本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - 余話のまたまた余話<ワイン会と西馬音内盆踊り(2)> -


<西馬音内盆踊り>
 今回は「西馬音内(にしもない)盆踊り」についてご紹介したいと思います。
 「西馬音内盆踊り」は、富山県八尾の「風の盆」、岐阜県の「郡上八幡盆踊り」と共に日本三大盆踊りのひとつといわれ、多くの人々の心を惹きつけてまいりました。この「西馬音内盆踊り」のふるさと、羽後町は横手盆地の南西の端に位置しており、秋田県でも有数の豪雪地帯といわれている静かな農村です。「緑と踊りと雪の町」として知られています。最近は「かがり美少女イラストコンテスト」として町おこしを企画し、若者の人気を集め、NHKの「クローズアップ現代」でも取り上げられましたのでご存知の方も多いかと思います。その自然の豊かさを湛えた町で、毎年お盆を迎える季節になると静かに高揚感が漂ってまいります。
 「西馬音内盆踊り」の囃子の音色が聞こえて、そのたおやかで妖しい踊りに魅せられ、その闇の裂け目の向こうに、何が視えてくるのかと通いつめた画家がいたとか。そうまで惹かれる「西馬音内盆踊り」の魅力は、前回秋に「櫻山(おうざん)」を訪れた時に特別に廊下で踊っていただいた幽玄且つ妖艶な踊りから納得できます。私もその緩やかなテンポにのり、手をのばし、指先を反らせ、美しい形で静止する姿に魅せられてしまったのです。踊り全体が滑るようなゆっくりした動きにつくられているためか、すっぽり顔を隠し目だけを出した彦三(ひこさ)頭巾で亡者となった踊り手のためか、見つめていればいるほど現実感が遠のいてしまいます。その時は感じなかったのですが、今回盆踊りの本番を見た瞬間に、20世紀初頭に活躍し一世を風靡したイサドラ・ダンカンのモダン・ダンスの一枚の写真と不思議にも重なったのです(vol.28をご参照ください)。このことは後に述べたいと思います。
 宵も深まり、「櫻山」の女将の御父上様の先導で、とある旧家に案内されました。そこは元造り酒屋であったようで、家の中に立派な蔵が二つも建っているという豪勢な建築に圧倒されてしまいました。急な階段を上って2階の座敷に通されました。驚くことに、この家の真隣は櫓を組んだお囃子の舞台になっていたのです。欄干の前に椅子が並べられてあり、スイカ等をご馳走になり、冷えたビールを飲んで、間近に野趣に富む大太鼓と笛のお囃子を聴きながら眼下で舞う「西馬音内盆踊り」を見物できるという、願ってもない特別の桟敷席でした。上から踊りを眺め、飽きたら下に降りてきて間近で眺めて楽しみなさいという、ありがたいご配慮に只管感謝です。その上、階下ではその家のご主人が江戸時代と明治時代の見事な端縫い(京縮緬と豪華な色とりどりの絹の端布をつなぎ合わせた優雅な衣装)と藍染めの踊り衣装の掛かる前で、「櫻山」の御父上様と酒盛りをしており、私たちも仲間に入れて貰って「西馬音内盆踊り」の昔話に暫し花が咲きました。
 今でこそ「西馬音内盆踊り」は重要無形民族文化財の第1号に指定され、全国的に知られるようになりましたが、当初は単純な農作業の身振り手振りを取り込んだ踊りだったようです。その素朴な動作の繰り返しは長い年月に亘って磨きがかけられ、息をのむほどの美しさを空間につくっていったのでしょう。どんな芸能でも何百年という長い間に、当初の形のままで伝承されることなどありえないのかもしれません。
 「西馬音内盆踊り」という、いわば民俗芸能に叙情性という品性を加えた先人たちにこそ瞠目する。そして私たちは後から生まれて先人の遺産を引き継いだだけのことである。その恩恵をただ受けたのだから、われわれの世代で盆踊りをより良くし、次世代に渡さなければならない。心しなければならないのは、観光客への観せようではなく、この町で踊る情念の持続を、修練の厳しさで育てることにかかっているのではないだろうか、との「櫻山」の御父上様のお言葉には大いに感じるところがありました。
 かつて農耕の里では、「西馬音内盆踊り」は月光と篝火の明るさだけで行われていたといいます。だから妖しく幻想的な雰囲気が一層醸し出されていたことが想像つきます。戦前は8月16日から20日までの5日間(現在は16日から18日の3日間)で、子供の踊りのはじまる宵の口から、明け方の午前2時頃までつづいたといいます。送り盆の16日は、各家の精霊棚が下ろされて迎え馬と共に西馬音内川に送り出される。西馬音内の本町通りには篝火がたかれ、櫓の上で寄せ太鼓が囃されると祖霊やもろもろの霊を鎮め、五穀豊穣を願いながら、“揃った揃うたよ 踊り子揃うた 稲の出穂よりなお揃うた”とがんけ(甚句)の唄と共に、「西馬音内盆踊り」の列が町筋をゆるりゆるりと滑っていったそうです。特に最後の夜は、準備した篝火用の薪がなくなるまで、囃子方の櫓の下の踊り手が6,7人になってしまうまで踊りつづけられたといいます。このように盆踊りは、時代時代に生きてきたわれわれ民族の生活・情熱といったものの集団的な表現であり、先ずはみんな参加して踊ることに原点があったのでしょう。踊りを楽しむというのは人間の中に潜む根源的な欲望なのかもしれません。
