ボルドー便り vol.10


 − フランス語学校(その4) −


哲学者ミシェル・フーコー

 この学校にいる日本人の学生(やはり断然女性の方が多い)はというと、これからフランス関係の仕事(例えばワイン関係)をする上でフランス語を活かすためとか、フランス語のディプロム(資格免状)を取得するためとか、学部や大学院で勉強するためとか、はっきりとした目的をもって勉強している人たちと、片やただ漫然とフランスへ来て取り敢えず語学学校へ入り、あわよくば彼氏(彼女)でも捕まえられたらもうけものと考えている人たちと二分されているように思われます。このことはほかの先進国の人たちにもあてはまるかもしれません。
 前者は交換留学で派遣されてきている大学生や、フランスの財団から奨学金を得て派遣され、この学校で半期だけフランス語を学び、その後はそれぞれの専門の研究室で勉強する大学院生や、会社を辞めてこれからの仕事のために自己投資をしてフランス語を学んでいる人たちです。後者はあてどなくただフランス語を学びに学校へ来たり休んだり、そのうちいつの間にか学校に姿を見せなくなったりと適当な生活を送っている人たちです。
わたしはやはり、勉強をしに行くという硬派な部分をきっちり自分に課して学校に通った方がおもしろいと思います。でも、こういう若者もそれなりに考えをもってはるばるフランスの南西部にあるボルドーまで来たのでしょうから、他人がどうこう言うのはお門違いかもしれませんが・・・。
でもこの学校には、目的をちゃんともっている日本の若者が圧倒的に多かったのは誠にうれしいことでした。日本の若者の関心も多様化し、それに伴って自己と波長が合うフランスに深くかかわっていくというような、昔の人が広く浅く異文化に惹かれるのより、ずっと専門化され、かつ地に足が着いてきたように感じました。
 わたしは初めて登校した日に、交換留学できている男子学生のTさんと同じく女子大生のS嬢と学食で知り合い、二人のお陰で日本人のすばらしい若者と出会うことができたのはラッキーでした。フランス中世史の博士論文に挑戦している若者と、フランス人でも難解とされる哲学者ミシェル・フーコーについて同じく博士論文に挑戦している若者の二人です。フランスのエリートの教養というと「ラテン語、古代史、哲学」の3つがよくいわれますが、二人の若者はそれを単なる教養に甘んじることなく学問として真剣に取り組みボルドーの地で博士論文に果敢に挑戦しているのです。彼らとは昼休みに学食や学校のホールでよく語り合いました。異なった分野の話を聞かせてもらうのは刺激にもなり、とても楽しい一時でした。特に若きフーコー研究者とは、彼の父親がわたしと同じ歳のこともあってか、よく会ってはいろいろ語り合ったものです。その彼の父親が悲しいことに急逝されたと聞いたときは、とても他人事とは思えませんでした。
 このような同胞の優秀な若者たちやいろいろの国の人たちと巡り会えただけでもはるばるボルドーまでやって来た甲斐があったというものです。
 フランスの学校や旅先でたまたま出会った人たちと友だちになり、心を結び合う。そんな友情では縁が薄いのではないか、と思われるかもしれません。しかしこういう友情は、これまでのいきがかりを一切もたない関係です。仕事上の関係もないし、ましてや地位の上下関係もありません。もちろん国籍も関係ありません。だからより純粋な友情、真の心の友を育む可能性もあります。そこにはもう年齢の差なんかありませんでした。