ボルドー便り vol.12

本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 − フランス国民すべてが哲学者 −


フランスの高校生

  フランスでは6月の声を聞くと、新聞、テレビ等では連日バカロレア、通称BAC(バック)のニュースで賑わいます。バカロレア(バック)とは高校卒業資格と大学入学資格を兼ねる全国共通国家試験のことです。フランス人にとってバックとは一種のバロメータであり、受かろうが落ちようが成人するのに避けて通れない大切な関門です。そして各リセ(高校)のバック合格率が公表されます。悲喜こもごもの高校生の表情がニュースで映し出されます。古今東西いずこも同じ光景だなと思ったものです。
  フランスでは、このバックに合格してはじめて大学に入学できる資格を得るわけです。
  でもフランスをはじめ欧米では、大学に入るのは易しいが卒業するのは大変難しいのです。
  入るときの難関を突破さえすれば、大学生はいつもバカンスのようなどこかの国とは大違いです、オッと失礼!
  ただ、大学の場合と違い、エリート養成校「グランド・ゼコール」にはバックに合格するだけでは入学はできません。さらに高校に付設されている「グランド・ゼコール進学準備学級」で2年間勉強し、その上で入学試験に合格することが必要です。大学とは段違いの難しさです。フランスは日本以上に「ものすごい」学歴主義の国なのですね。
  昨年ボルドーから一時帰国していた日本の若き哲学者(前々回登場)と新宿で会って語り合いました。話のなかで特に興味を惹いたのは、バックの受験科目の多さはもとより、その中で一番難易度が高いのが必修科目の哲学であるということです。哲学は文系・理系を問わず高校の最終学年で一年間学びます。それは哲学がすべての学問の集大成で、ある程度の学問的知識がなければ学べないとされているのが、その理由だといいます。
  ひとつの問題に三時間かけ、五枚以内に論述を書かなければなりません。テーマは非常に抽象的で「法は時代と場所によって異なる。普遍的な正義=法という考え方を放棄すべきか」とか「理性は幻覚に対する保障となりえるか」とか「人は美を判断するのか、それとも感知するのか」といった具合で、例年、「自由と人権の関係」、「宗教」、「法」、「死」、「美」などにかかわる難問が多く出題されるといいます。これらのテーマをまず定義し、様々な時代の哲学者の思想を引用し、比較しきった後、最後に自分の見解を述べるという段取りです。そしてもちろんその論旨を明快に述べなければなりません。したがってフランス人にとっては哲学や論理学が非常に身近なものになっているようです。
  現在、彼は哲学者ミシェル・フーコー(1926−1984)の博士論文に挑戦しつつ、ボルドー第三大学の日本語学科で非常勤講師をしています。彼が、学生にバックの哲学のことを話題にすると一様に苦笑いをするそうです。
  彼いわく、フランス人の学生はこのように論述問題は得意だが、選択問題、たとえば五問中正しいものをひとつ選びなさいといった問題は不得意だと。それは五つの問いについて彼らはひとつひとつ自分なりに心の中で論じているうちに時間がなくなってしまうというのです。○×式もあまり得意ではないようです。これも試験にみる文化の違い、かもしれません。
  それからちょっと余談ですが、彼からの話で、フランスの大学生は前日夜更かしした場合、授業中に先生の前でこっくりこっくり居眠りするのは一番失礼に当るとして休んでしまうそうです。口実かも知れませんが・・・。
  今年4月、わが国の文部科学省は小5から中3を対象にした全国一斉の学力テストの結果、学力改善の兆しがうかがえたと公表しました。しかし喜んでばかりもいられないのは、国語で自分の考えを文章で書き表す記述式の問題がやたらに弱いということです。小さい時からフランスのように自分の考え方をしっかり述べる教育が家庭でも学校でも必要なのではないでしょうか。このことは一朝一夕ではできない大切な問題だと思います。