 踊りの輪の中は、冥界であり、そこは亡くなった人の魂が帰ってくる場所で、先祖の霊はその空間で共に踊るとされた。盆踊りの輪の外側は現世であり、輪の内側は冥界である。とすれば踊り手のつくる列は、あの世と現世を分ける境界なのかもしれない。情念を発散しようとする舞ではなく、情念を内へ内へと秘めていく艶やかさがこの「西馬音内盆踊り」の特徴なのです、と語っていた古老お二人のお話が印象深く残りました。
 今回観た盆踊り本番の踊り手は、篝火の向こうの闇に浮かんでいる黒い彦三頭巾の妖しい姿、艶やかな端縫い衣装の姿で、うつつの世界から見ているものの魂を、あの世に運び去っていくのではないかとの錯覚をも感じてしまいます。やがて再び現世に戻ると、亡霊をかたどった異型の姿とはうらはらな、赤い袖口から差し出される手首や指の白さ、裾からのぞく足の脛の白さが目をすい寄せます。雪国の女性の色の白さの美しさそのものです。“秋田の女ごは 何(なん)してきれいだと 聞くだけ野暮だんす 小野の小町の生まれた在所を お前だち知らぬのげぇ”と秋田音頭に歌われているように、秋田の人たちは小野小町こそ秋田美人の元祖と思い込んでいるようです。「櫻山」の女将を見ていると、その色白さと大きくて黒い瞳に納得してしまいます。秋田美人を産み育てる自然条件と風土がここにはあるのでありましょう。
 「西馬音内盆踊り」が「西馬音内盆踊り」らしくなってくるのは、夜が更けてからだといいます。夜が深まるとともに、濃い藍染めの踊り浴衣や艶やかな端縫い衣装に、編笠や彦三頭巾をかむった女性たちが加わってきて、熱を帯びた正に大人の世界になってきます。自分たちの先祖を偲んで拝み、豊作を祈り、平和で豊かな生活への願いを込めて、老若男女を問わず羽後町民がひとつになって、この「西馬音内盆踊り」を守りついできたのでしょう。他県に嫁いだ女性も、この期間には里帰りして「西馬音内女性(にしもないおなご)」に戻って踊るのが慣わしのようになっているとのことです。そうした踊りと風土への想いが、篝火のように人々の心に焼きつけられているのでしょう。
 篝火に映える派手で粋な絞り藍染めの浴衣、風雅な端縫い衣装。深くかむった編笠の下、黒繻子の衿からくっきりと白く匂う、襟足の清楚な色っぽさ。桃色の頬に結ばれた紅の編笠の括り紐の艶やかさ。北国の盆なればこそ燃え尽くす、情緒豊かで短い夏の夜の正に風物詩であると思います。明るく野趣に満ちた活発な囃子に対して、流れるような優美で緩やかな踊りの対照がまたいい。このことが際立って独自な美をつくりだしているような気がいたします。それに、風にそよぐ稲穂の波を思わせる、しなやかに変化する手振りが実に美しいのです。指先の美ともいうのでしょうか。日本の踊りは「一腰・二足・三手先」といわれるそうですが、「西馬音内盆踊り」も腰を水平に動かすところがいいし、また手を叩いたり、地を飛んだりする所作がなく、大地を擦るような足の運びがステキです。手の動きや形を美しく見せるための微妙な手のひらや指のそりがたまらなく観る者を惹きつけます。全て農耕作業と結びついた動作なのでしょうか。
 岡本太郎は「西馬音内盆踊り」を観て次のように語ったといいます。「あるものはリズムであり、火に映えた色であり、形・動き・生きものなのだ。それがすばらしく優美で、情感的で、天地を満たしてしまう。まさしく、今日あるがための命であったし、火が燃え、笛が鳴り、太鼓が轟き、中空に月が冴える。ここに人間と、霊のなまなましい交流・対決が現出している。夏の盛り ― 季節の周期の中で、天と地、人が、ひらききる時だ。お盆の呪術的な意味がひらめき出るような気がする」と。まさに「西馬音内盆踊り」の中の生命の燃焼と情念の世界を見事に謳いあげているように思います。岡本太郎をはじめ「西馬音内盆踊り」に魅せられた文化人は数多く、秋田の農村を撮りつづけた木村伊兵衛もその一人です。
 エネルギッシュで活気と野趣に満ちた囃子の「陽」と、優雅に洗練された振りの「陰」。編笠と端縫い衣裳の妖艶な現世的な美と、彦三頭巾の神秘的で非現実的な美。明るく弾み歯切れの良い音頭の「明」と、しっとりとした哀調を帯びたがんけ(甚句)の「暗」。そうした対比・対立が絶妙な美を織り成している。それこそが「西馬音内盆踊り」本来の魅力なのでしょう。
 墨彩画家の米倉兌は、「西馬音内盆踊り」の最終日は、篝火がひとつひとつ消えてうすい煙を天へ昇らせる。編笠や亡者の彦三頭巾を取れば、涼しく爽やかな風が身にしみる。陶酔からさめ、家路につく人々の肩が、なぜか寂しい。と表現されていますが、確かに踊り手の女性が暗闇の中を踊り衣装を着たままの姿で、月明かりに照らされて一人また一人と家路に急ぐ後ろ姿は、夏の終わりを告げるかのようで哀愁が漂います。この光景が又たまらなくいいのです。
   “お盆恋しや かがり火恋し まして踊り子 なお恋し”
   “月は更けゆく 踊りは冴ゆる 雲井はるかに ササ雁の声”
 次回は「西馬音内盆踊り」とモダン・ダンスの創始者イサドラ・ダンカンを重ね合わせて私論を述べてみたいと思います。



 


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