ボルドー便り vol.20

本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 - 四季暦とぶどう(2003年2月~6月) -


冬のぶどう畑(シャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオン)


  2月にボルドーに着いた当初は雨が降りつづき、時おり粉雪が舞うという気候に驚き少々うんざりしました。その内に少し暖かい日がつづいたかと思うとまた寒くなるという三寒四温の繰り返しがしばらくつづき、春はゆっくりとやって来ます。花屋さんの店先にはヒヤシンスのきれいな鉢植えが並びます。小生も3株植わっている鉢を買ってきて机に飾りました。紫色の花が咲きだすとよい香りを部屋中に漂わせて、無機質なホテルの部屋に明るさをもたらせてくれます。小学生の時の水栽培をふっと思い出し懐かしくもなりました。
  大学の近くに有名なシャトー・オー・ブリオンとシャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオンのぶどう畑があることが分り、早速大学の帰りに訪ねてみることにしました。しばらく行くと犬を散歩させているおじいさんに出会い尋ねますと、「まっすぐ行って右に曲がりなさい、ここから2キロくらいのところにありますよ」と丁寧に教えて下さいました。人っ子一人歩いていない住宅街を通り抜けて、大きな通りに沿って行けどもぶどう畑らしきものは見つかりません。余りの寒さに引き返そうと思ったところ、突然目の前に広大なぶどう畑が広がってきました。丁度運良く自転車に乗ったおじさんが向こうからやって来ました。声を掛けると一度通り過ぎた自転車をわざわざ戻して止まってくれました。「この畑はシャトー・オー・ブリオンの畑ですか」と尋ねると、「そうじゃよ、これが有名なシャトー・オー・ブリオン、それからシャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオンの畑も近くにあるよ」と自慢げに教えてくれました。「それにしてもあなたはここをよく知っておるな」と感心しておられます。確かにこの寒さの中を、シャトーの看板ひとつ見当たらないひっそりとしたところに、ぶどう畑をわざわざ探しに来た東洋人の男にびっくりし感心されたかのもしれません。わたしは初めて眼前に広がる憧れのシャトー・オー・ブリオンの畑(実は、後日この畑は殆どが兄弟シャトーのラ・ミッション・オー・ブリオンであったことが分りました)を見てすっかり興奮し、感激してしまいました。住宅街とまさに背中合わせのこのぶどう畑は、凛とした静けさに満ちていました。冬のぶどう畑はむきだしで、地面は灰色になり、丸坊主になったぶどうの木があらわに見えます。棒杭のような株が目的もなく立ち並び、いかにも寒々とした風景を呈しています。この硬直して立つ株を見るとまるで十字架にかけられた殉教者の姿のようです。でも来るべき春に備えて力を蓄えているようで頼もしくも見えました。
  冬が終れば空にも、樹液でふくらむ若芽にも、前途の期待と希望を感じることができます。
3月になるとぶどうの木はようやく目をさましてきます。日中はもう20度を越すぽかぽか陽気になって本格的な春到来を思わせます。小鳥は楽しそうに囀っています。この頃になるとボルドーの家々の庭先には梅や桃や桜の花が一斉に咲き出します。日本のように梅、桃、桜と順々に季節が移るにつれて咲くのではないのですね。これはこれで華やかでいいのですが、一寸驚きました。そういえば友人のホーム・ステイの庭先で、桜ならぬ梅の大木の下にゴザならぬ絨毯を敷いて、みんなで日本酒ならぬワインを飲みながらお花見をしたのが懐かしく思い出されます。ボルドーで梅、桃、桜が見られるとは思ってもいませんでした。フランスでは日本と違う花が咲いているだろうと想像していたのですが・・・。
  復活祭(キリストの復活を祈るこの祭りは移動祭日で、春分後の最初の満月の次の日曜日にあたり、3月22日と4月25日の間にあります。この年の復活祭は4月20日でした)の休みを利用してバスク地方を訪ねたときには見事な藤の花も咲いていました。花は万国共通なのですね。