  フランス人は全てが哲学者と冷やかし半分によく言われますが、ある面では当たっているかもしれません。なにしろ何でも真剣に論じ合います。文学や映画や自由やプライバシー等々、ありとあらゆるテーマで議論を大まじめに繰り広げております。日曜日夜6時から一時間にわたるテレビの人気トーク番組では、ひとつのテーマでもって賛成派と反対派に分かれ、老いも若きもお互い口角泡を飛ばして延々と議論しています。そしてこれを聴きにきた観客が彼らの周りをぐるりと取り囲んでおります。おそらくこのテレビを見ている家庭でも侃々諤々議論をしているのじゃないかと思います。
  ある日、フランス人のネゴシアン(ワイン仲買人)P氏と食事をしているときの場面です。彼から突然フルシェット(フォーク)は日本語で何と言うかと質問され、日本語でも英語のフォークをそのまま使っているよと答えるも納得してくれません。丁度美味しい生カキを食べるところで、今度はお皿に載っているレモンを見て、それではレモン(仏語ではシトロン)を日本語で何と言うのかと矛先を転じてきました。シトロンも英語でいうレモン(檸檬)だよと言うと、幕府方についたフランスより、勝利した官軍についたイギリスの影響が明治になって色濃く影響しているため、英語のレモンがそのまま使われたのは納得しないでもないが、国を閉ざしていた江戸時代にはレモンを何と言っていたのか、ちゃんとした日本語があるはずじゃないかと食い下がってきます。それもこのように理詰めで攻めてきます。フランスのワイン商人が日本の歴史に造詣が深いことにもびっくりしました(彼の奥さんがボルドー大学の日本語学科に在籍していたようで、その影響もあるようです)が、何しろフランス人は斯くの如く議論好きなのです。ところで檸檬は一体いつ頃日本に渡来したのでしょうか、そしてその時それを何と呼んでいたのでしょうか。どなたか教えていただけませんか。彼への答えは未だペンディングになったままですので。
  このようにフランス人は現代生活のあらゆる側面を検証・議論するのが好きのようです。ちょっと古い話になりますが、たとえば1992年にマーストリヒト条約(1991年12月オランダのマーストリヒトで開かれたEC(ヨーロッパ共同体)首脳会議で結ばれた条約。1993年11月1日発効。ECをEU(ヨーロッパ連合)に発展させることを宣言した上で、外交・安全保障政策の共通化や共通通貨(ユーロ)の導入などが骨子となっています)をめぐる国民投票がフランスで行われたときは、条約の条文がすべての有権者に事前に配られたといいます。それだけでもすごいと思いますが、みながそれを読んで投票に臨んだというのだからもっとすごいですね。
  2005年5月29日には、今度はEU憲法の是非を問う国民投票がフランスで行われますが、左派陣営のノン(反対)が急伸し、3月の世論調査ではノン(反対)がウイ(賛成)を逆転する結果となり、その行方が注目されています。主な反対理由は「EU憲法は経済自由化を志向しすぎ」、「否決してもっとよい憲法をめざし再協議すべき」、「フランスの独自性を脅かす」等です。
  4月にシラク大統領はエリゼ宮(大統領府)からTVで生中継された青年80人との討論番組に出演し、「ヨーロッパは強固に組織化されるべきだ」と強く訴えたといいます。エリゼ宮の大広間はさながらトークショーの仮説スタジオに変身したようです。大統領と若者との間でさぞかし侃々諤々の議論が展開されたことでしょう。(拙稿が掲載される頃には国民投票の結果が判明していることと思います)。
  翻って今日のわが国を見ると、漸く憲法改正論議が活発となり衆参両院の憲法調査会が5年間にわたる議論を最終報告書としてまとめ、新たな段階に入ってきたことを強く感じます。今後は国民投票法案を契機に国民的議論が高まっていくことと思います。原田先生にはこれから政治面での推進力を大いに期待すると共に最終的に憲法制定権を持つわれわれ国民一人一人が「憲法とは国民のもの」との自覚をしっかり持って真剣に議論し、考えていかねばならないと思います。
  フランス国民6,000万人の哲学者がてぐすねをひいて議論の相手を待っています。コワイ、コワイ。でもわたしたちに何か大きな問題を突きつけられているような気がしてなりません。

 下記の画像はクリックすると拡大できます。

「ナントの勅令」で有名な
ナントの町中にあるリセ(高校)

シャンパンで有名な町、
エペルネにあるリセ(高校)


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