ボルドー便り vol.16

本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 − ヴァンダンジュ(Vendange,ぶどうの収穫)その2 −


 ヴァンダンジュの二日目は思っていたより元気に出掛けました。シャトーへ着くと女の子たちがわたしにもキスをしてくれます。左の頬、右の頬そして左の頬の順で。一日ですっかり打ち解けてお互い友だちになった証です。大分ハサミのコツも覚えてきました。丁寧にぶどうの一房一房を切り落とし、かびているものや、成長不良の実は避けて、そして葉っぱ等は籠に入れないように注意しなければいけません。房を単に切り落とすだけではなく、なかなか慎重で根気のいる仕事であることがわかってきました。採っているうちにぶどうに愛着が沸いてきます。でも悲しいかな作業が捗るのは午前中だけで、昼を食べ終わった後の炎天下の作業は若干ワインの酔いも手伝って、正直かなりしんどいです。その日は新聞社のカメラマンがやって来てニコンの大きなカメラでわれわれのヴァンダンジュをしている様子を熱心に撮っていました。わたしもちょっとインタビューを受けました。
 “日本人の高齢者ヴァンダンジェール(ぶどう収穫作業者)現る”と、どこかのフランスの地方新聞に載ったかも・・・。
 何日目か、少し余裕がでてきたのか切り取ったぶどうの房を手にして繁々と眺めていると、フッと<クラスターデザイン>という言葉を思い出しました。なるほどぶどうの房の実のように、途中からわかれながらひとつのすじで結ばれていることをクラスターデザインというのだなと。社会の人間関係もつまるところクラスターデザインなのだと、ヴァンダンジュをしながら妙に感心しつつ眺めたものです。
 1週間のヴァンダンジュはよく続いたものと我ながら感心していたところ、思わぬ風邪をひいてしまいました。好事魔多し。40度を越す夏の猛暑と今回の疲れでしょうか。やはり歳ですかね。次の週からは、愈々カベルネ・ソーヴィニョンの収穫が始まるというのに残念無念!IさんもS嬢もわたしの風邪を気遣ってどうぞ休んで下さいと言ってくれます。わたしの抜けた分は自分たちで頑張りますから、と。優しいです。幸いシャトーのムッシューもマダムも無理しないようにと親切に言って下さいます。今回で一通りヴァンダンジュの何たるかは経験することができたし、老体に鞭打って出掛けて却ってみんなに迷惑を掛けてはと思い、已む無く断念しました。あの愉快なヴァンダンジュの仲間にもう会えないと思うと寂しい限りです。
 後日、一週間分のヴァンダンジュの労賃が小切手で「シャトー・デュ・ブルスタレ」のワイン1本と共に送られてきました。無給の身としては初めて手にするフランスの小切手に感無量でした。妻がボルドーへ来た時にグラン・テアトル(大劇場)の演奏会に連れていってやろうと早速チケットを買いに走ったものです。
この小さなシャトーの周りは小高い丘がつづき、野草の花が美しく咲き乱れ、まことに長閑な田園風景です。ぶどう畑の向こうには教会の尖塔が見えます。このシャトーはプティ・ホテルとして5部屋を所有しており、雑誌にも取り上げられたことがあるようです。ムッシューはクラシック・カーのコレクターで、醸造所には1900年代初頭の見事な車が何台も所狭しと置かれていました。
 年が明けてある冬の日に友とシャトーの近くまで行ったので、寄らせて貰ってもいいですかと尋ねると気持ちよくどうぞいらっしゃいとのこと。暖炉を囲んで久方振りにムッシューとマダムとワインを飲みながらしばし語り合いました。あの炎天下でのヴァンダンジュを懐かしく思い出しつつ。
 今回のヴァンダンジュを通して感じたことは、どこの国、どの地方のワインでも真心を込めて丁寧につくられたワインは美味しいはずだということです。日本人はややもするとグラン・ヴァン(特級ワイン)しかワインではないような錯覚をし、名もない小さいワインは鼻にも掛けないような飲み方をしている一部ワイン愛好者がいるように感じますが、これは手間暇かけてつくり上げられたワインに対して失礼じゃないかと思うようになりました。心して味わうべきです。わたし自身も深く反省しているところです。
 初めてボルドーのスーパーへ行ったときに、棚の大半を占めている5〜10ユーロ(650円〜1350円)のワインのラベルが殆ど日本では見たこともないものばかりでショックを受けたものです。ボルドーには無数無銘の安くて美味しいワインがあります。日本も銘柄志向だけのワイン選びはそろそろ卒業して、リーズナブルな価格で自分の気に入ったワインを見つけて楽しまなければならないと強く思ったものです。
この年(2003年)はフランス各地では50数年ぶりに40度を超す酷暑(canicule,カニキュール)に見舞われました。ワインの出来については、世間一般では最良のミレジーム(収穫年)になると言っていましたが、ボルドーでは当初、収穫量が10数年来最も少ない年になること、糖度やアルコール度は高くなるが酸度が低いことを懸念材料とし、良い年ではあるが醸造者にとっては大変難しい年になるであろうとの新聞論評でした。ヴァンダンジュをしたシャトーのムッシューも酸が少なく、メルロの色が薄い、去年に比べて手袋に滲む色が薄いからねとちょっと心配そうでした。
 でも最終的に、ボルドーでは収穫量は大分落ちたものの、太陽の恵みをいっぱいに浴びて、理想的な状態に熟したぶどうはアルコール度も高く、色も濃い赤ワインになったシャトーが多かったようです。全般的には近年にない良い状態での収穫となり、つくりあがったワインには大いに期待がもてるとのことです。
 どうぞ2003年もののボルドー・ワインをお試しあれ!

 


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