ボルドー便り vol.15

本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - ヴァンダンジュ(Vendange,ぶどうの収穫)その1 -


 秋が近づくにつれ、ボルドーに来たからにはヴァンダンジュ(ぶどうの収穫)を体験したいとの思いが募ります。ヴァンダンジュはとてもきつい仕事なのでやめた方がいいと言う友人が大半でした。でも折角のチャンスなのでどうしてもやりたい。丁度その時、友人のIさんからヴァンダンジュにご一緒しませんかと誘われ、渡りに舟とばかりにその計画に乗りました。S嬢も誘って三人でヴァンダンジュをすることにしました。場所はIさんが昨年も行ったというプルミエール・コート・ド・ボルドーにある小さなシャトーです(実は大学近くの有名なシャトー・オー・ブリオンのヴァンダンジュの登録を済ませていたのですが、時期が重なってしまいIさんが馴染みのシャトーの方へ行くことにしました。 残念ながらオー・ブリオンはキャンセルしてしまいました。後日、ボルドーの友から、あの時ヴァンダンジュに参加していれば日本人で初のシャトー・オー・ブリオンのヴァンダンジェール(ぶどう収穫作業者)になっていたのにと言われました。残念!)。
 まずはパスポートを持って労働局に行き書類に必要事項を記入して、ヴァンダンジュの労働許可証を取らなければなりません。通常、フランスの役所では手続きの許可がすんなりおりるのは稀ですが、さすがワインの都ボルドーです。ヴァンダンジュというと翌日許可がおりてびっくりしました。労働許可証の職種欄には「ヴァンダンジェール(ぶどう収穫作業者)」とちゃんと書いてありました。
 毎朝7時半にIさんが車で迎えに来てくれてS嬢と三人で出発です。途中、グラーブ地方のヴァンダンジュ風景を眺めながら8時半にプルミエール・コート・ド・ボルドー(Premières Côtes de Bordeaux)の小さなシャトー、《シャトー・デュ・ブルスタレ(Château du Broustaret)》に到着します。既にヴァンダンジュの仲間は集まっております。スイス、パリ、ヴェルサイユからやって来た大学生と地元ボルドーの大学生そして近所のおばさん二人と総勢十数名の小さなチームです。ぶどう畑は8ヘクタールほどですから、この人数で十分なのでしょう。スーパーで買ってきたゴムの長靴を履いて、鋭い刃のハサミと籠をもっていざ出陣です。
 日本では、ぶどう棚というくらいですから、みなさんはてっきり頭の上から垂れ下がるぶどうの房を切るものと思われているかもしれませんが、とんでもないのです。一直線に張り渡した鉄線に蔓を絡め、刈り揃えられたぶどうの丈はせいぜい腰の上に来る程度です。棚ではなく、果てしなく何列もの緑の縞模様を描くのが、フランスのぶどう畑なのです。一列一人ずつ(長い列は二人がかりで)受け持ち、一列横隊を組んで作業を開始します。あとはぶどうの木とにらめっこをしながらひたすらたわわに実り、ずしりと手応えのある房をハサミで一つずつ丁寧に切り取っては籠に入れ、少しずつ進んでいくだけです。今日からはメルロというぶどう品種の収穫作業です。近所のおばさんの歌声に合わせてみんなで元気に歌を歌いながらの和やかな作業ですが、時間が経つにつれ疲れてくると歌声も途絶えがちになります。
 空気は澄み、朝露に光るぶどう畑は文句なしにすばらしい!しかし、ぶどうの蔓の切り口から出る樹脂やぶどうの汁で、手袋をはめていても染み込んできてすぐにベトベトになります。ぶどうの木の中途半端な高さに合わせて中腰になっての作業は、一時間もすれば腰が痛み始めます。ちょっと一息ついていると、シャトーのマダムが見回りに来て、「サブロー、プリュ・ヴィット(サブロー、もっと早く)!」、「ボン・クハージュ(さあ、元気をだして)!」と容赦ありません。最初の籠がぶどうでいっぱいになって、もう一丁と叫ぶと、何処からともなく柵超えに空籠が飛んできます。危ない、危ない。
 朝のうちは、セーターを着ていて丁度いいくらいですが、日中は炎天下の作業となり汗だくだくです。10時過ぎになるとまずはじめの休憩時間です。カフェとバウンドケーキが運ばれてきて一休み、ヤレヤレです。芝の上にゴロリと仰向けになって、澄み切った空を眺めていると少しは疲れもとれそうです。それからまた一頻り作業をすると、待ちに待ったお昼の時間となります。天気のいい日は丘の見渡せるテラスで昼食です。それぞれ持ってきた弁当(小生は毎日サンドイッチをつくって持参)を広げ、シャトーで出されるワインをみんなで飲みながらワイワイガヤガヤと賑やかに食べるのはとても楽しい一時です。ヴァンダンジュをしなければとても味わえないだろう昨日取ったばかりのぶどうの果汁も振舞ってくれます。この新鮮なぶどう果汁の自然の甘さはとてもおいしいものです。勿論自家製のワインは飲み放題ですし、ここのシャトーのワインをベースにした特製のリキュール、<マルジョリー>は実に美味でした。ただ調子に乗って飲んでいると午後からの作業が大変です。ヴェルサイユからやって来た大学生のコム君に漢字で「来夢」と書いて、キミの名前は日本語では夢がやって来るという意味だよと言うと大喜びで、書いてやった紙片を大事そうにしまっておりました。フランス語学校でもこの漢字の名前は大好評でした。
 2時間ほどみんなで楽しい時間を過すと、また午後の作業がはじまります。4時ごろにもう一度カフェの時間があり、6時半まで収穫作業を続けます。30年くらいの樹齢をもつ木には実に見事なぶどうが実っています。それをハサミで丁寧に切り落としていきますと、中には葉の陰に隠れて忘れてしまいそうな小さな房があります。「ボクも忘れないで採ってよ。折角ここまで大きな実をつけたのだから、ちゃんとワインにしてよ!」と呟かれているような気がして、慌てて切って籠に入れてあげます。ぶどうの房は満足そうです。
 なるほどヴァンダンジュは大変な作業であることがよく分りました。中腰で時には籠の上に座り込んでひたすら房を切っていくという単純作業ながら、わたしのような老体にはまことに重労働で身体にこたえます。学校でみんなから言われた意味が漸く分かってきました。
《ボルドー便り》vol.12で登場したボルドーのネゴシアン(ワイン仲買人)P氏が陣中見舞いに来てくれました。「ムッシュー、ワインができるまでには大変であることが、これでよくお分かりかな」と。十分過ぎるくらいよーく分りましたね。
 最後にぶどうで汚れた籠を明日のためにきれいに洗い落としてようやく一日の作業が終わります。シャトーのマダムに、わたしのような高齢者はヴァンダンジュに来ますかと尋ねますと、地元の人が大分前に来られたぐらいで、もちろんサブローが今までで一番年上よとニコニコ笑って答えてくれました。正直のところ初日で足腰がもうガタガタです。思えば生まれて此の方農作業は初めての経験です。
 Iさんの車に乗って、途中スーパーに立ち寄り明日の昼食の材料を買って帰りますが、さすがお互い疲れて往きのような元気さは失せ言葉も少なくなりがちです。
 ヴァンダンジュは大変だ!


 


上のをクリックすると写真がスライドします。

vol.1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
16