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ボルドー便り vol.23
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本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- フランス人と野球(その2) -
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ワールド・ベースボール・クラシックの熱気覚めやらぬうちに、早くもセ・パ両リーグの公式戦が開幕し、連日熱戦が繰り広げられております。今年のプロ野球はやる方も、観る方も今までとは一味違ったものとなりますね。 さて、<フランス人と野球>のつづきですが、ある日P氏から<パンテール>の一軍(シニア)チームがパリのチームと試合をするので見に来ませんかとお誘いを受けました。友達のロシア人の大男Aさん(彼は初めて見る野球に興奮し、その後練習に参加するようになりました)を誘って、いつものIさん、S嬢と4人で出掛けました。途中で昼食を買っていこうということになり、初めて「マクドナルド」へ立ち寄りました(ボルドーにいる間、マクドナルドへ行ったのはこの一度きりでした)。日本のように注文するとさっと出てくると思いきや、これがなかなか出てこないのです。注文を聞いてやおら作り出すといった具合ですべてゆっくりしているのです。これではファースト・フードならずスロー・フードだと笑ってしまいました。誰か日本の人がマニュアル通りにやるように、きちんと教えてやったらいいのじゃないかと思ったほどでした。フランスのお客さんは何一つ文句も言わずにじっと待っています。いつもながら待つことにかけては、フランス人はとても辛抱強いのです。 球場へ着くと大きな音楽が鳴り響き、まるでお祭りのようです。あいにくその日は肌寒く、時折雨が降るという悪コンディションの中の試合でした。球場の周りにはいかにもフランスらしい格好の良い青いテントがそこかしこに張られ、サンドイッチやコーヒーをはじめ、<PANTHÈRES(パンテール、豹)>の球団名の入ったTシャツまでも売っています。別のテントでは専門の料理人が大鍋でパエリアをつくり、美味そうな匂いを漂わせています。球団社長兼監督であるP氏がさっそく挨拶に来られ、われわれを歓迎してくれました。昼食も用意していますので、どうぞゆっくり観戦していって下さいと。しまった、マクドナルドなんかで買うんじゃなかったと後悔するも後の祭りです。 彼曰く、今日の相手はパリからやって来た格上のチームで、どうもやられそうですとはじめからちょっと弱気です。試合開始早々にわがパンテールは2点を先取したのですが、その後はあれよあれよという間に次々に点を取られ、終わってみるとP氏が予想した通り2対11と大敗を喫してしまいました。残念!ちょっと格の差がありすぎましたかね。相手はなかなかいいピッチャーでした。でもお互い守備もうまいし、打撃もいい。それもそのはず、フランスにはプロ球団がないため、この一軍チーム(シニア)はプロに準じる実力を持つ球団なのです。イタリアやスペインにはプロ球団があるので、このチームから何人も武者修行に行っているようです。選手たちはみな学生や勤め人で、学校や会社が終るやすぐに球場に駆けつけ、夏は夜6時から暗くなる10時過ぎまで毎日練習をしているそうです。野球が本当に好きで、楽しくてたまらない人たちの集まりです。彼らの憧れはアメリカや日本への野球留学であり、日本のドーム球場も是非見てみたいと言っておりました。 今回の試合で大敗を喫しても不思議とパンテールの選手のみなさんは悔しがったり、ションボリしていません。格上のチームとの対戦に満足しているのか、みなさんニコニコしています。これも日本とはちょっと違った光景でした。 試合中は、お互いのベンチから「アレ、アレ(行け行け)!」、「オ・ニ・ヴァ(さあ、行こうぜ)!」、「ビヤン・ジュエ(ナイス・プレー)!」と元気な声が飛び交います。わたしたちも負けずに「アレ、アレ!」と大声を出し、寒いのを忘れて夢中で応援しました。フランスでの野球観戦もなかなか楽しいものです。観客席には選手の彼女や友だちや家族の人たちが雨の中を駆けつけて熱心に応援していました。 P氏はというと、彼は球団社長なのだからどかっと貴賓席にでも座っていればいいのでしょうが、そうじゃないのです。忙しく観客の間を行ったり来たりして応対につとめ、試合の合間には音楽を流すのを手伝ったり、かと思うと椅子を持ち運んだりと最後まで何やらせわしく動き回ってじっとしておりません。試合をろくすっぽ見ないで。彼は監督でもあるはずなのですがね・・・。 ところで野球用語はいかにもフランスらしく全てフランス語化されています。例えば、投手はランセール(lanceur)、本塁はメゾン(maison),2塁はドゥジエム・バーズ(deuxième base)と言った具合です。フランス人は外来語を何でもフランス語に置き換えてしまうのです。 ある時、P氏から硬式野球が無理なら、ソフトボール・チームに入ってやってみませんかと誘われました。フランス語の勉強にもなるし、かわいいフランスの女の子と一緒にソフトボールをやるのも満更じゃないなと思ったのですが、ここでアキレス腱でも切ったらそれこそ笑い者になって、学校どころではなくなると諦めました。S嬢もチームに入っており一緒にプレーを楽しもうと一度は思ったのですが・・・、やっておけばよかったと今になってちょっぴり後悔しています。 P氏が持つ4チームは硬式野球の一軍と二軍チームと少年野球チームそしてソフトボール・チームです。彼はまだ40歳を過ぎたばかりですが、ボルドーでは有名人のようです。地方局のテレビでパンテールの練習風景が数十分にわたって放映され、彼は球団社長兼監督としてインタビューを受けていました。地方紙「スュド・ウエスト」には、この地方で唯一の野球球団であるパンテールをカラー写真入り紹介しておりました。新聞の最後の論評が揮っていて、こう書いてありました。『P氏はよりによって物好きにもコカ・コーラ文化のアメリカのスポーツに熱中しているようだが、彼の職業のネゴシアン(ワイン商)とのパラドックス(逆説。正しい前提から正しい推論をたどったはずなのに、結論が非常識)をどう解決していくのでしょうか』と、アメリカ文化の象徴たるコカ・コーラとフランス文化の象徴たるワインを引き合いに出して、如何にもフランス人らしく皮肉っていました。 ひょっとすると彼はワイン商より野球の方で有名なのかもしれません。それと後で分ったのですが、彼は地方議員として地方議会議長の要職にも就いているようです。いやはや彼の八面六臂の活躍ぶりにはシャッポを脱がざるを得ません。 ところで、これらの野球チームの資金面はどうなっているのかちょっと興味がありましたが、とうとう聞きそびれてしまいました。恐らく市からの補助金はそれなりにあるのでしょうが、選手たちの年会費を合わせても、運営費やフランス各地、近隣諸国を遠征して歩く費用はとてもカバーしきれないでしょう。スポンサーが必要になってくると思うのですが、彼がそのスポンサー役も引き受けているのでしょうか。いずれにしても良くやっております。 因みに、本を読むとフランス野球史は意外に古く、19世紀末までも遡るのです。最初の試合はなんと1890年(因みに、野球が日本に伝わったのは1872年)という記録が残っています。1913年には野球クラブの第一号ができています。そしてフランス野球連盟ができたのは1924年ですから、それから数えても今年で80年余にもなんなんとする歴史を有しているのですね。おまけに第二次世界大戦前まではフランスがヨーロッパ野球の先頭に立っていたというから驚きです。戦後は惨憺たるもので、どうしてこれほどまでに野球がフランスで衰退してしまったのか理由はよくわかりません。これもP氏に聞いておくべきでした。 パンテール、頑張れ! |
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