ボルドー便り vol.4


 − ボルドーの雨と傘−





ボルドー・サン・ジャン駅(外観)

  さて、ボルドーへ腰を落ち着けてみますと、予想外に雨の日が多いのにまずびっくりしました。ぶどうの生育に影響を及ぼすのではないかと心配になってきます。でも日本の雨とはちょっと違うのです。ボルドーの雨はサッと降ったかと思うと、今度は陽がカッと射してきて、またザッと降るという具合なのです。それに強い風が伴います。着いた当初はフランス人が少々の雨ではほとんど傘をさしていないことに気づきびっくりしました。なぜ傘をささないのだろうと不思議に思ったものです。わたしなりに考えてみるに、ひとつにはこのような男性的な雨の降り方のためすぐにいったん止んでしまうこと。もうひとつは風が強くて傘をさしてもすぐにおちょこになってしまうためのふたつです。確かにわたしも何度か傘が強風にあおられおちょこになり、一度は飛ばされてしまい慌てたことがあります。後日、フランス人の友に尋ねたところ、それは小さい頃から学校で傘をさすと危険だから(前が見えない?)とずーっと教えられてきたので、それが習慣となって大人になっても傘をさそうとは思わないのだと言っていました。
  わたしがここで思い出したのは、むかしは雨が降るとよく駅に父を迎えに行ったものだということでした。父の傘を持って駅で待っている光景がふと目に浮かびました。でもボルドーではそのような光景はまず見かけません。もしかしたらあれは日本独特の習慣だったのではと思ったものです。そもそもフランスでは傘というものが日本ほど重要物ではないように思えます。フランス人だからさぞかし粋な傘でもさしていると思いきや、たとえ持っていてもぱっとしない、骨が折れているようなものばかりです。これは同じヨーロッパでもイギリス紳士が天気の日でも立派な傘を携えて悠然と歩いている姿とは大違いです。フランスの男たちは雨が降ると背広やコートの襟を立てて、足早に歩いていってしまいます。その代り女性も男性も子供もフードの付いたコートをよく着ている姿を見かけます。
  所変われば品変わる、です。
  異国での生活には、このようにちょっとしたことでもさまざまな驚きや感動が、一日のうちにつぎつぎと、そしてきれぎれに何度も襲いかかり、互いに何の脈絡もありません。その土地に住む人にはきわめて日常的・常識的な事柄でも、自らの土から身も心も離し、自らの日常生活を断ち切って非日常の空間に身を置く者にとっては、そのことを知る由もありません。またそこには異国で生活する楽しさと苦しさ、それに異国で暮らす意味があるように思います。そしてはじめて日本なり自分の土地なりの特性が分ってくるような気がしてきます。