2003年1月31日キャセイ航空にて成田空港を18時20分に飛び立ち、香港経由でパリ・シャルル・ド・ゴール空港に着いたのは翌朝2月1日の早朝6時でした。なんと18時間もかかっての到着です。留学生用の特別格安航空券(大学の仮入学許可証と学生用ビザがあれば入手可)は楽をさせてくれません。興奮のためか、それとも座席の前後左右を占める中国人留学生の一団の騒ぎのためか寝不足気味で少々疲れました。
眠い目をこすりながら大きな荷物を引きずって到着ゲートを出たとたんに、大きな声で『ボンジュール、ムッシュー・カネコ!』という大きな声が耳に飛び込んできました。自分の名前が呼ばれていることに一瞬耳を疑いました。我にかえって声が聞こえた方をよーく見ると、なつかしいフランス人のB氏(15年来の友人)が大きく手を振っているではありませんか。まさかまだ明けやらぬ冬の寒い早朝のシャルル・ド・ゴール空港で、一人寂しく降り立ったわたしを出迎えてくれる人がいようとは思ってもいませんでした。この日のパリは小雪の舞う、気温零下4度の寒さです。おそらく彼は5時過ぎからわたしの到着をずーっと待っていてくれたのでしょう。うれしさがこみあげてきます。固く握手を交わし、彼の厚い友情に心から感謝しました。彼は当時オーストラリアで勤務しており、フランスの出張をわたしのために一日のばして出迎えてくれたようです。それも一ヶ月ほど前にオーストラリアにいる彼から一本の電話が入り、何月何日にどの航空会社の飛行機でシャルル・ド・ゴール空港へ着くのかと聞いてきただけです。まさかそれだけで迎えに来てくれるとは日本人には到底考えられないことであり、まったくびっくりしてしまいました。もし航空会社やフライト便を変更でもしていたらどうなったことでしょう。そういえば半年前の手紙で彼がフランスでわたしを迎える最初の人になりたいと書いてあったのを後になって思い出しました。彼は見事にそれを実行してくれたのです。
それから彼はわたしをTGV(超高速列車:フランス版新幹線)の駅まで車で案内し、列車が出発する時刻までカフェで付き合ってくれました。彼はその日の午後の飛行機でオーストラリアへ帰ると言っていました。あのときの感激は一生忘れません。彼のおかげで、まことに幸先のいいスタートを切ることができました。
フランス人はとかく冷たいとか、気位が高く、日本人を嫌っているという日本人の思い込みがあるようですが、フランス人にもこのように友情に厚く、優しい一面があることをここで紹介しておきたかったのです。
TGVはひっそりと静まりかえった雪景色の田園をひたすら走りつづけていきます。ボルドーへ近づくにつれ、降る雪はいつしか雨模様に変わってきました。窓外に見えるサンテ・ミリオンのぶどう畑は雨にけぶり、すっかり丸坊主になったぶどうの株だけが寂しげに行儀よく並んでいます、まるで幾何学模様のように。でも来るべき春にそなえて力を蓄えているような頼もしい感じでもありました。間もなくガロンヌ河の向こうにはサン・ミッシェル教会の高い尖塔が見えてきます。ああ、とうとうボルドーへやって来たのだなー、と感慨深いものがありました。TGVはボルドー・サン・ジャン駅に無事到着しました。
わたしは大きな荷物を引っぱって、取敢えずこれから滞在するホテルへ向かいました。
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