ボルドー便り vol.21

本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

 − 四季暦とぶどう(2003年7月〜2004年1月) −


キャトルズ・ジュイエ:le quatorze juillet(革命記念日、パリ祭)


 7月からは愈々フランス国民待望のグランド・バカンス(夏の長期休暇)のシーズンに入ります。また14日は革命記念日で、パリのシャンゼリゼ通りをはじめ各地で軍隊の行進が賑々しく展開されます。この頃郊外に出ると、それは見事な向日葵畑がいたるところで見られます。夏がやって来たことを実感できます。フランスの田園は、春は菜の花そして夏は向日葵とまるで黄色の絨毯が地平線の彼方まで敷きつめられているような美しい季節がつづきます。
フランスという豊かな食卓を覆う巨大な黄色のテーブルクロスのようでもあります。
ぶどうの木は開花後一ヶ月も経てば、素人目にもはっきりぶどうの房であることが見てとれます。でも、この段階では成長は著しいものの、直径1センチ足らずの実はまだ緑色をしております。この小さな実は一心に滋味を育て、畑は全精力を木々に送っているようにみえます。
 この年の8月はフランス全体が異常ともいうべきカニキュール(canicule、猛暑)という40度以上の猛烈な暑さに襲われ、多数の死者が出たほどです。ボルドーでも40度を越す酷暑が1週間以上続きました。朝から部屋のカーテンを下ろし真っ暗にして、裸でベッドに横たわりただジーとしているだけです。外に出ようものならまるで電子レンジの中でジリジリと焼かれるような猛烈な暑さです。例年はこのような暑さに見舞われることはないようで、ボルドーの一般の家庭ではクーラーを備えている家は殆どありません。ホテルの空調も完全でなく、頼りない生ぬるい風が天井近くから吹き込んでくるだけです。妻に送ってもらったアイスノンと団扇だけが頼りの生活です。扇風機も一時期スーパーで売っていたようですが、数が少なくすぐに売切れてしまいました。生まれて初めて経験するこの40度を越す連日の暑さには、ほとほとまいってしまいました。時には豪雨とともに雷がごう音を轟かせます。
ただこの時天の助けか、ギリシャ在住のフランス人に嫁がれた、de Mさん(フランス人の姓の前にdeが付くと貴族を表します)からブルターニュの別荘へ来ませんかとのうれしい便りが舞い込みました。もちろん喜び勇んで出掛けました。ブルターニュのサン・マロに着くと、そこはボルドーの40度とは打って変わって23度という凌ぎやすさです。
フランスの貴族の別荘はまたすごい。海を見晴るかす断崖の広大な敷地に、母屋を含めて立派な館が三棟も建っておりました。おまけにプライベート・ビーチまであります。毎日、エメラルドの海でヨット三昧の生活、そして大家族の皆様との宴をたっぷり楽しませて頂きました。それはそれは思い出に残るすばらしい三泊四日の旅でした。王侯貴族の生活を満喫させてもらいました。de Mご夫妻様には渡仏前からボルドー滞在中に至るまで、いろいろと大変お世話になりました。わたしにとっての大恩人です。
帰りのTGVではあまりの外気温の暑さもあってか、車内の冷房装置までが途中で故障してしまい、まるで蒸し風呂のような暖房列車に変わりました。女子大生が連れているネコも籠の中でぐったりしており、霧吹きで一所懸命に水をかけていました。ほうほうの態でボルドー駅へ辿り着くと、又もや40度の生活が待っていました。正に天国と地獄です。
この温度計の水銀が激しく上昇したことは、ぶどうにとって果たして幸いしたのでしょうか。収穫時期になると新聞各紙が今年の出来映えについていろいろと論評していました。当初はワイン醸造にとって非常にむずかしい年になるとやや慎重論的な評価をしている記事が目につきましたが、収穫が近づくにつれて、一様にすばらしい年になったとの評価に落ち着いてきました。ぶどう栽培者は収穫を告げる9月までは霜、雨、温度等人為の及ばない自然を前にこのように一喜一憂する毎日がつづくのです。
 いよいよ待望の収穫時期を迎える9月です。新聞、テレビでは一斉に各地のヴァンダンジュ(ぶどう収穫作業)の模様を誇らしげに報道しています。わたしもボルドー市内から車で1時間ほどのところにあるプルミエール・コート・ド・ボルドーの小さなぶどう園<シャトー・デュ・ブルスタレ>でヴァンダンジュを経験しました(このヴァンダンジュの様子はvol.15,16で既に述べた通りです)。この収穫作業はぶどうの成長に一喜一憂しながら、手塩に掛け惜しみない愛情を注いできたぶどう栽培者にとっては集大成の日です。たわわに実ったぶどうの房は朝露に光り、それは美しい正に芸術作品です。ぶどうの実は猛暑に耐えて、立派に完熟しておりました。シャトーのムッシューもマダムも収穫の初日から幸福感でいっぱいな様子です。この年のぶどうはすばらしいワインになることでしょう。このヴァンダンジュを通して、ワインとはもはや単なる大地の産物ではなく、宇宙的な力と労働という神聖なるものを結びつける絆だとしみじみ思ったものです。
