本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
懐かしのバー物語(4)
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今回はニューヨーク、ブライズヘッド、そしてヴェニスから飛んで、神戸の「懐かしのバー」について語ってまいります。 私は大学を卒業するまで東京でずっと過ごしてきましたが、会社に入ってからは名古屋での新入社員教育を経て、兵庫県尼崎市にある1万人近くもの従業員を擁する大きな地区の製作所に配属されました。そして学園前、甲東園、仁川に住んで、10年程関西で過ごしました。東京とは趣を異にする関西は奈良、京都、神戸にも近く、実に快適で思い出に残る地でありました。 ![]() このバーで何といっても目を惹くのは、白漆喰の壁に描かれた大きな絵(縦108センチ、横185センチ)です。今ではセピア色に変色し、時代の流れを感じさせます。 ![]() 当時、誰が言い出したことなのか定かではないらしいが、客として通っていた画家たちが、1948年頃から《アカデミー》の壁に落書きしようと思い立ち、数年掛けて夫々が痕跡を残したものというのが通説のようですが、実は、発案元は一代目店主であったらしく、戦後ばらばらになった仲間の無事を確認するため、訪れた芸術家たちが絵を残していけるようにと、店主自ら白漆喰の壁を設けたのが真相のようです。その画家たちの名前を聞いて、私は吃驚仰天してしまいました。小磯良平をはじめ、田村孝之介、小松益喜、小出卓二、津高和一、竹中郁(詩人)等々、神戸ゆかりの文化人16人の筆によるものだったからです。よくもまあ、これだけの芸術家が揃ったものだと感心してしまいました。この《アカデミー》が芸術家たちのサロン的なバーとして、戦後間もない時期に交流の場となっていたのでしょう。今では神戸の文化史を伝える貴重な遺産となっております。 1995年(平成7年)1月17日に襲った阪神・淡路大震災で、果たして《アカデミー》は、そしてあの壁画は無事だったのだろうかと随分と心配しましたが、壁画には大きな亀裂が生じたものの、 ![]() それと《アカデミー》は、文豪谷崎潤一郎、佐藤春夫をはじめ陳舜臣や司馬遼太郎たちが通ったバーとしても有名です。この《アカデミー》ついては、芥川賞や谷崎潤一郎賞をはじめ数々の受賞歴のある辻原登(1945-)が『夏の帽子』(2012年「文芸」)の中で、見事な筆致でその姿を鮮やかに浮かび上がらせていますので、少し長い引用となりますがご紹介しておきます。前文と重なるところがありますがその点はご容赦ください。 「もう16、7年前になるだろうか・・・。三宮から県道30号、通称税関通りを新神戸駅のほうへ向かって歩いて中山手通りと交差する加納町3丁目の北東角に《アカデミー》というバーがあった。住所は布引2丁目。私は、かつてそこに3,4回行ったことがある。忘れていたのだが、いまもまだやっているのだろうか。行ってみようと思い立った。(中略) ![]() 「いらっしゃい」。高くしわがれたあのマスターの声。私は会釈を返して、店内を見回す。少しも変わっていない山小屋ふうのつくり。左側の壁に、畳一枚くらいの漆喰のボードが嵌め込まれている。仄明るい白熱球のもとに、セピア色のボードから美しい少年の横顔やカトレアの花、鳥籠とその中のカナリア、切り取られた鎧窓、コウモリ傘、獅子舞の頭(かしら)、瓶首を握った手、パイプ、水パイプ、三人の子供の裸像、神戸の街並みなどの油絵が浮かび上る。それぞれの絵のわきにはサインがある。R.KOISO,K.TAMURA,S.OKA・・・。小磯良平、田村孝之介、岡鹿之助、伊藤慶之助、坂本益夫、詩人竹中郁の名前もある。戦後日本を代表する神戸画壇の雄たちが、ここで酒を飲み、画論をたたかわせ、戯れに描いた絵。 ![]() 私はマスターに促されて、右手奥のカウンターに向かう前、もう一度ボードに顔を近づけて、ある画家の名を捜す。だがみつからなかった。「だれを捜しとるんや」、「小出楢重・・・」、「小出は、はなからここにおらんよ」、「そうですか。あったように思っていたのですが」、「あんた、以前、来たことある?」、 ![]() (中略)私がすわっているカウンターの右隅に、ボブ・ディランのCDが立てかけてある。以前、このあたりに谷崎から先代のマスターに宛てた葉書きが4、5枚、無造作に置かれていたのだが・・・。小出楢重と同様、やはり私の記憶違いだろうか。たしか谷崎潤一郎の葉書がこのあたりに、とためらいがちにマスターにたずねると、窓際に立てかけられたLPレコードの並びの端を指さした。私は立ち上がって、一冊の小型のファイルブックを取り、めくった。谷崎の葉書はたしかにあった。毛筆で認(したた)められた先代のマスター宛の、いずれも東京や熱海、京都から出された礼状や時候伺いだ。「昔はもっとあったんやけどな。こないだの震災でどっかへいてしもうた」。神戸時代、谷崎はよくここに来たのだ。私が、ここで、カウンターの上に無造作に置かれていた谷崎の葉書に出会ったのはひと昔も前のこと。しかし、谷崎が通った頃の《アカデミー》は現在の布引2丁目ではなく、少し離れた上筒井通6丁目のあたりにあって、戦後ここに引越してきた」と結んでいます。 この後に小説は、《アカデミー》へ初めて連れて行ってくれた女性の追憶へと展開していきます。作者の持ち前の叙情と技巧とが絶妙のせめぎ合いをみせつつ、結末のほろ苦くも切ない味わいは、何かデジャ・ヴュにも似た想いが過(よぎ)ります。それは『夏の帽子』を読んでのお楽しみとさせていただきます。 ![]() いずれにしても、神戸の「懐かしのバー」である《アカデミー》が、銀座の老舗バーと同様に又も姿を消してしまったのは残念としかいいようがありません。これも時代(とき)の流れなのでしょうか。嗚呼! 付記 vol.152でご紹介した『主体の論理・概念の倫理―二〇世紀フランスのエピステモロジーとスピノザ主義』の共著者の一人である、ボルドー時代の若き友、坂本尚志(さかもと・たかし)京都薬科大学准教授が、今年度最初の一冊、『反「大学改革」論』(ナカニシヤ出版)という大変興味ある本を出され贈呈してくれました。彼は第十章「専門教育は汎用的でありえるか ― ジェネリック・スキルとバカロレア哲学試験」を執筆しております。 若き研究者たちが、「これから大学はどうなっていくのだろうか」の命題に対して、批判だけに終わらずに真剣且つ前向きに建設的な提案をしていることにおおいに感銘を受けました。大学はいま、その理念や存在意義そのものが根本的な問い直しを迫られている状況がよく分ります。大学関係者、現役の大学生そしてこれから大学を目指す学生はもとより、私たちにとっても大変考えさせられるテーマを扱った好著です。是非ご一読をお奨めします。 ![]() |
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