本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
東京のワイン・バーの思い出(2)
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先日の朝方、不思議な夢を見ました。大きな屋敷の一室に何人かが集い、そこに主人(フランス人?)が大事そうに一本のワインを抱えるように持って現れます。これは<シャトー・ラフィット・ロートシルト 1900年(mil neuf cent)>だよ、と。その19世紀最後の年に当たる偉大なヴィンテージの<シャトー・ラフィット・ロートシルト>を巡って皆であれこれ語り合いながら飲んでいるのです。久し振りにフランス語が聞こえてきます。屋敷の主人は私に自分は医者だと紹介します。帰りに主人が、いつ誰と一緒にこの偉大なワインを飲もうかとずっと考えて、大事に地下のカーヴ(酒蔵)に保管していたのだよと、私の肩に親しげに手を掛けながらにこやかに話しています。その穏やかで優しい顔が印象的でした。周りの建物・風景からフランスのように思えました。そして何故かその大きな屋敷が庭ごと機械仕掛けのように動くのです。その動いた瞬間に目を覚ましました。この夢を忘れないように起き出してすぐにメモしました。夢に登場していた私はまだ若い頃のようでした。このところ駄文の中で<シャトー・ラフィット・ロートシルト>の話を何度も引用していたからでしょうか(vol.162、165,166)。それにしても何とも奇妙な夢で、不思議な気分にさせられました。でも、何かデジャヴュ(déjà-vu)を感じるのです。 さて、思い出のワイン・バーの続きをお話ししましょう。フォラム六本木インペリアルビルには、「サロン・ド・フォラム」(会員制)とその姉妹店の「カーヴ・ド・フォラム」と、私の好きな2つの店がありました。 このビルは道を隔てて隣にあるロワ・ビルと共に、1980年代の六本木で最もお洒落な場所のひとつでした。地下1階にあったパティオのフロアには実物大の黒豹の置物が何体もあって、何だか妙にかっこ良かったのを覚えています(現在はなくなっています)。このパティオの黒豹に見守られながら更に地下2階へつづく階段を降りて行くと、突き当りに「サロン・ド・フォラム」が、左手に「カーヴ・ド・フォラム」がありました。 先ずは、1980年代にワイン愛好者たちにとって聖地のように愛されていた懐かしい「カーヴ・ド・フォラム」からはじめてみます。ここはコンクリートの打ちっぱなしの部屋の中に、L字型のカウンター席のみの本格的なワイン・バーです。そして店内の2分の1はカーヴ(酒蔵)で占められていました。ご存知の通り、ワインはボトルの中で呼吸しています。言い換えれば、ワインは生きて成長しているのです。このデリケートなワインを最も良い状態で保存できる本格的な酒蔵を備えた店が、「カーヴ・ド・フォラム」でした。ワインの安らかな呼吸を妨げる直射日光や振動を地下2階という好条件のもとでシャッタアウトしてあるのは勿論、温度・湿度とも完全にコントロール(温度:14℃、湿度:75%)し、一年を通して最適な環境を保ちつづけていました。 だからワインにうるさい愛好家たちにも好まれ親しまれてきたのです。ここは落ち着いた華やかさをもつワインの雰囲気をそのまま湛えている店でした。そのような理想的な環境の中で、ワインはフランスの銘醸地から選び抜かれた200銘柄近く、5000本が保管されていました。その内の半数近くがボルドーで占められ、あとはブルゴーニュ、続いてコート・デュ・ローヌ、ロワール、アルザス、シャンパーニュという内容で、当時としては珍しいマール(ぶどう果汁の搾りかすの蒸留酒)、カルヴァドス(りんごの蒸留酒)も置いてありました。ワイン好きにとっては堪らない場所でした。ワイン・リストはかなりハイクラスでしたが、大変充実しておりました。気軽に楽しめるハウスワインとして、赤がマルゴー村のシャトー・ラ・トゥール・ド・ベッサン、白はグラーヴのシャトー・フェランドゥという選択にも感心しました。 そして、この「カーヴ・ド・フォラム」を任されていたのは、チャーミングな若き20代のソムリエール(sommelière、女性ソムリエ)2人でした。チーフの松本さんと笹川さんです。当時は女性のソムリエは珍しく、彼女らはパイオニア的存在でした。特に、松本さんは成人になると直ぐにワインに目覚め、ボルドー・ワインの繊細さと複雑さに魅せられて遥々本場ボルドーへ行って学んできたといいます。 「カーヴ・ド・フォラム」で、今日飲むべきボルドーの赤ワインを決める。すると松本ソムリエールは、カーヴからそのワインを取り出してきてキャップシールを切り取り、ワインオープナーを当てて慎重に時計回りに回していきます。スポンという音とともにコルクがボトルから離れます。先ずコルクの匂いを確認してから、テイスティング・グラスにワインをゆっくりと注ぎ、ワインの透明度を確かめ、そっとグラスに鼻を近づけます。アロマが立ち上がる。