ボルドー便り vol.8


 − フランス語学校(その2) −



フランス語学校全景

 わたしは、2003年2月にボルドーの生んだ偉人、モンテーニュの名を冠したミッシェル・ド・モンテーニュ=ボルドー第三大学付属フランス語学校(通称DEFLE)に入学しました。フランスの大学は9月末に新学期がはじまり、1年は2月を境に二つの学期に分けられるので、わたしは後期から参加したことになります。
 ここの学校にはそれこそ世界中から若者が集まってきます。ヨーロッパをはじめアフリカ、北米、中南米、中近東、アジア、オセアニアとあらゆる国からフランス語の勉強をするために集まり、この小さな学校はまるで人種の坩堝のようです。休み時間になると、それこそフランス語だけでなく、それぞれのお国の言葉が飛び交い、中央ホールはそれはそれは国際色豊かな賑やかな場と化します。わたしの周りには、イギリス、アメリカ、ヴェネズエラ、オーストリア、トルコ、ウズベキスタン、チュニジア、ケニヤ、ヴェトナム、カンボジア、タイ、中国、台湾等からやってきた学生がおります。みなさん10代、20代の若者です。中にはペルーからやって来た40代とおぼしき女性もおりますが、それでもわたしは断トツの老学徒であることは間違いないでしょう。そしてやはりフランスなのでしょうか、圧倒的に女性が多いです。
 フランス語の勉強はなかなかシンドイですが、お互い学生の話す言葉にもお国柄があらわれ楽しい授業でもありました。先生はベテランぞろいで教え方がうまいです。
 ここでクラスメートを簡単に紹介しておきましょう。わたしとはいつも隣り合わせに座っていたトルコ人のハンサムな男性は、物静かな実に温かみのある若者で、トルコから奥さんの親戚を頼ってボルドーへやって来たとのこと。学校の合間に仕事をしながら頑張っていました。ある日、彼から日本人はどの位のサラリーをもらっているのか聞かれたことがあります。説明してあげますと日本人のサラリーマンは高給取りだとびっくりしていました。彼のトルコや今の仕事のサラリーがずいぶん安い感じがしたことを覚えています。日本人はなんやかんや言いながらも恵まれているのですね。一度彼の名前を漢字で書いて、その意味を説明して渡すと妻に見せるのだと大事そうにポケットにしまっていました。彼には学校の帰りによく車で送ってもらったものです。子供が間もなく生まれると喜んでおりましたが、どうしているでしょうか。親子水入らずで元気に暮らしていることを祈るばかりです。
 アメリカのテキサスから来た若者とはジャズについてよく語り合いました。いかにもアメリカ人といった感じで明るく、勉強熱心なナイスガイでした。たまに夜更かしして二日酔いだと照れ笑いをしていました。今頃はテキサス大学に戻って経営学修士に挑戦していることでしょう。青い目をしたお人形のようなかわいいアメリカの女子大生もいました。彼女もそういえばテキサス大学でした。
 ヴェトナムから来た小柄ではにかみ屋の女子大生は、ボルドー大学の法学部の学部入学を果たすために黙々と勉強に取り組んでおり、フランス語の上達もめざましいものがありました。総じてアジア、アフリカからの発展途上国の若者は国を背負って勉強にきている気概もあってか、目の輝きが違っていました。
 カンボジアから来た陽気な若者は「ムッシュー、ムッシュー」と言っては、よくわたしの後についてきます。彼はボルドー大学で経済学を学びたいと言っておりました。彼は休み時間や帰りのバスで一緒になると日本語を教えて下さいと熱心でした。わたしの言う簡単な日本語の発音をカンボジア語で一心にノートしています。「わたしはあなたが好きです、と日本語ではなんと言うのですか、ムッシュー」と聞いてきます。おそらく彼には日本人の彼女がいたのか、それともこれからつくるつもりなのかもしれません。
 ある日彼と二人のカンボジアの友人に誘われて、彼の下宿でカンボジア料理をご馳走になりました。中華食材店で買ってきたカンボジアではよく食べるという、肉と魚の乾燥したものと野菜等とで作る香辛料のきいた料理を作ってくれました。デザートは見たことのない缶詰の果物で、甘いものでした。わたしが持参したボルドー・ワインを飲みながらワイワイ言いながら賑やかに食事をしました。「ムッシュー、おいしいですか」と尋ねてきますが、正直言ってあまりおいしいものではありませんでした。でも彼らが一生懸命作ってくれた気持ちがうれしくて「おいしいよ」と答えると、三人はとてもうれしそうな顔をしていました。今度は彼らに日本料理を作ってご馳走しよう。
 数年前に原田先生率いる「ヴェトナム・カンボジア視察団」に参加してカンボジアのすばらしい世界遺産、アンコールワットを訪ねました。あの時に、あれ程ポルポト時代に虐殺というひどい仕打ちを受けながら、この民族はなんという穏やかな微笑みをしているのだろうと不思議に思ったものでした。あれこそがまさに「クメールの微笑み」だったのでしょう。ここボルドーで出会った三人の若者も同じような微笑をいつも絶やしませんでした。アジアの友邦ともっと親密にならなければとしみじみ感じたものです。
 タイの裕福そうな若い夫婦も日本語に熱心でした。最近のわが国企業のタイをはじめ東南アジア各国への進出が著しいこともあってか日本語は皆さんに人気がありました。でもウズベキスタンの女性から「ハラキリ」、「カミカゼ」のことばが突如発せられたときはさすがに驚いてしまいました。日本から遠く離れた民族にまでこのようなことばが伝わっていたことに。
 ケニヤから来た黒人の女性は、笑顔のうつくしい、話すことばや仕草がとてもエレガントだったのが印象深く残っています。
 イギリスから来た男性は小学校の先生、ジャマイカからの移民です。彼は職業柄日本の教育に大変興味をもっていて、いろいろ質問してきます。ヴェネズエラの女性は好奇心のかたまりで、ワインについても聞いてきます。
 彼らに自国のことを尋ねると、それは嬉々として滔々と説明してくれます。
 それと中国の留学生はこの学校で年々増加の一途をたどっているようです。経済発展のめざましい国の特長というのでしょうか。ここにいる中国の女性は日を追って派手な服装になってくるのがよく分ります。しまいには「へそだしルック」と化し、おへそにはリングまでちゃんとつけています。なにしろ中国人が集まると大声でうるさいのです。これはわたしの偏見でしょうか。それに比し同じクラスの台湾の女性はおしとやかで日本人形のようなかわいい顔をしていました。彼女はよく日本人に間違われると言っていました。
 でも最後に学校を去るわたしに大きな声で「オルヴワール、サブロー(さようなら、サブロー)!」と、振り返ると、大きく手を振って別れを告げてくれたのは中国の女の子でした。何か胸にジーンとくるものがありました。
 今回は仲良しだったクラスメートの紹介についつい夢中になり長くなってしまいました。
お許しの程。
 でも、こういった彼らとの一連の付き合いは大切な民間外交のひとつだったかもしれません。