本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

ドン・キホーテと寅さん(1)

『男はつらいよ』

 さて、美術展の話で大きく横道に逸れてしまいましたが、『ドン・キホーテ』の物語を終えるにあたり、どうしても「ドン・キホーテと寅さん」について語ってみたい気になりました。 今までドン・キホーテの話をしてきて、皆様も映画『男はつらいよ』(山田洋次監督、渥美清主演)の主人公、あのフーテンの寅さんこと、車寅次郎(くるま・とらじろう)とどこか似ているようには思いませんでしたか。二人は描かれた時代は変わろうとも、今日もなお愛され続けている作品であることに変わりはありません。
 『ドン・キホーテ』を普遍的なものとして見るならば、作者セルバンテスは、この作品を通して当時のスペイン社会に一種の批判やパロディを投げかけたのだろうと思います。われらが寅さんも全編に亘って現代社会のパロディそのものです。そもそも喜劇には、大真面目に行われた深刻な事柄をわざと軽率に真似してみせて笑わせるという性格があります。これが正にパロディですが、これには他人が深刻そうにやっていることを茶化して無意味のものにしてしまうという悪意的なものと、本来は素敵なことなのですが私みたいな者にはどうも上手く真似られませんとお道化てみせて、真似た対象への賛美をするものと二通りがあります。寅さんもドン・キホーテも、その後者に当たると思います。『ドン・キホーテ』には、その中にエレガントさとノーブルさという匂いが常に本の中を貫いているように感じます。そして、『男はつらいよ』の映画でも寅さんは単に話が面白いというだけでなくて、なんか独特の匂いと雰囲気がずーと漂っている、温泉のように噴き出しているところに面白みがあるように思えてしまうのです。
 ここでは、ドン・キホーテと寅さんこと車寅次郎の人となりを比較することにより、二人が共有する特徴と魅力について考えていきたいと思います。一言で言ってしまえば、二人は古くて新しい人間といえるのではないでしょうか。
 『ドン・キホーテ』は、ご存知の通り「それほど昔のことではない、その名は思い出せないが、ラ・マンチャ地方のある村に、 槍掛けに槍をかけ、古びた盾を飾り、やせ馬と足の速い猟犬をそろえた型どおりの郷士が住んでいた」という書き出しではじまります。この一人の下級貴族は、この冒頭の一文によって生まれたのではなく、既に50歳にならんとしています。その上、ドン・キホーテの両親や生地の名も明かされていません。登場人物は4人、つまり主人公の遍歴の騎士ドン・キホーテと従士サンチョ・パンサ、想い姫ドゥルシネーア、そしてドン・キホーテの愛馬のロシナンテが中心的役割を果たしていくわけです。更に言えば、こうしたずっこけた騎士ドン・キホーテの言動の中に、永遠の正義や個人を超越した理想に対する信仰といった、私たちが心に憧れとして秘めているものを物語の中で次々と具現化していくことになるのです。ドン・キホーテは正気と狂気が交錯する、そしてその狂人のふりをする騎士であり、更に幼児の純真さと若者の行動力と老人の思慮分別を兼ね備えた人物といえましょう。今から400年以上も前の物語ですが、時間の枠を超えた普遍的な小説といわれてきました。そして、400年以上の長きに亘ってその効果や影響があり続けたし、今日もなお影響をもち、愛され続けている作品なのであります。
 一方、『男はつらいよ』は現代版『ドン・キホーテ』の如く、1969年の第一作から凡そ四半世紀に亘って第四十八作まで続いた、ギネスブックにも載った大長編シリーズです。第一作は、20年間行方をくらましていた主人公の車寅次郎が故郷の柴又に帰ってくるシーンから始まります。この寅次郎は、彼自身も語っているように、やくざな人間であり、正業(なりわい)は香具師(やし、テキヤ)で、旅から旅への渡世人であります。いわば社会からのあぶれ者です。この人物を中心にして、物語は展開していくわけであります。つまり、『男はつらいよ』は人情喜劇です。登場人物といえば、車寅次郎そして寅次郎の妹のさくらとその夫の博と息子の満男をはじめとして、おいちゃんやおばちゃん、またとらやの裏にある中小企業の印刷会社を経営しているタコ社長、帝釈天の御前様と源公、それに旅先で出会い、寅さんが惚れる様々な美女たちです。寅さんのいう堅気の人間が常にいて、そうした人たちと関わりながら生きているわけで、言うなれば『男はつらいよ』は、社会から逸脱し、また本人もそのように振舞っている一人の男を中心にし、その男、車寅次郎が引き金になって引き起こし、堅気の人々を巻き込む騒動を描いている喜劇なのです。そこには、寅さんが昔の社会にあった人間と人間との繋がりを取り戻そうと努力しているようにもみえます。いわば、ゲマインシャフト(Gemeinschaft共同体―地縁、血縁などにより自然発生した社会集団)的な関係を復活させるように努力します。だが、寅さんはそうした現代社会の中枢にいないで、常にその周辺部分で生きているのですが、社会の中枢にいる人間たちと何らかの関わりをもつことによって、彼らが失った“楽園”を取り戻してやるのであります。そして寅さんが、風の吹くまま気の向くままに出掛ける旅先で眺める風景もまた昔ながらの田舎であり、それは、日本人にとって、永遠の「心のふるさと」なのでした。

