本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

懐かしい神戸の街(2)

神戸(成田一徹画)

 福岡県朝倉市、東峰村、添田町そして大分県日田市を中心に発生した九州北部の豪雨災害で犠牲になられた方々に改めまして鎮魂の祈りを捧げます。また各地で甚大な被害を受けられた地域の皆様、関係の皆様には心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い復旧・復興をお祈り申し上げます。

 さて、私が今になって何故神戸に懐かしさを覚えるのか、そのひとつには高校2年生になってそろそろ大学の進路を決めようと考えている時に、ふっと思い浮かんだのが神戸商船大学だったからかもしれません。神戸にはそれまで行ったこともないのに、何故か“神戸”という言葉に惹かれてしまい、東京に居ながら東京商船大学ではなく、敢えて神戸商船大学へ行きたいと思ったのです。神戸の港から航海練習船に乗って見知らぬ世界の国々へ船出することは、私に壮大な希望やロマンを抱かせたのでありましょう。こういう気持ちは青年時代に誰でも一度は想うことではないでしょうか。でも、3年生になった時に文科系の道を選び、神戸商船大学への進学は諦めてしまいました。もし、神戸商船大学航海科へ入学していたら、私のその後の人生は大きく変わっていたことでしょう。人生の時々の選択とは不思議なものです。定年前に会社を辞し、ボルドー第2大学醸造学部へ留学したのも、ひょっとしたら昔の儚い夢を少しでも果たしたかったのかもしれません。青年時代の憧れは漠然とでも想いつづけていれば、いつか何処かで叶えられるものなのであります。その憧れの神戸商船大学の名は、2003年に神戸大学海事科学部になって消え去ってしまったのは残念なことです。
 東京・本社から関西へ出張の時、宿は大阪でなく神戸の「ポートピアホテル」を常宿にして高層階の部屋を予約し、窓外に広がる神戸の港と六甲の山並みの美しさを缶ビールを飲みながら飽かず眺めていたものです。そして、当時このホテルには、フランスの有名な三ツ星料理人アラン・シャペル(ポール・ボキューズやピエール・トロワグロそしてジョエル・ロブション等に多大な影響を与え、料理界の神様と崇められてきたフェルナン・ポワンのヴィエンヌにある<ラ・ピラミッド>(vol.6465)で修業を積んだあと、リヨン郊外のミヨネーで<アラン・シャペル>を開く)の経営するフランス国外唯一の店、レストラン<アラン・シャペル>が31階にあって、偶に贅沢をして料理とワインを楽しんだこともありました。しかし、今や伝説の料理人とも謳われるアラン・シャペルは52歳の若さで急逝し、このホテルの店も残念ながら2012年に閉店してしまいました。

