本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - シャトー訪問記(その3) -


シャトー・ディケム

 ご挨拶が大変遅くなってしまい申訳ございません。本年も《ボルドー便り》をどうぞよろしくお願い申し上げます。
 今回は貴腐ワインとして世界的に有名な<シャトー・ディケム(Château d'Yquem)>について、私の思い出を交えながら語ってみようと思います。《ボルドー便り》vol.49の中にも<シャトー・ディケム>の記述がありますのでご参照いただきながらお読みくだされば幸いです。
 私が<シャトー・ディケム>のかつてのオーナーであったアレクサンドル・ド・リュル・サリュース伯爵(Comte Alexandre de LUR SALUCES)に初めてお会いしたのは、8年程前の秋に東京で催されたある晩餐会でのことでした。<シャトー・ディケム>の1986年、1988年、1990年の垂直試飲の会があるということで、フランス大使館の外交官ご夫妻に誘われて妻と共に嬉々として出掛けました。今思えば、<シャトー・ディケム>の中でもビッグ・ヴィンテージと評価の高い3種類だけでもすごいのに、更にグラーヴの銘醸ワイン、<ラ・ミション・オー・ブリオン>の1982年、1990年、1995年の3種類、そして夫々のワインに合わせたフランス料理のフルコースを味わえたとは、何とも贅沢な会であったと思います。リュル・サリュース伯爵といえばワイン愛好家にとっては仰ぎ見る、まさに雲の上の御仁であります。しかし当時一介のサラリーマンであった私にも親しげに語りかけてくださいました。いかにも伝統あるフランスの伯爵然とした風格を感じる御仁でありましたが、同時に大変気さくな紳士という印象をもちました。勿論、1986年、1988年、1990年という<シャトー・ディケム>のワインのすばらしさに只々圧倒され感激してしまいましたが、それ以上にこの偉大なワインをつくりだしたリュル・サリュース伯爵のお人柄に大いに惹かれたのであります。当時習いたてのフランス語を使って、<シャトー・ディケム>をテイスティングした感想を無我夢中で伯爵にお話したことを懐かしく思い出します。恐らく訳の分からないことをいろいろ話していたのでしょうが、熱心に耳を傾けていただき、ひとつひとつきちんと答えてくださいました。今でも覚えているのは、私が<シャトー・ディケム1986年>には、ココナッツやトロピカルフルーツや蜂蜜や杏やヘーゼルナッツとかの複雑な風味を感じましたと、ワイン評論家のような感想を述べたことに対して、「そうですか、そのように正確に感じ取ってもらいましたか。うれしいことです」と大変真面目な顔をされてお話くださったのが印象に残っています。それと『YQUEM(イケム)』(《ボルドー便り》vol.49の冒頭の写真)の本を持参して伯爵の写真にサインを頼んだところ、「これは随分と若い頃の写真ですね」と言いながら気持ちよく応じてもくださいました。
 その後しばらくして、私は辞書を片手に拙いフランス語で伯爵に手紙を書き、その時の写真を同封して送りました。まさかご返事をいただけるとは予想だにしませんでしたが、後日きちんとタイプされた<シャトー・ディケム>の紋章入りのお礼の手紙がわが家に届いたのです。あの時は吃驚すると共に天にも昇る気持ちになったものです。誠意はどんな世界にも通じるものだと。私は伯爵への手紙の中で恐れ多くも、<シャトー・ディケム>で葡萄の収穫作業をさせていただけないかと不躾なお願いをしたのであります。それに対して「あなたがフランスに来られた時には、<シャトー・ディケム>は喜んでお迎えしましょう。ただ葡萄収穫作業を望んでおられるようですが、ここ<イケム>では大変熟練した摘み手が収穫作業を行うために残念ながらあなたの願いを叶えることはできそうもありません。でも訪問した時にはいかにして<イケム>がつくられ、どんなに複雑で難しい作業であるかを見ていただけるでありましょう」等々。大変ご丁寧な内容の手紙にすっかり感激してしまいました。その手紙にはリュル・サリュース伯爵が口述したことを私が代筆しましたと代筆者のサインがされておりました。当時、私はフランス人からこのようなきちんとした手紙を受け取ったことがないため興奮したのを覚えております。
 後日、本で調べてみますと、<シャトー・ディケム>では、貴腐のついた葡萄の摘果のやり方はワインの質に決定的な影響を及ぼすことになるため、収穫はボルドーの他の地区のように一斉且つ一挙にやるようなことをせずに、しばしば12回以上も特別に熟練した摘み手(アルバイトは決して雇わない)が葡萄の樹を丹念に見て廻り、ちょうどよく貴腐状態になったいい実を探す。そして文字通り粒を選り分けて摘む。そのため収穫が2ヶ月以上も続くことがあり、年によってはクリスマスが来ても摘み取りが終わらないと書いてありました。このことは、<シャトー・ディケム>ではグラスにたった一杯のワインをつくるのに1本の葡萄樹が必要とされることを如実に物語っています。私は通常のボルドーでの収穫作業を考えていたわけであり、素人の摘み手がとてもやれる作業ではないことを知って、大変失礼なお願いをしてしまったものだと自分の無知を恥じました。
