本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - シャトー訪問記21


<ジュヴレ・シャンベルタン村の葡萄畑>
 さて、再び本題のワインの話に戻ります。今回はブルゴーニュ地方の葡萄畑をご案内しましょう。この地を初めて訪れたのは、彼是23年ほど前のことになります。あの時の葡萄畑の風景は生涯忘れられないでしょう。
 初めから少し余談になって恐縮ですが、それは私にとっての初めてのパリ出張でした。あの頃はサラリーマンも恵まれた時代であったのかもしれません。飛行機は若い社員でもビジネス・クラスに乗れましたし、エール・フランスはパリからフランス国内の飛行運賃は全て無料で、その上フランス各地の一泊のホテル代も付いていました。そこで私は初めてのパリ出張でありながら、エール・フランスのサービスをフルに活用しようと、パリから南仏ニースへ飛び立つことを思いついたのです。でも運悪く出発時刻が遅れて、ニース・コート・ダジュール空港に降り立ったのは深夜近くになってしまいました。それからタクシーで海岸沿いの“プロムナード・デ・ザングレ(英国人の遊歩道)”を、左手にあの有名な「オテル・ネグレスコ」を眺めながら通り抜け、目的地のホテルに辿り着きました。本当は思い切って、映画にも度々登場する高級ホテル「ネグレスコ」へ泊まりたかったのですが、諦めました。翌日は朝早く飛び起きてホテルを出発し、先ずは朝市へ繰り出し、新鮮なフランボワーズを買い込んで食べながら、地図を片手に旧市街から足を延ばしてニースの町と地中海を一望できる城址のある丘に登りました。確か古い砲台があったように記憶しています。展望台に立つと眼前一杯に広がる美しい地中海の風景に暫し感激してしまいました。それから更にヨットハーバーのある隣の町を訪ね、レストランで地元料理と南仏ワインを楽しみました。昼からは瀟洒な高級住宅が建ち並ぶ中の「シャガール美術館」を訪ねましたが、生憎工事中で休館でした。その後ニースの海岸を散策しますと、トップレス姿の美しいフランス娘がそこかしこに闊歩し、堂々と日光浴をしているではありませんか。日本ではお目に掛かれない初めて見る光景にびっくりするも、正直目を奪われてしまったのも確かです。こうして南仏ニースでの楽しい一人旅は終わりました。
 帰りはニース・ヴィル駅から、ブルゴーニュの葡萄畑を見たいためにTGVに乗り込みました。コート・ダジュールの美しい海と南仏の小高い山々に真黄色に咲き乱れるミモザの群生をぼんやりと眺め、そしてパリに近づくにつれ車窓に現れる憧れのブルゴーニュの葡萄畑の風景を楽しみながらパリ・リヨン駅に無事到着しました。宿泊場所の「オテル・ニッコウ・ド・パリ」に着き、高層階の部屋からワイングラスを片手に、暮れなずむセーヌ河を眺めて一息ついていると、突然電話が鳴り響きました。本社の上司から「パリ・エア・ショーで起こったソ連の最新鋭機Mig-29の墜落事故は見たか」との問いに、思わず「初日はプレス関係者だけに開放しており、残念ながら一般見学者は見ることはできませんでした」と慌てて答えたものです。悪いことはできませんね。パリでは新聞やTVのニュースでその墜落事故の模様を大々的に報じておりました。この一件はほぼ四半世紀を過ぎ、もう時効で許して貰えるでしょう。その時私に課せられた出張目的は、ある重要プロジェクトの商談と<パリ・エア・ショー>の見学でした。勿論、翌日は一日掛けて真面目にエア・ショーを見学し、ブースでの商談に駆け回ったのはいうまでもありません。当時はのんびりとした良き時代であったのかもしれません(私だけかもしれませんが・・・)。
