本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- シャトー訪問記(その5) - ![]() <シャトー・ド・フューザル> |
今回はボルドー・グラーヴ地区のシャトー(葡萄園)をご案内いたしましょう。 念願叶って<シャトー・コス・デストゥルネル>を訪問した後に、再びボルドーの街を通り抜けて一路グラーヴへとひた走ります。ネゴシアン(ワイン商人)は相変らず車のスピードを落しません。今回は数多くあるグラーヴのシャトーの中から、私の希望で<シャトー・ド・フューザル(Château de Fieuzal)>と<ドメーヌ・ド・シュヴァリエ(Domaine de Chevalier)>の2つを案内してもらうことになりました。 グラーヴ地区はボルドー市の南西、ガロンヌ河沿いにのびている地域で、ボルドー大学も隣接していますが、西側はかなり内陸部まで広がっております。グラーヴ(Graves)という地名はフランス語で「砂利」を意味し、その昔ガロンヌ河の運んできた小石がこの辺りに堆積したといわれています。事実、今でも畑には小石が多く、それがワインの性格にいろいろな影響を及ぼしております。歴史的には、ボルドーのワインはグラーヴから発達し、ボルドーの名を高めたのも実はグラーヴのワインだったのです。それはボルドー市に近かったこと、ワインを運ぶにもガロンヌ河があり、往時の主要街道もグラーヴを通っていたからです。逆にメドックのワインは ![]() 前置きはこの辺にして、先ずは<シャトー・ド・フューザル>をご案内しましょう。ここはグラーヴ南部で最良のワイン産地の心臓部ともいえるレオニャンの町はずれにあり、葡萄畑は16世紀にはじまる古い歴史を有しております。近年、特に1980年代半ばに大変リッチで複雑なワインをつくるようになってから、一躍脚光を浴びるようになりました。優れた赤ワインをつくっておりますが、何といっても見事なのは白ワインの方です。私の大好きなワインのひとつでもあります。 ![]() 次の<ドメーヌ・ド・シュヴァリエ>を訪れる前に昼食をとることにしました。恐らく地元の人しか知らないであろう葡萄畑の中にぽつんとあるレストランに連れていって ![]() それにしてもフランスで不思議に思うことは、人気のないようなところにも必ず洒落たレストランが ![]() ![]() さて、ワインの酔いが回りすっかりいい気分になったところで、 ![]() 今回はとても愉快な醸造の専門家の案内で、実に楽しい一時を過ごすことができました。ここでも2002年のプリムールをはじめいろいろの年代の赤・白ワインを試飲させてもらいました。ここのワインづくりは厳しい剪定と選果することで知られており、疑いもなく通人好みの優れたワインといえましょう。このシャトーを有名にしたのは、先祖からの葡萄畑を相続したクロード・リカールという人物です。彼はクラシックのピアニストという特異な経歴をもっていましたが、このシャトーを引き継ぐやいなやボルドー大学醸造学部に入学し、かの有名なペイノー教授から優れたワインのつくり方を習得しました。彼の功績のひとつは<シュヴァリエ>の白を改良したことにあるといわれております。完熟した房だけを選り分け、一日毎に摘み取っていくというソーテルヌ方式(前回のシャトー・ディケムのところで述べておりますのでご参考にしてください)を取り入れたことです。フランスの最高の白のひとつであるとの評価を受けました。長命な白ワインとして今日でも極上の赤ワインの良きパートナーとなっています。<ドメーヌ・ド・シュヴァリエ>はメドックの2級シャトーに匹敵するともいわれております。 こうして春の到来を告げる復活祭の休暇を利用した、2日間に亘る楽しいシャトー巡りの旅は終わりました。それから再びボルドーの街に戻り、ガロンヌ河畔のボルドーでは珍しいジャズの生演奏を聴かせるレストランに案内され、夕食を楽しみました。ボルドーの大 ![]() ボルドー滞在中に彼にはほんとうにお世話になりました。只管感謝のみです。当時ボルドーの地方議会議長を務めながらネゴシアンもやり、そしてボルドー唯一の野球チームの監督もこなすという(《ボルドー便り》vol.22、23をご参照ください)、正に八面六臂の活躍をしておりました。残念ながら暫く音信が途絶えていますが、彼のことですから相変らず元気で忙しく飛び回っていることでしょう。 ありがとう、ピエール! |
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