 このように神戸の街から、懐かしくも好ましい“神戸”が消えていき、私のなかで“神戸”のイメージが段々と遠のいていく気がして寂しさが募ります。先にお話ししましたように、既にバー<アカデミー>やレストラン<ハイウエイ>といった名店は消えてしまいました。確かにあの大震災が神戸にもたらした影響はものすごく大きかったと思います。
 そこで、今はなき神戸の名店をもう少し紹介しながら、皆様とご一緒に良き時代の“神戸”に思いを馳せてみたいと思います。幸い、50年ほど前に当時の店の様子をこまめに綴った、私の『食べ歩き帖』を書架の片隅で見つけました。このページを開くと、その時、何処にいて、誰と、何を食べ、何を飲んでいたのか、過去がたちまち蘇ってきます。暫しお付き合いください。
 如何にも神戸らしい店といえば、真っ先にあげるのは<キングス・アームス(King’s Arms Tavern & Steak House)>でしょう。神戸市庁舎の筋向こうのフラワーロードにありました。当時、神戸でローストビーフといえば、<キングス・アームス>が有名でした。 昭和28年(1953年)に開業したこの店の三角屋根は、見るからにエキゾチックな構えをしておりました。それもその筈、神戸在住の英国人が設計し建てたもので、80坪ほどの二階建て(一階はパブ、二階はレストラン)の建物でした。店内は重厚な民芸調で、冬の雰囲気は殊の外好きでした。暖炉で薪がパチパチと燃えているその傍らで、ワインやカクテルそしてビールを飲むのは最高でした。
 私の『食べ歩き帖』には、「東京から訪ねてきた親友T君にわがフィアンセを紹介。三人で夕暮れ時のフラワーロードを散策した後で立ち寄った店。神戸ステーキをご馳走しようと張り切ったが、大型クルーズ客船が神戸港に到着したのか生憎品切れで、代わりに当店自慢のローストビーフとフランクフルト・ソーセージを注文。両方とも美味なり。赤ワインとの相性はぴったりだ。又ここのローストビーフ・サンドイッチもなかなか乙な味で、パンの上に熱いローストビーフをのせてグレービーソースをかけ、薬味はホースラディシュ、ビールとよく合う。英国風パブらしくパイント・グラスに注がれたビールとフィッシュ&チップスが定番。ここには珍しい水冷式の樽があり、いつでも冷えた生ビールが飲めた。ローズウッドの壁や天井の至る所に各国からの客の名刺が貼ってある。そして、矢投げ遊びのゲーム盤(ダーツ・ボード)が壁にしつらえてあり、開業当初から外国人の船乗りを中心にダーツ大会が催されていたという。わが国で初めてダーツのゲームが行われたのも、ここ<キングス・アームス>のようだ。異国情緒たっぷりの店である。その時の客も殆どが外国人であった。いつも心地よいビートルズの曲が流れていた。帰りぎわに、T君はわがフィアンセに「外は寒いでしょうから、僕のコートをどうぞ」と言いながらスマートに肩に掛けてやっている。少々気障ながら堂に入った仕草に感心した。フィアンセはすっかり感激し、それ以来このことは語り草になっている」と記してある。若い頃の懐かしくも楽しい思い出だ。

