金子三郎さんは私と小山台高校の同級生で、ずっと親友として付き合ってきました。大手の三菱電機(株)を立派に勤め上げ、2年前意を決してフランスに渡り、ボルドー大学で「ワイン醸造学」を本格的に学んで来ました。ボルドーは云うまでもなく世界のワインのメッカです。フランス語も独学でマスターし、長い間心に秘めてきたものを遂に実現したのです。この「ワイン醸造学」は単なるソムリエ(プロのワイン飲手)の養成ではなく原料の栽培から始まりワインの生産、管理、活用にいたる体系的学問で、これをマスターした日本人は数人しかいないといわれています。 いずれ金子さんには本格的に「ワイン学」を聞きたいと思いますが、今回はとりあえずご紹介まで。 (原田義昭) |
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「ワインのメッカ、ボルドー大学に学んで」
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はじめまして、小生は原田先生と高校時代(都立小山台高校)の同窓で金子と申します。 さて、小生は少々早目にネクタイをはずし35年にわたった電機メーカでの会社生活にピリオドを打ち、ここ数年自分なりに抱き続けてきたささやかなる夢−フランスへの留学―を果すべく、昨年一月にフランス・ボルドーの地へ旅立ちました。フランスの大学では語学を学びつつ、最終目標としてはワインの殿堂、ボルドー第二大学醸造学部でワイン学を学ぶことにありました。 小生の目標としていたボルドー第二大学醸造学部のコース(通称DUAD)は、学校を卒業してワイン・醸造関係に従事しているフランスの社会人に対して大学が再び門戸を開き、ワインについての深い知識と利き酒能力の訓練の場を提供しているもので55年の長い歴史を有しております。このコースは、フランスでも人気のコースで競争率も高く、入学するには論文の審査に通らねばなりません。留学生にとっては大変狭き門であるとのフランスの友人の話でした。ボルドーの地で先ずは論文の作成に取り掛かり、推敲を重ねました。実は渡仏前にフランスの友人が、有力者の推薦状があると有利かも知れないとの情報を提供してくれました。そこでボルドー市が福岡市と姉妹都市の提携をしていることを知り、同窓の誼で福岡5区選出の衆議院議員、原田義昭先生に推薦状を思い切ってお願いしたわけであります。先生は気持ちよく引き受けて下さいました。自ら筆を執って推薦状を書いて頂き大変感激しました。この有力な推薦状を付して必要書類と共に論文を四月に大学側に提出しました。しかし待てど暮らせど大学からは何の返事もなく、半ば諦め掛けておりましたところ七月に入って漸く合格通知が届きました。あの時の感激は未だに忘れられません。恐らく審査員の教授の中に奇特な方がおられ、遥々東洋の地からフランス文化の象徴たるワインを学びに来た一老学徒に興味を持たれたのかも知れません。ただ、大学の本コースの責任者から届いた手紙の最後には、フランス語が堪能であることは言うまでもないとの一文が付されておりました。いざとなると情けないもので一瞬不安が過ぎり、暫し考え込んでしまいました。まあ秋の開講までには間があるし、その間にボルドー第三大学付属フランス語学校でフランス語を一生懸命勉強しようと決心した次第です。考えてみればフランス人を対象にしたワイン学の講義ゆえフランス語が堪能であることは自明の理であったわけです。 ボルドー大学は6万人の学生を擁し、第一大学から第四大学まであります。小生の通ったボルドー第二大学醸造学部は医学部、薬学部と併設されており、緑多き広大なキャンパスの中にあります。大学の側には、有名なシャトー・オ・ブリオンとシャトー・ラ・ミッション・オ・ブリオンの葡萄畑が広がり、小生にとっては堪えられない環境下にありました。 本コースは42名のクラスメートから成り、日本人、スウェーデン人、スペイン人の他は全てフランス人です。半数近くが女性であったことにも驚きました。フランスではこのようなワイン・醸造の分野にも女性の進出が目覚しいことが良く分ります。クラスメートには世界的に有名な名門シャトー・ペトリュースの三代目をはじめシャトー(葡萄園)関係の子弟達が多く、中にはパリとツールズから来たワイン専門誌のジャーナリストも居たり、ワイン樽の会社社長もおったりでバラエティーに富んでおりました。年齢も様々でしたが、小生が断トツの老学徒であったことは言うまでもありません(全課程が終了する頃には小生は目出度く還暦を迎えておりました)。