本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - シャトー訪問記(その11) -


<La Pyramideの中庭>
 前回はリヨンで大分道草を食ってしまいましたので、今回は本題に戻り、美食の殿堂「ラ・ピラミッド(La Pyramide)」とコート・デュ・ローヌ(Côtes-du-Rhône)の葡萄畑巡りの旅に出掛けることにいたします。
 先ずは、「ラ・ピラミッド」についてもう少々語りたいと思います。
 エスコフィエ(ボルドー便りvol.27)が料理の王様なら、「ラ・ピラミッド」のフェルナン・ポワンは料理の神様といわれ、1930年頃からフランスは勿論のこと世界中の料理人から敬われ、名声を博しました。ポワンには、他の偉大なる料理人たちと違って著作は何ひとつありません。唯一残したものはヴィエンヌという片田舎にあるレストラン「ラ・ピラミッド」だけです。ここは1923年に開店し、1933年よりポワンが亡くなる1955年までの32年間に亘りミシュラン3つ星を守りつづけたという稀有な店となりました。更にポワンの死後もマドの愛称で呼ばれていたマダム・ポワンが後を継ぎ、ポワンが生きていた当時と何ひとつ変わっているものはないといわれるくらいポワンの料理を見事に再現し、3つ星を維持しつづけたのです。ポワンはテロワール(産地特有の味)に根ざした料理を打ち立てた革命家であり、素材の生かし方と組み合わせのすばらしさは他の追従を許さない完成度であったといわれ、史上最高のフランス料理のシェフと讃えられました。ポワンの店には毎日のように世界の有名人、エレガントな女性たち、枢機卿、それに王侯貴族たちが豪華な料理を前にして食卓を囲んだそうです。その頃はブルートレインやリムジンで南仏まで出掛ける俳優、喜劇役者、作家たちは誰でもポワンの店「ラ・ピラミッド」に必ず立ち寄ったといいます。前回でも述べましたように、国道7号線は快適な道であり、優雅で美食に満ちた中継点のある道筋だったのでしょう。恋人のマルセル・セルダン(プロボクサー)を伴ったいつまでも若く美しいエディット・ピアフ、ジャン・コクトー、サッシャー・ギトリー、そして痩身のベルナール・ビュッフェなどで賑わったということです。フェルナン・ポワンは「俺は劇場へは行かない。劇場が俺ん所にやって来るんだから」とうそぶいた話は有名です。ポワンは芸術家や作家たちと親密になる何かを瞬間的にキャッチする才能をもっていたようです。ポワンは彼らのことを尊敬し、また彼らもポワンのことを愛してやみませんでした。
 高度な料理技術はポワンにひとつの哲学をもたらし、味わい深く、恐るべき数々の警句を残しました。例えば、「初めてのレストランに入ると、食事の前に料理人と握手をする。もし、その料理人が痩せていたら、まず、美味しい料理にありつけることはない。もし、その料理人が痩せているうえに陰気な表情をしていたら、その店から飛び出したほうがいい」と。それもそのはず、ポワンは2メートルの身長があり、その立派な胴回りの横では誰でも小さく感じてしまうほどでした。「太った人は、いい人だ」というリヨンの古い格言があるように、彼の著名度とその巨躯は、まるでしっかりとした台座にのった、丁度ヴィエンヌの街に立っている白い石のピラミッドのイメージがあったと数々の著述家が書いています。
 フェルナン・ポワンは、「すばらしい食事は、シンフォニーのように調和がとれていなければならないし、ロマネスク様式の教会のように美しくつくられていなければならない」、「すばらしい料理というものは客を待っていてはならない。すばらしい料理を待たなければならないのは客の方である」、「つけ合わせというものは、釣り合いが取れていなくてはならない。ネクタイと背広のように」、「よく訓練を受けた料理人というものは、料理長に対すると同様、皿洗いの人にも丁重に接するものである」、「腕の良い料理人は自分の学び取ったもの、即ち自分の個人的な経験のあらゆる結果を自分の後につづく世代に伝える義務がある」、「スタッフを統率するのに必要なのは、古株の経験と、若手の熱意をうまく噛み合わせることである」等々、どの世界にも通じるような数々の名言を残しています。
 私が妻と共に「ラ・ピラミッド」を訪ねた時には、フェルナン・ポワンもマダム・ポワンもとうに黄泉の人になっていました。でも「ラ・ピラミッド」を訪ねれば少しは稀有の名シェフ、ポワンの面影を感じ取ることができるのではないかと期待して、遥々ヴィエンヌまでやってきたわけです。それはフェルナン・ポワン、マダム・ポワンについて書かれた著作を読んで大いに魅了され感動したからです。
 ポワンご夫妻の死後は一旦店を閉め、そして1986年に店を売りに出したところ、その偉大な店名ゆえに却って買い手を遠ざけてしまいました。漸く1989年になって弱冠31歳のシェフ、パトリック・アンリルが新生「ラ・ピラミッド」をオープンさせたのです。アンリルは想像もつかない程のプレッシャーを感じつつも、偉大なる“フェルナン・ポワン”の影との闘いに挑むことになります。当時、アンリルは「ラ・ピラミッドでシェフをやるといのは、人生の中で最も大きな賭けでした」と振り返る。店を任されたアンリルは一旦星をなくした「ラ・ピラミッド」を翌90年には早くも1つ星を、次いで91年には2つ星を獲得し現在に至っています。アンリルは見事この賭けに勝利したのです。
 「ラ・ピラミッド」のアパルトマンの部屋から眺めるフランス庭園にはプラタナスや栗の大木が立ち、手入れのゆき届いた花壇には薔薇をはじめ色とりどりの花々が秋の陽射しをいっぱいに浴びて咲き乱れていました。