ひと口ワインを口に含む。舌の上で温度を感じながら、口から空気を送り込んでいます。口腔内に香りがみるみる膨らんでいきます。ワインが本来の力を発揮する瞬間です。暫く舌の上で転がし、ゆっくり飲み込み、全てに納得してからニコッと微笑んで、やおら私のワイングラスに注いでくれました。彼女はまだ残り香を楽しんでいる様子です。ワインの楽しみを経験として描写すれば、今述べたような一連の流れになるでしょう。私も彼女の流れに習って一杯目を楽しみます。 でも、バッカス(ディオニュソス)の液体を前にして、人はしばしば沈黙を余儀なくされてしまいます。 その魅力を言い表すことは並大抵ではありません。ワイングラスに注がれたその液体が放つメッセージを何とかキャッチしようと、あらゆる手段を講じてみるものの、大概は無駄に終わってしまうのです。ワインはそれほど複雑でつかみどころのない飲みものであります。だが、ワインは気楽に飲める酒であり、先入観や思い込みは却って私たちをワインから遠ざけてしまうかも知れません。確かに、ワインにおける蘊蓄ほど耳障りなものはないでしょう。感心したのは、松本さんは相当な知識をもっていながら、それをひけらかさないところでした。ワインの楽しみ方は各人各様、どんな飲み方をされてもいいし、どんな感想をもってもいい。難解だとすれば、それを難解なものとして受け入れていくこと。ワインを知るためには、ワインそのものをできるだけあるがままに受けとめるべきと思っているからなのでしょう。つまり、ワインを知ることは、ワインを感じることに尽きるといいます。そしてその感じを何らかの方法で表現することができる時、それはより深い喜びに通じるのであります。彼女はこれこそがワインの歓びの奥義と感じていたのかもしれません。今、改めて思うと、若い彼女から教えられたことはいろいろありました。全て感謝です。 しかし、私の学んだボルドー第2大学醸造学部では、ワインを語る時に使われる表現・用語にはひとつひとつ厳格な規定がありました。それらは長い歴史の中でしっかりと確立されたもので、フランス人はそれらを使ってワインの印象を他人に伝えるということを、とても的確に行うわけです。それまで私が日本で馴染んできた、自分の感覚で感じたことを、自分なりの言葉で語るという、個人的な体験の世界ではなくて、それをできるだけ客観化された伝達手段を用いて如何に伝えるかというところで、言葉の体系が確立されてきたわけです。要は、できるだけ多くの人が共通の印象をもてるような言葉で表現しなければならないということです。ワインの香りを表現する言葉だけでも600種類もあります。私は学問のひとつとして、それを苦労しながら覚え、学び取ることによってワインを飲んだ時に何をどう感じるかという感覚が、かなり鍛えられたと思っております。 ところで、「カーヴ・ド・フォラム」にはよく通いましたが、友達と一緒の時はもっぱら「サロン・ド・フォラム」を利用しました。ここは「カーヴ・ド・フォラム」とはまた一味違い、会員制のサロンだけあってレンガ造りの重厚な部屋には上質のソファー・セットがいくつか置かれ、ピアノもあり、中央には暖炉もあって、ゆったりとした空間の中でワインを楽しむことができました。ここは素敵なマダムの村上さんが一人で取り仕切っておられました。3席ほどの小さなカウンターも置かれており、一人で来た時は村上さんとワインを飲みながらいろいろ語り合ったものです。実は、「カーヴ・ド・フォラム」よりも足繁く通ったのは「サロン・ド・フォラム」の方でした。ワインやチーズは「カーヴ・ド・フォラム」から直ぐ持ってきてくれるし、料理はオーダーすると近くの六本木の有名なフランス料理店と提携していて持ち運んでくれますので大変便利でした。でも、どういう事情があったのか、繁盛していた「カーヴ・ド・フォラム」は先に閉店してしまいました。でも、カーヴ(酒蔵)は今まで通り利用できましたので、「サロン・ド・フォラム」で専らワインと料理を楽しむことができたのは幸いでした。 箱根の有名なフランス料理店、「オー・ミラドー」のシェフ請川さんと結婚された松本さんが時たまご夫妻で立ち寄られ、ワイン談義に花が咲きました。その後、請川さんは総料理長として、松本さんはチーフ・ソムリエールとして、同じく箱根のイタリア料理店、「アルベルゴ・バンブー」で活躍されており、私ども夫婦で何度か訪ねました。それから消息は途絶えておりましたが、今回の駄文を記すのがきっかけとなり、その後は小田原でワイン・バーを暫く営んでいたこと、銀座3丁目でワイン・サロン「ラ・クロシェット・ドール」をご夫妻で経営していることも分かりました。近々訪ねてみたいと楽しみにしていたところ、既に閉店しているとの情報が入り、がっかりしてしまいました。ご夫妻でまた素敵な店を開いてくれますことを願っております。 でも、ひとつだけとても気掛かりなことがあります。ボルドーへ旅立つ前に拙宅に一本の電話が入りました。それは久し振りに「サロン・ド・フォラム」の村上さんからの懐かしいお声でした。