 10月になると、ここボルドーは「味覚の秋」の本格的な到来です。スーパーや市場にはおいしそうな食材が所狭しと並べられています。セープ茸をはじめいろいろなキノコ類が顔を見せはじめます。椎茸も、名前はそのままの「シイタケ」で売られています。そういえば柿も「カキ」の名前で立派なフランス語として認知されています。そしてジビエの季節でもあります。ジビエとはフランス料理で供される野生の小鳥やウサギやシカのことで、野禽獣と訳されています。日本では今は禁鳥のつぐみもそのひとつです。日本では火あぶりの憂き目に遭うこともなく、野山で安心して冬を越せるのはご同慶の至りですが、フランスではそうはいきません。レストランではこの頃になると特別メニューとしてジビエが登場してきます。鴨料理を食べると、たまに口の中で金属らしきものに巡り会うことがあります。こんなものがとレストランのギャルソンに非難めいて言うものなら、「ジビエだから当たり前です」と彼は胸を張って答えます。自慢げでさえあります。それは猟師の撃った散弾銃の小さな玉だったのです。これこそ正真正銘の野生の鴨の証拠なのですね。
この季節になると街路樹のマロニエ(とちの木)の葉は黄ばみ、茶色のつややかで大きな実が、歩道いっぱいに落ちています。
ぶどうの木の葉も最初の霜の到来と共に色が変わり、黄金色に輝いてきます。正にエル・ドラド(黄金郷)と化します。青々としたぶどう畑とはまた趣を異にした美しさです。そして間もなく落葉をはじめます。
 11月1日は諸聖人の日(トゥッサン)で休日、たくさんの人が菊を持ってお墓参りをします。日本のお彼岸のようなものですか。やはり所変わってもお墓には菊が一番合うのでしょう。菊にはなにか、死霊交流、妖艶怪奇な雰囲気が、底に流れているように思われます。
諸聖人の日とあるからには、フランス人は聖人をひとまとめにして祝って、自分たちも休みにあやかろうという魂胆なのでしょうか。木枯らしの吹く寒い日がつづきます。家々の屋根のチムニーからは暖炉の煙が立ちのぼりはじめます。これはまた風情があってよろしい。
ぶどうは樹液が衰えてきて、春までは長い休眠となります。
 12月の声を聞くと商店街のあちこちにはノエル(クリスマス)を控え、商店街の筋々によって夫々意匠を凝らしたイルミネーションが賑やかに飾り付けられます。ボルドーの街は美しく輝きだします。
本当に芯から冷え込む寒い日がつづきますが、この寒い冬の夜更けには、ぶどう酒(この時ばかりはワインと言わずに不思議と「ぶどう酒」と呼んだほうがぴったりするように思います)の熱燗が似合います。ワインはふつう常温か冷やして飲みますが、冬の夜、カフェで「ヴァン・ショー(熱いぶどう酒)!」と頼むと熱燗を持って来てくれます。細長いガラスのコップに、熱い赤ぶどう酒が入っており、すでに砂糖で少し甘くなっています。カフェによっては丁子も入っています。コップの縁にはレモンの切ったのが引っかけてあり、このレモンをしぼり、熱いのをすすると冷えきった身体全体がまたたく間に温まります。昼間の疲れが洗い流され少しばかり活気が戻ってきて、ホッとする時です。部屋でも安い赤ぶどう酒でよく作って飲みました。これも寒い夜に安眠するフランスの人々の生活の知恵でしょうか。
ぶどうの方は春のきざしが現れるまでしばらくは静かに休眠中です。
 年が明けて1月の寒さは厳しく、空はどんよりとした鉛色で、独りぼっちの身にとっては心身共にこたえる季節です。
冬のぶどう畑は丸坊主になったぶどうの木だけがあらわに見え、いかにも寒々とした感じがします。ぶどう畑を吹き過ぎる風が、剪定した枝を燃やす煙の柱をへし曲げていきます。色彩は輝きを失い、見かけだおしの弱い光が辺りの眺めをぼやけさせます。なにか素っ裸のぶどうの株が並んでいるので、直線がひたすら強調されるようにも見えます。この頃の地面は貧弱で何もないので、こんな土地がいいワインを生み出すとはちょっと考えられない気がしてきます。
自然は寛大な姿をみせることがあるが、それと同じくらい厳しい無常なところもありますね。
春が待ち遠しい!はーるよ来い、はーやく来い!

 


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