 部屋にいてもディナーが待ち遠しく、やがてギャルソンに案内されたレストランには既に何組かの着飾った紳士淑女が席に着いており、私たちの食事が終わる頃には客でいっぱいになっておりました。食前酒を飲みながらメニューをゆっくり眺めるのも楽しいひと時ですが、旅の疲れか一杯のシャンパンでいい気持ちになってしまいました。妻も長旅の疲れか余り食欲がなく、ア・ラ・カルト(一品料理)の中から、エクルヴィス(ザリガニ)のサラダ(Salade de queues d'écrevisse)とシェフおすすめのミネストローネ・ド・サン・ピエール(Minestrone de Saint-Pierre、まとう鯛のミネストローネ)の2品を、私は頑張ってムニュ・デ・ジャルダン(Menu des Jardins)のコース料理(4皿)をオーダーしました。ワインは前回お話したフェルナン・ポワンの愛した地元コート・デュ・ローヌの白、<コンドリュ(Condrieu)1997年(Pierre Gaillard)>と、赤は<コート・ロティ・キュヴェ・ラ・モルドレ(Côte Rôtie Cuvée La Mordorée)1990年(M.Chapoutier)>を、翌日訪ねる葡萄畑を思い浮かべながら味わいました。白は思い切ってシャトー・グリエ(Château Grillet)にしようかと大分迷いましたが、赤の<コート・ロティ>の方でちょっと贅沢をすることにしました。 
 ガイヤールの<コンドリュ1997年>は期待を裏切らない、フィネスを感じるミーディアムボディのワインに仕上がっており、典型的なコンドリュのスイカズラや熟した杏、そして桃を思わせる香りが心地良かったです。エクルヴィスのサラダにも魚料理にもよく合いました。このワインは熟成させるワインではないので、若いうちに現地で飲むに限ります。
 <コンドリュ>のワインには面白い話が残されています。ある時、ワイン愛好家の12人のアメリカ人が良質の<コンドリュ>を発見するためにこの地方にやって来ました。それは美しく晴れわたった夏の朝のことでした。彼らは「ラ・ピラミッド」のテラスの日陰のテーブルで、ワインがサービスされるのを待っていました。フェルナン・ポワンは店の酒蔵係を呼び、カーヴの一番奥の部屋からワインの壺を持ってくるように言いつけました。カーヴから戻ってきた酒蔵係は「パトロン、この<コンドリュ>は音を立てていますよ」と。ポワンは彼に答えて、「そりゃ、発酵しているのさ。早く彼らのグラスについであげなさい」と言いました。それを飲み干したアメリカ人たちは、このワインの美味しさに感動しました。実はポワンが酒蔵係に指示したワイン壺には、シャンパンで有名な<ボランジェ(Bollinger)1929年>が入っていたのです。美味しい筈です。気のいいアメリカ人たちはこのワインを求めて、コンドリュ地域の全ての葡萄畑を駆け巡り、四方八方手を尽くしたが、同じワインを見つけることができなかったというお話です。このような茶目っ気たっぷりの悪ふざけはポワンの癖だったということが、ポール・ボキューズの自伝『La Bonne Chère(ご馳走)』に書いてありました。
 私が注文したコース料理のメイン、「リムーザン産の仔羊(Agneau de lait,生後30日ほどの乳呑み仔羊の肉)のステーキ(Carré d'Agneau de lait du Limousin)」には<コート・ロティ・キュヴェ・ラ・モルドレ1990年>がとてもよく合いました。濃いルビー色をした、この<コート・ロティ>は甘いカシスや花やスパイシーな複雑な香りを漂わせ、口に含むと卓越した凝縮感があり、余韻も長く、大変豊かなフルボディのワインでした。さすがシャプティエのつくるワインはすばらしく、感激しました。殆ど私一人で飲んでいましたので、残ったワインでチーズとのマリアージュを心置きなく楽しんだのはいうまでもありません。翌日の葡萄畑と醸造所を訪れるのが益々楽しみになってきました。そしてデザートは、「ラ・ピラミッド」のかつての名物「マルジョレーヌ(Marjolaine)」に変わって、新生「ラ・ピラミッド」に誕生した「チョコレートのピアノ菓子(Piano au chocolat)」はとても可愛らしく目も楽しませてくれるデザートで、ヴィンテージ・ポートと共に美味しく味わいました。ところで、私たちの前の席に座っている3人の老婦人の健啖ぶりには驚きました。かなりのボリュームの魚料理、肉料理を次々に美味しそうに平らげ、そして飲み且つ楽しく語り合っている様子は、まさに“Bon vivant(ボン・ヴィヴァン、よく生きる)”そのものでした。食事の後は別室に案内されて、エスプレッソ・コーヒーをプティ・フール(一口菓子、Petits fours―Mignardises)と共に味わいながら余韻を楽しみました。この上なく贅沢な時がゆっくりと過ぎていくように感じられました。
 新生「ラ・ピラミッド」はパトリック・アンリルの卓越した腕によって、フェルナン・ポワンの伝統がちゃんと受け継がれているような気がして大いに満足しました。
 「ラ・ピラミッド」については少しだけ語る積りが、ついつい書き過ぎてしまったようです。紙数が尽きてしまいましたので、コート・デュ・ローヌの葡萄畑巡りは次回に回すことにいたします。悪しからずご了承ください。


 


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