 「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」という名乗りの口上と共に颯爽と登場します。葛飾・柴又・帝釈天と、韻を順次ふんだ地名が心地良く響きます。ドン・キホーテと違い、寅さんは車平造と芸者、菊との間に妾腹の子として生まれ、16歳頃に家出して、20年ぶりに葛飾柴又に戻ってきたという、一応、両親、生地は明らかになっています。『男はつらいよ』は、第四十八作まで続いた現代日本の数少ない神話のひとつになっていますが、寅さんと世界文学の神話たるドン・キホーテと較べてまず思い当たるのは、二人とも滑稽な人間であって笑いの対象とはなるものの、決して軽蔑の対象にはなっていないことです。二人の突飛な言動は私たちを呆れさせ、はらはらもさせますが、そこには「粗にして野だが卑ではない」のです。それは二人が潔癖にして情感豊かな人間で、エレガントさ(寅さんにはちょっと不似合いな言葉かもしれませんが)をも内に秘めているからなのでありましょうか。
 次に、二人には言語運用の達人であるという共通点があります。ドン・キホーテは、諺を多用していると述べました(vol.129)。その諺によって人生をいろいろな形で教えてくれます。それがドン・キホーテなのであります。先にセルバンテスはこの作品を通して、この時代のスペイン社会に一種の批判やパロディを投げかけたと述べました。では、これをどのような手法で描いたのかといいますと、いわば理想主義的なドン・キホーテと実用主義的な従者サンチョ・パンサという二人の言葉の掛け合いの面白さで表現しております。その中でこの二人は、ほのぼのとした友情を培っていくのです。人間というものは立場を越えて共生すべきであり、人間的な対話を交わすべきだとのメッセージが伝わってくるように思います。それは礼儀正しい対話、品位ある対話です。
 兎に角、ドン・キホーテは言葉との関わりにおいて突出した人物です。ドン・キホーテには、昼夜を徹して読み耽った騎士道物語の言葉が沸々として湧き上ってくるのです。時として擬古的な文体によって彩られます。「あかねさす太陽神(アポロ)が茫漠たる大地の表に黄金の糸をなすその美しき髪を広げたまうやいなや云々・・・」―これは第1回目の旅に出掛けた時のドン・キホーテの独り言です。でも、これに類した言葉が他者に向けられると、彼我の間に大きな違和感や意思疎通における落差が生じてしまいます。典型的なのは、無知な山羊飼いたちを前にぶつ演説です。山羊飼いの客となって、炙り肉、チーズ、どんぐりなどのご馳走に嬉しくなって、ドン・キホーテはどんぐりを掴みながら、人々がみな平等に、そして自然との共存において幸せに暮らしていた古(いにしえ)の黄金時代について長々と話しはじめます。これを聞いていた山羊飼いたちはドン・キホーテの言葉が理解できず、ただもう呆気にとられ、ぽかんとして聞いていたのです。だが、この場面は極端な例であり、概してラ・マンチャの騎士の博識と見事な弁舌は聞く相手に何らかの驚異をかきたてるだけでなく、その言葉の非日常性に驚嘆してしまうのです。姪のアントニアはこう言っています。「叔父様は何て物知りなのでしょう。それこそ、もし必要なら教会の説教壇にあがることもできますわ」、「叔父様ときたら詩人でもあるんだわ。全く何でも知っていて、何でもできるでしょうし、そこいらの辻でお説教することだってできますわ」と。
 片や、寅さんの言動が示す、率直さ、人情味、お人好し、不作法、のめり込み、甘ったれ、風来坊、はにかみ、しかしまた強い向上心がそこにはあります。寅さんの最たる特徴、あるいは魅力はドン・キホーテと同様に、その爽やかな弁舌にあります。寅さんの言葉にちょっと耳を傾けてみましょう。「・・・七つ長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で竹の柱に萱の屋根、手鍋提げてもわしゃいとやせぬ、信州信濃の新そばよりもあたしゃあなたのそばがよい」、「天に軌道があるごとく、人それぞれの運命をもって生まれあわせております。とかく子(ね)の干支の方は、終わり晩年が色情的関係においてよくない。丙午(ひのえうま)の女は家に不幸をもたらす。羊の女は角にも立たすなというが―当たるも八卦、当たらぬも八卦、人の運命などというものは誰にも分らない、そこに人生の悩みがあります」等々。こういった寅さん節が事あるごとに口をついて出てきます。勿論、芝居がかったセリフですから、日常生活の中ではちょっと滑稽に聞こえますが、その名調子が映画の楽しみの大きな部分を形成しているのは間違いないでしょう。寅さんは多分、その芝居がかった調子でセリフを言っている時に生甲斐を感じる江戸の庶民文化の継承者かもしれません。いい気持で人情味たっぷりの言葉を使い、実生活ではその辻褄を合わせるために苦労している風情さえもあります。しかし、本来そういう芝居がかった口上の成立こそが文化なのではないでしょうか。歌舞伎には絢爛豪華な悪たれ言葉がふんだんにあるように。テキヤの口上とはいえ、そこには伝統文化に最新の庶民文化が色鮮やかに交じり合うものを感じてしまいます。
 寅さんととらやの人たちの関わりは、特に主人で叔父でもあるおいちゃんとのやり取りで多く見られる、「それを言っちゃ、おしまいよ」は代表的なセリフでしょう。たいていおいちゃんが寅さんの言動に腹を立て、勘当するかのように、家から出て行け、もう戻るなと宣告します。これに対して、寅さんが強い口調でそう叫ぶのです。そのことについて山田洋次監督(因みに、監督は原田先生と私の都立小山台高校の大先輩です)は、次のように解説しています。「寅は基本的に旅暮らしです。いろいろ気兼ねしながら、そっと肉親の住む家に帰ってくるわけですよね。つまり寅も家族の一員だというのが大前提なのに「出て行け」というのは、その前提を否定することになる。つまり、われわれ家族が一緒の生活をしていて、大ゲンカするときだって時にはあるが、その中でも約束事があるんだ、それをお前の今の言い方は、その約束事から逸脱しているじゃないか。それがつまり寅の「それを言っちゃ、おしまいよ」というセリフなんですね」と。「それを言っちゃ、おしまいよ」という悲痛な叫びが、親しい間柄からの締め出しに関わっているとすれば、それが寅さんの人生でどれだけ重い意義をもっているか、よく分かるような気がいたします。
 ♪ どうせおいらはやくざな兄貴 わかっちゃいるんだ妹よ いつかお前の喜ぶような 偉い兄貴になりたくて 奮闘努力の甲斐もなく 今日も涙の 今日も涙の 陽が落ちる 陽が落ちる ♪(https://www.youtube.com/watch?v=rs-09-1682c
 この歌を聞くと、寅さんが人間的な成長、人格的な成熟を願いながら、それが必ずしも上手くいかないのを嘆いているかのように聞こえます。表面上は面白おかしく行動する寅さんなのですが、内面的には意外にも真面目な一面を持っていることを示唆しているように思えてきます。
 『男はつらいよ』の映画は、日本人の心情と日本独自の人間関係をありのままに映し出していると言っていいでしょう。一年の殆どを旅の空で暮らし、自分が支え、守らなければならない生活の基盤をもたない、そうした世間の型にはまらないボヘミアン的な寅さんの生活に、私たちは一度は憧れるのではないでしょうか。
 次回は、ドン・キホーテと寅さんの美しい女性に対する憧憬と崇拝について語ってみたいと思います。