リラ(ライラック)の花も満開でした。
  ところでフランスには夏時間と冬時間があります。夏時間は3月最終の土曜日から日曜日の深夜に時計を1時間進めることになります。これをうっかり忘れると大変なことになります。フランス人は誰でも分っていることなのでしょう、テレビでも明日からは夏時間ですよなんて言ってはくれません。でも夏近しという感じで何となくうれしい気分になります。
  4月半ばにボルドーの有名なワインの産地、メドック地方をフランス人のネゴシアン(ワイン商人)、これまで何度も登場しましたP氏の案内で訪ねました。ボルドーからメドックまでは  一時間ほど、猛スピードで駆け抜けます。メドックに入りますと春の陽光に照らし出された広大なぶどう畑が開け、行けども行けども延々とつづきます。いつ見ても美しい光景です。ぶどう木の幹からは新しい命のかわいらしい葉が顔を出しています。ちょっと専門的になりますが、メドックでは伝統的に株から出ている枝のうち、まず二本を選び、それ以外の枝を全て切り落とすという剪定法が選ばれています。この剪定法は、その年と将来の収穫の両方を計算に入れたやり方で、つまり翌年の株の動きまで考えているのです。二本の枝を残す剪定法は、大きな実をたくさん収穫することができます。ぶどうは、剪定のときに性格をむき出しにするといわれます。ここメドックの主たる品種のカベルネ・ソーヴィニョン種は、栽培人の腕しだいで良くも悪くもなるので、へたな剪定にはぶどう木は我慢できないようです。もうひとつの主力品種のメルロ種は、それほど気難しいたちではなく、たとえまずい切り方をされても、なんとか自力で回復するといわれています。何か人間と同じように思いませんか。ぶどうに対して人間のできることの全ては、このハサミ遣いにあるようです。
  5月、マロニエ(とちの木)の花が満開を迎える美しい季節の到来です。大きなぶどうの房を逆さまにしたような白と赤の花が咲き誇り、街中の緑の街路樹を染めています。星の王子さまに出てくるバオバブのようなプラタナス(すずかけ)の大木にも葉が茂りはじめ、スズランの小束が街を賑わせます。時を知らせる教会の鐘も心地よく耳に届きます。まことに心地よい季節になりました。
  この頃にぶどう畑に行って見ると、一面に青々とした畑が広がり、若々しい緑でまぶしいくらいです。生い茂った葉は鉄線を越えんばかりに伸びております。畑に入って観察すると、房の原形もすでに姿を現しています。小さな緑色の粒々をたくさん付けた華奢な枝が、葉の陰から頭をもたげています。6月の暑い日々をひたすら待ちわびているように。
  6月になると、学校は長い夏休みに入ります。6月のフランスの気候は日本の梅雨と違ってからりとした晴天の日がつづきます。一番いい季節の到来です。ただ、大陸性の気候とでもいうのでしょうか、日中は30度を越す陽気ですが、朝晩は時にはセーターがいるほど冷え込むことがあります。一日の寒暖の差が大きいのです。ぶどうにとってはこの昼と夜の寒暖の差の大きいことこそが大切で、良質のワインが期待できるのです。
この頃になると夜は10時過ぎまで明るいのがいい。
  6月は夏というすばらしい季節の訪れを予告します。ぶどう栽培者にとって開花というこの時期は美しい女性とデートするようなウキウキした気持ちにされることでしょう。
ぶどうの木には白い花が咲くとばかり思い込んでいましたが、目に飛び込んできたのは、一回り大きくなった粒の頭にポツンと半透明の玉がつき、その周りにクリーム色のふくらみをつけた白い柄が並んだだけの、およそ普通の花とはほど遠い姿をした代物でした。
花は寒さなどのショックを与えれば花粉の路は閉ざされてしまい、受粉がうまくいかずに種もできません。悪天候と気温の低下はぶどうの自然な活動を妨げ、せっかくの花が流れてしまうのです。ですから栽培者にとっては、開花の頃は期待に満ちている反面一番心配で不安なときでもあるのです。一般的に開花して100日後にぶどうの収穫が行われると言われております。
  7月以降の<四季暦とぶどう>は次回に回すことにいたします。


 


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