 ところで幸運なことに、私のワイン好きが既にフランスの某大手電機メーカーにも知られていたようで、日曜日にブルゴーニュ地方を案内しましょうとの願ってもない申し出が舞い込んできました。ニースの帰りにTGVの車窓から眺めたあの美しい葡萄畑の旅がまさに実現するのです。興奮しました。当日案内してくださったのは《ボルドー便り》vol.2<ボンジュール・ムッシュー>に登場するBさん(後に彼は某大手電機メーカーの技術担当副社長になりました)とS嬢でした。縁とは不思議なものです。これだから人生は楽しいのでしょう。その時Bさんとは初めてパリ・リヨン駅でお会いしました。いよいよTGVに乗って楽しい3人の旅のはじまりです。小学生が遠足へ行くようなうきうきしたあの時の気分は忘れられません。ブルゴーニュ地方の首都ディジョン駅で下車し、レンタカーを借りていざ出発です。当時の日記には「小生にとって、ブルゴーニュの旅は生涯忘れられない旅になった。あの憧れの葡萄畑を目の当たりにした感激・・・」と記してあります。
 それではこれから、その当時の日記を紐解きながらブルゴーニュの葡萄畑をご案内してまいりましょう。ブルゴーニュはボルドーと並ぶフランスワインの2大産地、あの歴史家ミシュレが「愛らしくもワインの香るブルゴーニュ」と表現した土地です。「そこは町々が紋章に葡萄の枝をあしらい、誰もが兄弟と呼び合うボン・ヴィヴァン(良く生きる人)と楽しいクリスマスの国だから」と謳っています。これは全17巻にも及ぶミシュレ畢生の大著『フランス史』の第3巻「フランスの景観」のブルゴーニュに関するさわりの部分です。
 ディジョンから「銘酒街道(ルート・デ・グラン・クリュ)」と呼ばれる県道に入ると、次々に現れる小さな村々が本で何度も読んだ全て有名なワインの名であることに思わず狂喜乱舞してしまいました。当時の日記には「さあ、ディジョンから南へ伸びる土の香り高いこの街道こそ、ワインを愛する世界の人々の憧れる夢の銘醸ワインの数々を生み、日本で何度も飲み味わい且つワイン書で読んだことのある、あの“コート・ドール(Côte d'Or、黄金の丘)”なのだと思うと胸の高鳴りを覚えた。とうとう念願の“コート・ドール”の地にやって来たのだ!赤色を帯びた小石だらけの岩層の土壌に葡萄を実らせ、なだらかな起伏つらなる東向きの斜面に6月の洋々たる太陽を受け、まばゆいばかりに葉を輝かせているではないか。夢にまで見た“コート・ドール”!秋ともなれば黄金に輝くエル・ドラドと化すだろう。もう正に感激そのものだった」と記しています。
 村の入り口で村の名の書いたプレートを見つけると、その都度ちょっと車を止めてとお願いして必ず降りて写真を撮っていました。「いやー、すごいな。フィーサンやジュヴレ・シャンベルタンという村がやはりちゃんとあるんだ」と興奮しながら。何しろ、比較的のびやかな河口の平地に広がるボルドーの葡萄畑と異なり、南北50キロ余り、幅は広いところで2キロ、狭いところでは百メートルというひと続きの細長い丘陵地帯に20を超す村名ワインを産する村々がひしめいているのだから、それこそ2,3キロも走ると、続々と名だたるワインの村に出くわすことになります。ワインへの熱狂は元々理性を超えているのだから、数多くの銘醸ワインが現実的な風景となって私の前に展開しているのだと感じたとしても可笑しくはないし、また私が少しばかり理性を失って村名プレートに抱きついたとしても、バッカスの神はほんのちょっと微笑んだだけで許してくれることでしょう。
 “コート・ドール”の主要な葡萄畑は、フィーサン(Fixin)村から始まります。「日本で飲んだ<Clos du Chapitre(クロ・デュ・シャピトル)1969年>のバランスのとれた味を思い出しつつ、のどかな葡萄畑と可愛らしいロマネスク教会を眺めながら、なるほど美味いワインができるわけだと呟きながらフィーサン村を歩く」。ここのワインは、出来上がって直ぐに美味しく飲めるというタイプではありません。タンニンが強く、濃厚だからです。しかし数年も経てばずっと親しみ易くなります。優れたフィーサンはがっしりとして長命で、土の匂いがします。ミネラルを思わせるほどですが、ここには“コート・ドール(コート・ド・ニュイ)”ではめずらしい石灰岩が畑にひそんでいるからです。