追而 「ボルドー便り」のボルドー・スペインの旅で何度も登場しましたスペインの若き友キロス・イグナシオさん(現在、静岡県立大学及び横浜市立大学講師)は、在籍するパリ高等研究院(École Pratique des Hautes Études de Paris、1868年に創立された世界有数の高等教育・研究機関で、所謂フランスの特別高等教育機関(Grands Établissements)のひとつ)の論文審査を経て口頭試験に合格し、この程、日本古来の「言霊(ことだま)研究」(正式論文名:上代日本における「コト」概念の意味と機能―言語行為と行為の言語―Sens et fonctions de la notion de《koto》dans le Japon archaïque-Actes de parole,parole des actes)で、栄えある博士号(Études de l’Extrême-orient)を授与されました。スペイン・マドリード大学から東京大学(化学専攻)に留学した時に日本の古典に魅せられ、爾来ボルドー第3大学大学院、パリ高等研究院等で研究を続けて苦節7年、キロスさんの努力が大きく実を結びました。私ども夫婦は日本の父母として海外の息子キロスさんの活躍を大いに喜んでおります。
 前回(vol.136)に続き、ボルドー大学で同時期に学んだ若き友の活躍を誇りに思います。キロスさんの今後益々の活躍を願っております。この場をお借りして読者の皆様へ喜びをお伝えいたします。