「どう、お元気?」と尋ねたところ、彼女は一気呵成に話し出しました。「実は、1年程前に高速道路上のガス爆発で、偶々近くの路上を歩いていた私の頭に大きな鉄板が落下してきて大怪我を負ってしまったの。今までタップダンスやフラメンコをつづけてきたのに、それも夢におわってしまったわ・・・」という大変悲しい電話に愕然としてしまいました。あの溌溂とした素敵な村上さんがそんな大事故に遭っていたとはついぞ知りませんでした。何と慰めていいのやら・・・。「サロン・ド・フォラム」も既に閉店してしまったようです。私がいつか彼女に小物の置物をプレゼントしたそうで、それをベッドの脇のテーブルに飾ってあり、思い出して電話を掛けたとのこと。「電気製品は三菱に全て買い替えたのよ」と、笑って話してくださいました。「いつか元気になったらお食事に連れて行ってくださいね」といって電話が切れました。ボルドー留学の準備等にかまけて、その後彼女とは連絡が途絶えたまま今日に至ってしまいました。お元気になられた素敵な村上さんとまたお会いして、食事をご一緒できる日が早く来ますことを只管願うのみです。 今回の駄文を綴るにあたって、古い日記のページを繰っているといろいろなことが走馬灯のように思い浮かんできます。懐かしくもあり、切なくもある、若い頃の思い出です。 付記 最近感銘を受けた書籍3冊をご紹介します。古典文学好きの方、犬好きの方、本好きの方には堪らない一冊かと思います。 ・ 『ギリシャ・ラテン文学 - 韻文の系譜をたどる15章』(逸見喜一郎著、研究社、2018年刊):ギリシャ・ラテン文学の泰斗の著した本で、古典の世界を流暢な筆致で見事に描き出しています。その楽しさに自然と惹き込まれてしまいました。作品分析は具体的で明快であり、分かり易いです。文芸の原点は韻文とその口誦性・音楽性にあるとして、韻文作品だけを論じています。特に、ホメーロスの説明は明快でスッキリしていて、もう一度『イーリアス』と『オデュッセイア』を読み直してみる気になりました。いつの日かこの雄大な二つの英雄叙事詩を古典ギリシャ語の原典で読むことに挑戦してみたいです。それにしても、圧倒的な傑作の数々を生んだ古代ギリシャは凄い! ・ 『ユリシーズの涙』(ロジェ・グルニエ著『LES LARMES D’ULYSSE』、宮下志朗訳、みすず書房、2000年刊):タイトルの『ユリシーズの涙』とは、長年の苦難の旅から戻ってきたギリシャ神話『オデュッセイア』の英雄ユリシーズ((英)Ulysses、(仏)Ulysseの原形が(羅)Ulysseus,つまり古典ギリシャ語のὈδυσσεύς(オデュッセウス)のこと)が誰にも分らぬよう乞食に身をやつした自分に気付いてくれたのは、見捨てられて横たわっていた彼の老いた愛犬アルゴスだけだったのです。「ユリシーズが近くにいるのに気がつくと尾を振り、両の耳を垂れたが、もう自分の主人に近づくだけの力はなかった。ユリシーズは目をそらせ、隠れてそっと涙をぬぐい・・・」という、忠犬アルゴスに流す涙のことです。本書は、著者グルニエ(仏の小説家、エッセイスト、1919-2017)が、英雄と同じ名前の愛犬ユリシーズ((仏)Ulysse、ユリス)と過ごした日々の回想と、文学や歴史の中の犬を巡る思索とが絶妙にブレンドされた43の断章からなる素晴らしいエッセイです。殆どが欧米を題材とした中で、谷崎潤一郎の“狛犬”の話が僅か5行ながら「天職」と題して記されているのも面白い。犬好きにはもう堪らない珠玉のエッセイであります。 ・ 『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(内田洋子著、方丈社、2018年刊):本書を読みながら、「えっ、こんな村がイタリアにあったの」と驚いたのが正直な感想です。イタリア半島の山奥の小さな村モンテレッジォ(現在の人口僅か32人)、限界集落状態なのですが、かつてこの村は本の行商で栄えたというのです。交通も流通も未発達な今から200年ほど前、冷害に苦しみ、文字も読めない貧しい村人たちが本の行商を思い立ったというのですから驚きです。出版社から売れ残った本を融通してもらい、19世紀後半にかけてイタリア全土に行商するネットワークが作られたといいます。近隣には15世紀に当時最新の技術だった活版印刷を試みた村もあり、村を取り巻く歴史と地理的条件が「旅する本屋」の原点につながっていったのでしょう。それにしてもイタリア在住のジャーナリストでエッセイストの内田洋子さんはよくぞここまで調べ上げたものです。「執筆中は自分で書くのではなく、何者かによって書かされている感じでした」と語っておられます。美しい写真も数多く収められており、実に興味深い本です。この村には「露天商賞」なる文学賞まであるそうで、第1回受賞作はヘミングウェイの『老人と海』だったとか。本好きには堪らない必読の書でありましょう。この本を読んでいるとイタリアの「本のある風景」が自然と思い浮かび、モンテレッジォ村を訪ねてみたくなりました。 |