皆さんワイン・醸造に関するプロであり、全くのアマチュアは小生だけのようです。講義の内容は予想以上に高度且つ専門的で、プロとアマの違いをイヤと言うほど知らされました。醸造学の専門用語は悲しいかな普通の仏和辞典には載っていません。そこで小生は、持参した「ワイン六カ国語辞典」とボルドーで購入した8センチもある分厚い「Dictionnaire du Vin(ワイン辞典)」と首っ引きで予習・復習に取り組み講義に臨みました。有名教授によるワイン学の講義は難しいながらも小生にとっては夢のような一時でもありました。フランス人は講義が始まると一斉に教授の話すことを一字一句熱心に筆記し始めるのには吃驚しました。この筆記した講義内容を後で自分なりにまとめて勉強するそうで、小さい頃から習慣づけられているようです。教室内の私語は厳禁であり、勿論禁煙です。クラスメートの中で殆ど欠席する人はおりません。8日休むと最終試験も受けることが出来なくなります。ここでの講義を通して、ワインとは自然の醸し出す「ロマン」と学問としての「科学」が結びついて造り上げられたものであることが良く理解できました。たかがワイン、されどワインです。 講義の後は立派な設備の整った利き酒室でワインのデギュスタシオン(テースティング、利き酒)が行われます。利き酒の小試験が頻繁に行われます。老教授は小生の顔を見て、「ムッシュー、このワインの香りは如何感じますかな」と質問されます。小生は香りの形容詞(ワインの香りを表現する形容詞は600語位あります)を言うのが精一杯ですが、フランス人は滔々と香りの表現を一連の文にして述べます。1年間でボルドーワインを中心に何百種類のワインを利き酒したことでしょう。有名シャトーのワインもあり、幸せな一時でもありました。ただ、利き酒をする時はワインを吐き出さなければなりません(一日に10種類もの利き酒をするわけですから、全て飲んでいたら酔っ払ってしまいます)。各人の机には自動的に洗浄する立派な吐き器が備わっております。でも最後に上等のワインを利き酒する時は思わず勿体無くてゴクリと飲んでしまう時もありました。 ところで小生とワインの出会いは30数年前に飲んだ1本のフランス・ボルドーワインに遡ります。果たして当時どれだけ美味しく感じたのかは今となっては定かではありませんが、恐らく香りや味以上にフランスという異国の文化の象徴であるワインそのものに興味を惹かれたものと思います。そしてそのワインが一体どんな所で生まれたのかを知りたくてワイン書を紐解き、しばし想像の小旅行に出掛けたことからワインの興味は始まったと思います。それから30有余年を経た後、1本のワインの出会いが縁で、そのワインの生まれ故郷であるボルドーの地でワイン学を学んできたとは、何とも不思議な気が致します。 学業の合間には、フランス各地の葡萄畑を訪ね回り、改めてフランス・ワインの奥深さも知ることが出来ました。昨秋はスイス、パリそして地元の大学生に交じって炎天下でヴァンダンジュ(葡萄収穫作業)も経験できました。小生にとってはきつい労働ではありましたが、皆で歌を歌いながらの作業は楽しくもあり貴重な体験でした。ここでも小生は断トツの老学徒であり、このシャトーで収穫作業をした今までの最高年齢者であるとマダムから言われました。 フランス人をはじめ色々の良き友とも巡り会うことができました。ボルドーでの滞在は今までの何十年分もの経験を一挙にしてしまった感があります。これも原田先生をはじめ皆様のご支援、ご協力があってはじめて実現したものであり、心から感謝致しております。 こうして小生のささやかなる夢−フランスへの留学−は叶いました。夢とは抱き続けていればいつかは必ず実現することをこの歳にしてはじめて知りました。サミュエル・ウルマンの詩がふっと頭を過ぎります。「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、災ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。歳を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いが来る。(後略)」と。いつまでも小児の如く求めて止まぬ探究心、人生の歓喜と興味をこれからも抱き続けていきたいと願っております。小生の拙文をここまで辛抱強くお読み頂きありがとう存じました。 皆様方の中から一人でもワインに興味を持って頂けましたら望外の幸せです。 |
金子三郎 |