この伯爵からの手紙をきっかけに文のやりとりがはじまり、毎年伯爵から直筆の手紙を添えたシャトーの美しいカードが届くようになりました。現在は<シャトー・ディケム>の経営から離れたため、リュル・サリュース家が1472年の昔から500年以上に亘って所有する<シャトー・ド・ファルグ(Château de Fargues)>から手紙が届きます。今年の新年のカードには、印刷された“あなたに(vous)”が消されて、“à Saburo”とペンで加筆されていましたので、漸く一人の友として認めていただけたのかなとうれしい気持ちになりました。そこには、またボルドーへ来なさいと書いてありました。ユネスコの世界遺産に登録され、美しくなったボルドー、そして伯爵の居城である<シャトー・ド・ファルグ>を訪れることを今から楽しみにしております。
 私はボルドー滞在中に<シャトー・ディケム>を2度訪ねました。そして2度目の時にリュル・サリュース伯爵をシャトー内でお見かけしたのですが、残念ながら声を掛けられなかったのです。何故だったのかは後でお話します。
 1度目はボルドーに来て丁度一年が経った2004年2月のことでした。友人とポムロール、サン・テミリオンそしてアントル・ドゥー・メールの葡萄畑を回り、最後にソーテルヌを訪ねた時でした。到着予定が大分遅れて夕方近くになってしまい、予約時間に間に合わなかったため、外側から<シャトー・ディケム>の威容を眺めるだけになってしまいました。でも初めて<Yquem>と記されている門柱の前に立った時の感激は忘れられません。ここが憧れの<イケム>かと。長い道がシャトー(城)へと続いておりました。小高い丘を登るとそこには威風堂々とした古城が聳え立っていました。シャトーはまさに周囲を睥睨する王者の風格でしたが、シャトーの周りには野生の可愛らしいシクラメンが一面に咲いていました。14世紀に建てられた(一部は16~17世紀)というシャトーの建つ場所からは、斜面に沿って美しい葡萄畑が連なり、まさにお伽噺のような景色が眼前に広がっておりました。その時は残念ながらリュル・サリュース伯爵にはお会いできませんでしたが、何か懐かしいものがふっと去来しました。
 シャトーの歴史を辿りますと、フランス革命前の1785年にソヴァージュ・ディケム家の娘がルイ・アメデー・ド・リュル・サリュース伯爵に嫁いだとあり、その時にこのシャトーが嫁入りのひとつの資産としてリュル・サリュース家のものになったと記されています。以降200年以上に亘ってサリュース家が持ち続けてきたのですが、親族間の確執・相続等の複雑な事情が絡み、遂に1996年にルイ・ヴィトン等で有名なLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)社に売却せざるを得なくなってしまったのです。このニュースはフランス中のテレビ、ラジオ、新聞、雑誌などでトップニュースとして報じられ、日本でも話題になりました。「贅沢品の王様(LVMH)が、世界で最も偉大なワインを獲得した」と。大きな企業がまたも家族経営の伝統ある一族の持つボルドーの至宝を奪い去っていったのです。ここに長きに亘ったリュル・サリュース王国は事実上の終焉を迎えました。
2度目の訪問はその年の5月でした。ボルドー第2大学醸造学部に講師として数回に亘って特別講演をしてくださった<シャトー・ディケム>の若きメートル・ド・シェ(酒庫長)の女性研究者の招きで、クラスメート10名程で訪れました。外観はいかめしい古城のようなシャトーも一歩足を踏み入れると、広い邸内にはいろいろな花が咲き乱れ芳しい香りを漂わせていました。そしてシャトーの広大な地下蔵には沢山の大樽が積み上げられており、その壮観さに圧倒されてしまいました。彼女に案内されて中庭に入ったところ、クラスメートの一人が「あっ、伯爵だわ」と囁いたのです。その方を見るとハンチングベレーを目深に被ったリュル・サリュース伯爵が俯き加減に歩いている姿が目に留まりました。駆け寄って声を掛けたい衝動に駆られましたが、その姿が余りにも寂しげでしたのでつい遠慮し、皆と一緒に次の場所へ歩き出してしまいました。あの時ご挨拶できなかったことがとても心残りに思いますが、実は2004年5月20日の伯爵70歳の誕生日のその日に総支配人の地位までも失ってしまわれたのです。私は、<シャトー・ディケム>の経営から完全に手を引き、住み慣れたシャトーを手放なさなければならなくなった、正にその瞬間の、伯爵の沈鬱な姿を目の当たりに見てしまったのです。見学の最後に<シャトー・ディケム>と<Y(イグレック)>を何種類も試飲させてもらいましたが、伯爵の姿が頭から離れずに、折角の銘酒も上の空でよく憶えておりません。<シャトー・ディケム>で遭遇した切なくも哀しい思い出です。
 その後、私に届いた伯爵からの手紙には<シャトー・ド・ファルグ>に集中してワインづくりに勤しんでおりますと淡々と綴られておりました。変転と時の流れのほかに、永遠なものはこの世にはないのでしょう。フランスワイン界に輝かしい一時代を築かれた、リュル・サリュース伯爵の今後の健康と<シャトー・ド・ファルグ>でのご活躍を祈ってやみません。同時に<シャトー・ディケム>がこれからも偉大な貴腐ワインでありつづけて欲しいと願っております。

 なお、上記は<シャトー・ディケム>の一愛好者から見た思い出の記です。リュル・サリュース伯爵をはじめ関係者に予めご許可を得て書いたものではありませんことを申し添えます。




 


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