた。歴史を肴に飲む酒だよ」、「けれど、死んだ」、「こんな酒を批評してはいけないな」、「そうかもしれない」、「批評できないんだよ」、「虚無に捧げる供物といった人もいる」、「名言だね」と、暫し語り合います。 そして、「終わった。もう飲めない。ひどい澱である」。グラスの内壁がこまかい粉でまっ黒になり、瓶にはまだ酒がのこっているけれど、ためしにちょっと斜めにしてからたててみると、どろどろにとけたタールのようなものがべっとりと瓶の内壁をつたって流れ落ちる。それを眺めているうちに小説家はとつぜんうたれた。「この酒は生きていたのだ。火のでるような修行をしていたのだ。1935歳になってから独房に入って37年になるが、けっして眠っていたのではないのだ。汗みどろになり、血を流し、呻きつづけてきたのだ。それでなくてこのおびただしい混沌の説明がつくだろうか。不幸への意志の分泌物ではないのだろうか。これもまた一つの劇ではなかったか?・・・」と。重役氏が「では、いくか」といった。小説家は「うん」といった。ここで、この物語は終わります。 ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ社の共同経営者の ![]() この小説に影響を受けた池田満寿夫は、初めてロマネ・コンティの存在を知り、『ロマネ・コンティ』(1989文學界)の題で自らも短編小説を発表します。そして小池真理子も『Vintage‘07』の「過ぎし者の標」(2007年刊)の中でロマネ・コンティに纏わる短編を書いておりますが、今回は紙数が尽きてしまいました。 ブルゴーニュを描写した長編の名作『化石』(1969年刊)を遺した井上靖は、死を前にして、「ブルゴーニュ地方に行きなさい。そうすれば本当の生きる歓びを味わえます」と語ったといいます。 |
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