本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - シャトー訪問記(その19) -


<ドメーヌ・ヴァインバック>
 このたびの未曾有の東日本巨大地震により、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
 一昨年の春、フランス人ご夫妻の案内で、黄色の絨毯を敷き詰めたような菜の花畑を通り抜け、「葡萄畑とロマネスク修道院を訪ねる2000キロの車の旅(シャンパーニュ→アルザス→ジュラ→ブルゴーニュ→フォントネー→シャブリ)」に出掛けました。その途次に立寄った、フランスで最も美しいと讃えられているアルザス地方の葡萄畑のうち、2つのドメーヌをご案内いたしましょう。その風景はまさに須賀敦子さんが『アルザスの曲がりくねった道』(未定稿)で美しく綴っている葡萄畑そのものでした。
 その2つとは、アルザス地方の優れた生産者の中でも傑出したドメーヌとして最高の評価を得ている、<ドメーヌ・トリンバック(Domaine Trimbach)>と<ドメーヌ・ヴァインバック(Domaine Weinbach)>です。さすがフランス人、よくぞ数あるドメーヌの中からこのアルザスを代表する2つを選んでくださったものと只々感謝のみです。
 先ずは<ドメーヌ・トリンバック>からご案内しましょう。ストラスブールから車を走らせ漸く目指すドメーヌを探し当て車を降りと、傍のトンガリ屋根の上にコウノトリの巣を見つけました。幸先の良いスタートです。北アフリカで冬を過ごしたコウノトリはこの地方に幸運と春を運んでくるといわれています。ここは後で聞くとグラン・クリュ(特級葡萄畑)だけでなく、「コウノトリの里」としても有名な村であることが分かりました。
リクヴィルの葡萄栽培農家として1626年にその歴史を刻みはじめたトリンバック家が、現在のリボーヴィレ村に移り、ワイン醸造家として一躍脚光を浴びるようになったのは、フレデリック・エミール・トリンバックなる当主の時代にブリュッセルで開催された国際品評会で最高位の賞を受けた19世紀末のことでした。今日なお、フレデリック・エミールの名を敬いドメーヌ名に冠され、ワイン名にもなっています。ここは家族経営が連綿と受け継がれており、現当主は11代目です。年産約100万本、その80%以上が輸出されており、特にアメリカ市場において全アルザス・ワインの3分の1のシェアーをもっているというから驚きです。
 それでは、早速にテイスティング・ルームで<ドメーヌ・トリンバック>のワインを味わってみましょう。アルザスの3大葡萄品種といわれるリースリング、ピノ・グリ、ゲヴュルツトラミネールの2006年と2007年の<レゼルヴ>と上級の<キュヴェ・フレデリック・エミール>を味わいました。どれも「ミネラル」、「ドライ」、「ストレート」という、このドメーヌの3つの特徴がよく表れたワインでした。そしてアルザス辛口リースリングの最高峰と謳われている単独所有畑(僅か1.3ha)の<クロ・サン・テューヌ2003年>はまさしく絶品でした。お伽噺に出てくるような愛らしい村リグヴィルにあるロザケール畑のリースリングでつくられた、深みのある熟成感とエレガントでフィネスなすばらしいワインに仕上がっていました。このワインはアルザスの“ロマネ・コンティ”とまでいわれ、高く評価されています。
 これらのワインを緑色の脚のついたアルザス・グラスで飲むのは最高な気分です。そんなグラスで飲まれるアルザス・ワインを、20世紀を代表するフランスの詩人であり、「シュルレアリスム(超現実主義)」という語の発明者でもあるアポリネール(1880-1918)が高らかに歌いあげています。
    
    僕の杯は炎のようにわななく葡萄酒でいっぱいだ
    足につくほど長いみどりの髪をくしけずる
    七人の美人を月の中に見た
    一人の舟子(かこ)が歌いだすゆるやかな節を聴きたまえ

    あの舟子の歌が僕に聞こえなくするためだ
    立って 輪になって踊りながらもっと声高く歌いたまえ
    そして僕のそばへ連れてきてくれ 髪を編んで巻きつけた
    ブロンドの娘たちは一人残さずに

    ライン河 ライン河は酔っている 葡萄畑を映して
    夜の星かげは金色にわなないて降ってきてそこに映ってる
    あの声は瀕死の人の残喘(ざんぜん)のようにいつまでも歌いつづける
    夏の呪禁(まじな)う緑髪の妖精たちの上を
 
    僕の杯は砕け散った 哄笑のように   (「ラインの夜」から 堀口大學訳)