 この店は谷崎潤一郎原作の映画「細雪」(1959年、島耕二監督)で、藤岡家の四女妙子(叶順子)の人形作品展の会場として登場しました。因みに、轟夕起子(長女鶴子)、京マチ子(次女幸子)、山本富士子(三女雪子)といった大女優が演じておりました。また村上春樹原作の『風の歌を聴け』の映画化版(1981年、大森一樹監督)でも一シーンに出てきます。そして、石原裕次郎と浅丘ルリ子共演の映画「夜霧よ今夜も有難う」(1967年、江崎実生監督)では、重要な舞台としてロケ地にもなりました。この店は大震災でダメージを受けたものの、それでも壊滅状態のフラワーロードの建物の中で健気に建っていましたが、震災後3年経った1998年に残念ながら閉店してしまいました。
 次にご紹介しますのは<テキサス・タバーン>です。私の『食べ歩き帖』には、「この店もフラワーロードに面した市庁舎の真ん前にある。店内は黒い色調の落ち着いた雰囲気。外国雑誌を読む夫人の前で、食後のコニャックを楽しみながら葉巻を美味そうにくゆらす主人といった、外国の夫婦連れが目に付く。向こうのカウンターではタバコを咥えながらスロットマシンに興じている船員等々、客の殆どが外国人だから気分は開放的である。ここは店名の通りアメリカ料理店だ。メニューの品数はふんだんで賑やかである。食いしん坊の私にはこたえられない。この店で面白いのは肉の皿を注文すると、付け合わせの野菜を二種類選んで客から指定できることだ。アメリカ料理では味の点で・・・とためらう向きはシェフ中村さんの腕を信頼すべき。<ハイウエイ>のシェフと同様に、戦前日本郵船の客船の厨房で鍛えあげた実力は、味にうるさい人たちの舌をうならせる。客船とは、日本の西洋料理文化に想像以上の大きな架け橋となったのだと思う。わざとベーコンを抜いたクラム・チャウダーひとつにしても、日本の味覚を知り抜いた洋食の、きめ細かさが食欲をそそる。アメリカ料理ならば、この店得意のTボーン・ステーキかポークチョップ。でも今晩は重量級を避け、この店の看板料理であるフロッグ・レッグを試してみる。輸出向けに四国で養殖された食用蛙を塩と黒胡椒で味を付け、フライにしたシンプルなもの。当時、関西ではここ一軒という珍しいものだ。それをレモンと塩をふりかけ、つまんで食べる。若鶏の股肉に似て、軽やかの一言に尽きる淡彩な品格ある味である。決して野卑な味じゃない。中国料理なら田鶏、フランス料理ならグルヌイユ・・・。この両生類が、実に美味なる後肢をもっていることを実感でき、白ワインとのマリアージュも楽しめた。この料理を食べてみて、アメリカ料理だって細やかな神経はあることがよく分った。ここのコーヒーも絶品だ」と少々興奮気味に綴ってあった。この辺りは遠目に見るとヨーロッパ風の景観を感じるところでありましたが、この名店も既になくなっています。
 ところで、今回もなくなってしまった神戸の懐かしい名店の話ばかりに終始してしまいましたが、何故、銀座のバー<ボルドー>や神戸のバー<アカデミー>をはじめ<ハイウエイ>、<キングス・アームス>そして<テキサス・タバーン>などの親しみがあって味のある古い木造建築が次々に取り壊されていくのでしょうか。後継者や維持の問題、そして土地の再開発や大震災等のいろいろな事情があったにせよ不思議でなりませんでした。ある意味では市井の人たちがつくり上げた、その当時を思い出させる貴重な文化遺産のひとつだと思うのですが・・・、少し感傷的になり過ぎでしょうか。
 西洋は石や煉瓦の建築が多いから古いものが残っているが、日本のは木造だから長続きせずにいとも簡単に取り壊されてしまうのだろうと常々思っておりました。ところが、英文学者の吉田健一(1912-1977)は、それは尤もらしい嘘であると、 次のように喝破しており胸のすく思いがいたしました。「英国などは15世紀、16世紀にできた木造の家が残っているのが珍しくなくて、そういうのが並んでいる町は落ち着きがあっていいものだし、それよりも、長続きしない筈の日本で、法隆寺や唐招提寺などの寺や、大阪、京都などの古い民家がそのままの姿で現存しているのを見れば明白だ。石や煉瓦ならば残るというのも当てにならないのは、ローマのことを考えただけでも明らかなわけである。中世期のパリにも石造建築は多かったので、その中で現に残っているのは、ノートル・ダム寺院の他に数えるほど位しかない。木ならば焼けるという考えがあるのだろうが、石の建築も焼けるばかりでなくて(ローマは何度焼けたことか)、人間の手で簡単に壊される。火よりも、この方が怖いのであって、建物が人間にとって不必要になれば忽ちに壊され、別なのがそこに建てられる。問題は、この建物を残しておこうとする人々の気持である。あとは、人間の生涯と同様に運だということになる。そして、その中で残ったものは、長い生涯のうちに自信と諦めが生じた人間のように美しい」と。特に、“この建物を残しておこうとする人々の気持である”との文章が心に響きました。誠に溜飲が下がる思いで、ご高説に納得がいきました。皆様は如何お感じになられましたでしょうか。

 次回も懐かしい神戸についてもう少し語っていきたいと思います。
 
付記 前回ご紹介しました若き哲学者の國分功一郎氏が、6年前に執筆された『暇と退屈の倫理学』(2011年、朝日出版社刊)も知的好奇心の膨らむなかなか面白い一冊です ― 何をしてもいいのに、何もすることがない。だから没頭したい、打ち込みたい・・・。でも、ほんとうに大切なのは、自分らしく、自分だけの生き方のルールを見つけること ― 私たちリタイア組にも現役そして学生の皆様にも、一様に考えさせられる問題を扱った優れた論稿だと思います。
 「だからもろもろの物を利用してそれをできるかぎり楽しむことは賢者にふさわしい。たしかに、味のよい食物および飲料をほどよくとることによって、さらにまた、芳香、緑なす植物の快い美、装飾、音楽、運動競技、演劇、そのほか他人を害することなしに各人の利用しうるこの種の事柄によって、自らを爽快にし元気づけることは賢者にふさわしいのである」(スピノザ『エチカ』より)。