 フィーサン村の次は、ジュヴレ・シャンベルタン(Gevrey-Chambertin)村です。「ワイン愛好家憧れのとてつもない大物ワインの村、ジュヴレ・シャンベルタンに入った。先ずはワイン店に立ち寄って試飲する。現地で飲むワインの美味しいこと!早速に<Gevrey-Chambertin1985年>を1本買う。実に静かな小村といった感じで、この村から世界のワイン愛好家垂涎の的<Chambertin>が生まれると思うと感慨深きものあり。<シャンベルタン>、何と快く耳に響く言葉だろうか。それから私たちはドメーヌ・フィリップ・レミ(Domaine Philippe Rémy)の大きな館を訪ねた。ところがオーナーのマダム・レミは、「TV中継の全仏オープンが今ちょうどいいところなの。ちょっと待っててくださいね」と言われる。誠に愉快なり、フランスらしいというより、やはりあくまでのどかな農村風景のひとコマと考えるべきか・・・。それから館の中に招かれ、マダムとゆっくりとワイン談義。このフィリップ・レミの<シャンベルタン>の数々も美味しそうな瓶とラベルの顔をしている。ここで<Latricières-Chambertin(ラトリシエール・シャンベルタン)1983年>を購入する。マダムに言われた通り5年ほど辛抱してゆっくり寝かせ熟成をまって、3人で旅したことを思い出しつつ飲んだらさぞかし美味しいだろうな(ところが小生の小さなセラーにいまだ寝かせたまま23年ほどの歳月が過ぎ去ってしまっている)。フィーヌ(Fine)やマール(Marc)の葡萄の粕取りブランデーも珍しかった。マダムからまだワイン名が印字されていない、Domaine Philippe Rémyの紋章だけが入った新しい白地のラベルを頂戴した。何と書き込むか思案中」。
 その後、Bさんがこの日のために予約してくださったレストラン<レ・ミレジム(Les Millésimes)>(当時ミシュラン1つ星)へ向かう。<ミレジム(収穫年)>という名は、17世紀の醸造所を改装したもので、ワイン・カーヴもその時のままだそうです。「この小村にこんなすばらしい、品格あるレストランがあるなんて驚きだ。やはりこれこそが世界のジュヴレ・シャンベルタン村なのだろう。フランス、それもブルゴーニュのようなワインの産地でなければ、まずお目に掛かれないレストランだ。このようなステキなレストランを予め探してくださったBさんに只管感謝。ヌーヴェル・キュイジーヌの料理の数々―前菜の可愛いらしい野生のアスパラガスからはじまりエスカルゴ、魚介のミルフィユ、カネット(Canette,家鴨の雌雛)のソテー(ミッテラン大統領来店の折もカネットを所望されたとか)をすっかり堪能した。小生がTGVの車中で、日本ではまだ見かけないワイン、<クロ・サン・ジャック(Clos St.Jacques)>の話をしたが、その<クロ・サン・ジャック1978年(Domaine Armand Rousseau,ドメーヌ・アルマン・ルソー)>を、このメインの料理に合わせてBさんが分厚いワイン・リストの中から見つけて注文してくださったのには只々感激。この上もなく豊かな濃いルビー色の輝きと、どっしりとした力強い口当たり、味のバランスも見事というほかなし。そのすばらしいブーケは忘却の彼方へ消え去ることはない。とても一息では嗅ぎきれないその香りとふところの深い味わいは、さすが名だたるワインづくりのアルマン・ルソーの手になるまぎれもない偉大なワインだった。このレストランの厨房を通って見せていただいた17世紀のワイン・カーヴの中で静かに眠る5万本ほどの見事なストックには吃驚仰天!いつまでも立ち止まって眺めていたい気がした。名シェフの父、美人の母の両親のもと、長男はソムリエ、二男はパティシエ、三男はシェフ、チャーミングな長女ソフィーはサービス係り。仲の良い一家のチームワークがもてなし全体に生き、すばらしい!ソフィー嬢がラベルをその場で(水にも濡らさずに)爪でもって器用に剥がしてくれたのには吃驚!あの光景は初めて見るものだった」と当時の日記に綴ってありました。
 次回はブルゴーニュのワインづくりの名手中の名手、アルマン・ルソーの話からロマネ・コンティの葡萄畑までをご案内したいと思います。



 


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