 次に訪ねたのは、アルザスの最高峰、<ドメーヌ・ヴァインバック(Domaine Weinbach)>です。オーナーとの連絡がうまく取れていたため、このドメーヌを支える3人の女性の一人、カトリーヌ・ファレールさんが応対してくださいました。通された応接間のようなステキなテイスティング・ルームには、セピア色のものを含め、家族にとって大切だったその時々の写真が所狭しと飾られていました。調度品も見事でした。現在ドメーヌとなっているカイゼルスベルグ村(この村はシュヴァィツアー博士(1875-1965)の故郷でもあります)にある敷地や建造物は、1613年にカプチン派(厳格な清貧主義の徹底を主張してフランシスコ派から分派した会派。カプチン派の名前は修道服の頭巾(カプッチョ)に由来しています)の修道士たちによって創建されたものであり、同時に「すばらしいワインを生み出す土地」としても知られ、その評判はフランス革命までに既に確立していたようです。
 醸造所はアルザスで最も有名なグラン・クリュ(特級葡萄畑)、シュロスベルクの丘の麓にあります。1898年にファレール家の所有となり、二代目当主のテオ・ファレールは、この地のアペラシオンのすばらしさを世に広め、<ドメーヌ・ヴァインバック>の名を大いに高めました。彼の亡き後の1979年からコレット夫人と2人の娘カトリーヌとローランスの3人の女性によって運営され、私たちを迎えてくださった長女のカトリーヌさんがドメーヌ運営の全般を、次女のローランスさんが栽培・醸造を担当しています。現在ドメーヌは約27haの葡萄畑を有し、カイゼルスベルグの渓谷に広がっています。
 このドメーヌの特筆すべきところは、1998年より段階的に「ビオディナミ(生力学栽培)」を取り入れ、2005年から全面実施したことです(「ビオディナミ」については《ボルドー便り》vol.66をご参照ください)。従って、化学肥料、除草剤、殺虫剤等は一切使っていません。ここの葡萄畑を見ると、雑草に覆われており、正に自然農法を実践していることがよく分かります。葡萄の病気を防ぐには、畑の単一栽培を避け、有機体を共存させることが大切だからです。蜂やテントウ虫、蝶などが来ない畑は心配なのです。オーケストラが様々な楽器の集まりでありながら、ひとつの音楽を創りだすように、葡萄畑全体にいろいろな生命=土、動物、植物が共存しながら不可分の関係にあること。そこに人間も連なっていることが重要であることを、このドメーヌの葡萄畑は教えてくれます。ビオディナミについていろいろ質問事項を準備していたのですが、当日はあいにく栽培・醸造を担当している次女のローランスさんが留守で残念でした。でも、この雑草に覆われた畑を目の当たりに見て、そこで生まれたワインを味わって、そのすばらしさを十分理解することができました。勿論、酵母は自然酵母であり、それはオークのフードル(大樽)に生息している独自の酵母と、畑由来の土着の酵母であるとのことでした。
 さあ、待ちに待ったテイスティングです。2007年の<ミュスカ・レゼルヴ・ペルソネール>からはじまり、特級畑の2006年の<リースリング・グラン・クリュ・シュロスベルグ>、<キュヴェ・サント・カトリーヌ“リネディ”>、<ゲヴュルツトラミネール・フュルステンテュム>、そしてカプチン派以来の伝統ある単独所有畑の“クロ・デ・カプサン”からつくられる先代テオ・ファレールへのオマージュとしてその名が冠された逸品、2006年の<リースリング・キュヴェ・テオ>と<ゲヴュルツトラミネール・キュヴェ・テオ>、最後にヴァンダンジュ・タルディヴ(遅摘み)の<ピノ・グリ・アルテンブルグ2001年>を味あわせてもらいました。どのワインも夫々の葡萄品種の特徴が見事に表現されていました。<ミュスカ・レゼルヴ・ペルソネール>は、まさに花の香りとトロピカルフルーツの香りを誇り、強烈な味わいをもっていました。リースリングは、いずれもエキス分が強く、高い酸度を感じるワインに仕上がっていました。特に<キュヴェ・テオ>はバランスが良く、凝縮感もあり、ミネラル、リンゴ、アプリコットなどの複雑な香りを思わせる、洗練された見事な出来栄えでした。<ゲヴュルツトラミネール・フュルステンテュム>はヴァニラの香りと、豊かでとろりとした味わいをもち、高い酸度と残糖感もあり、実にバランスの良いワインでした。<キュヴェ・テオ>は黄金色に輝き、スパイシーで甘酸っぱいアロマを放つ見事なワインでしたが、この品種独特のバラやライチの香りを思わせる特徴に若干欠けているように思いました。最後の<ピノ・グリ・アルテンブルグ>は遅摘みの最高級甘口ワインに相応しく、干したアンズやイチジクの香りを漂わせ、口当たりは優しくふくよかで、バランスの良さによるためか突出した甘味をあまり感じさせない、エレガントで凝縮感のある見事な逸品でした。
 こうしてアルザスで最も深遠なワインをつくる<ドメーヌ・ヴァインバック>での、優雅で楽しいテイスティングは終わりました。最後に隣の部屋で、孫と遊ぶコレット夫人にお会いできる栄に浴しました。外に出ると冷たい春の小雨が降っていましたが、間近にシュロスベルグの特級畑を眺めながら、まさに至福の一時でした。
 あの時の風景を想い出しながら、アポリネールのライン詩篇の一節を口ずさんで、この章を終わります。
    数珠がひとかけ 徳利が二三
    長い鶴首(つるくび)なみなみ満たす
    ラインワインは生一本
    川波ほども透き通り イヤリングほど照りがある (「渡船」より 堀口大學訳)



 


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